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75小品目 スピハラについて

わたしはわりとスピリチュアルで、だけどそのことを話すときは少しシャイに、なおかつユーモアをマシマシにして話すようにしている。


なぜなら、スピの人はスピのことを話す時にわりと相手のことをおかまいなしに、その素晴らしさをイケイケドンドンで語ってしまって、気味悪がられるからだ。


これはスピに限らないけれど、一緒にいる人はその人の時間を割いて自分といてくれているので、そのは時間ありがたいものなので、ないがしろにしてはいけない。まれに何が好きかわからなくて、なんでもいいどうでもいいしあんまり話も聞いていないような人もいるけれど、だとしても基本的に自分の好きなことばかりして良い人なんていないので。思いやり大事。


で、とりわけスピは人を脅すような話題や、日常的じゃなかったり浮世離れしたすぐには役に立たない話が多い。特に身内に患者さんのいる人もあるだろうので、ガンになるがんが治るは容易く口にしない方が良い。そこは楽しんでもらえるようにエンタメ(過激さや嘘ということではなく)を盛り込みたい。あと、なんちゃって、みたいな、てへ、みたいなチャーミングさも添えたい。あと、絶対に!というワードはできるだけ避けたい。


あと、いちばん大事なのは、聞いている人がそれを拒否する自由だ。スピ的なことを不愉快に思う人もいる。もともと好きでも、その話をとっかかりに物を買わされそうになったり、信じろと強制したりされた人も多いと思う。


スピ(に限らず)のたちの悪いのは、それが良きものであるので、みんなもそれを信じるべき、使うべき、もしくはその敵となるものを憎むべき、となるところだ。これは自分もたまになりそうになるので気をつけたい。


でも、それが自分にとってサイコーなら、みんなで信じなくても自分が信じていれば充分なのだ。その可愛い素敵なものをだいじにだいじにして、たまに人に少し見せるくらいで。


わたしはあなたのことが好きだけど、同じものを信じたいわけじゃない。こんなに違う私たちが仲良くしている、それが尊いことのように思うのだ。


だから、スピハラ、ダメ、ゼッタイ。


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