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【君たちはどう生きるか】生産者としての人生か、消費者としての人生か

『君たちはどう生きるか』という本をご存じだろうか。

吉野源三郎という人が執筆した、少年少女のための文庫の一巻です。1937年に初版が出ていますから、今から83年前の本ということになります。1931年が満州事変の起こった年ですから、社会が軍国主義に染まり、第二次世界大戦に向かっていく時代でした。言論や出版の自由が制限されていく中、次の世代を担う子どもたちに、自由で豊かな思想や文化があることを伝えたいという背景から執筆がなされたのです。数年前に漫画版が大ヒットしていましたから、それで知っている人も多いと思います。

物語は、中学生のコペル君が、日常で経験した出来事や気づいたことに対して、叔父さんがノートにアドバイスをしたためてゆくという形で進みます。

こんなエピソードがあります。コペル君の同級生に浦川君という子がいます。浦川君は見た目が貧乏な感じなのと、授業中に居眠りをしていることから、クラスで少し浮いています。ある日、浦川君が連続して休みを取っているので、体調不良だと思ったコペル君は彼の家を訪ねることにしました。すると浦川君は体調不良ではなく、人手が不足している、家業の豆腐屋を手伝っていて、そのために学校を休んでいるのでした。

コペル君からその話を聞いた叔父さんは、貧乏な同級生への親切を褒め、同時にこうしたためます。

ところで、君自身はどうだろう。君自身は何をつくり出しているだろう。世の中からいろいろなものを受取ってはいるが、逆に世の中に何を与えているかしら。改めて考えるまでもなく、君は使う一方で、まだなんにも作り出してはいない。/(中略)そしてコペル君、この点こそ、君たちと浦川君との、一番大きな相違なのだよ。浦川君はまだ年がいかないけれど、この世の中で、ものを生みだす人の側に、もう立派にはいっているじゃあないか。浦川君の洋服に油揚のにおいがしみこんでいることは、浦川君の誇りにはなっても、決して恥になることじゃあない。

生きがいを持つためには、叔父さんが言うように、自分は生産しているのか、それとも消費しているのか、という視点が非常に大切です。生産者は人に与え、役に立ち、社会に認められることができますが、消費者のままでは、人に与えてもらい、依存するだけで、社会に認めてもらうことは難しいでしょう。学生のままでは、どんなに立派な学校に通っていても、社会の役に立っていないのです。

今の日本は、会社に勤めて指示通りに働けば、生産者になることは可能です。ただし、人の役に立ち、認められたいと願うのであれば、自分が何を生産しているのかを意識する必要があります。例えば、商品の撮影を頼まれたとき。依頼された通りに撮影すれば、綺麗な写真を生産したことになります。もし依頼の背景に興味を持ち、調べ、より消費者が好むようなレイアウトで撮影したらどうでしょう。その生産活動には、ただの写真撮影に、マーケティングという付加価値が加わります。休みの日の過ごし方でも、YouTube動画を見て過ごす生活に、動画撮影を加えてみたらどうでしょう。さらに、地元の商店街をPRする動画を作ってみたら…それはすでに立派な生産活動です。

人の作ったYouTube動画を見るだけでなく、人に喜んでもらえるコンテンツを作れる人生の方が、なんだかかっこよくてワクワクしませんか?このように、消費者 ⇒ 生産者Level1 ⇒ 生産者Level2…とブラッシュアップできると、人生がどんどん豊かになるはずです。

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