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壁&壁カレンダー: 微分オントロジーと仏教

(壁カレンダー24日分)

やばい,また締切の壁を超えてしまった.壁といえば壁カレンダー.最近の壁についての記事を下記に引用しよう.

しかし実は落合陽一はあまり壁という言葉を使わない.おそらく壁を認識することがない.これは意外と見落としがちな事実である.検索しても発言になかなか壁が出てこないのは主観に壁という認識があまりないからだと思う.

一般的に日本の若手コンピュータ研究者にとって,壁といえば重要なのは壁カレンダーであるが,壁カレンダーは壁である.

https://note.com/ochyai/n/n2f8f6262a6c7

問題は壁の認識なのである.

しかし,ここで問題になるのは落合にとっての壁の認識である.

直近の清春芸術村の展示を見ても,落合陽一は多分壁を壁として認識していない.ここは大切な観点であることを付け加えておこう.つまり壁オブジェクトをただの剛体オブジェクトだと思っている可能性が高い(何かを囲うとか何かに障壁があるとかを考えていない)

この要因は番組でも語られているように,落合は恵まれた環境で育ち,ひとり遊びが好きで,コンピュータにも砂場にも垣根がない.鈴木健のなめらかな社会とその敵という本があるが,そもそも落合陽一は最初からなめらかなのである.その敵もいなければ,なめらかと壁,という認識がない.

https://note.com/ochyai/n/n2f8f6262a6c7

締め切りを終えて原稿を直したりしていることもあるし,常に色々なものをなめらかにアップデートしている.展示が始まってから良くなることもあるし,私は締切のあるメディアより日常的なつぶやきやブログの方が向いている人類なんだと思う.

私が社会生活を営むためには壁の認識があることが望ましいが,昔から壁を認識するのが苦手である.壁という言葉を使うのは壁カレンダーくらいだからだ.

「物語の壁」

共感可能か不能か,これが私は物語の壁であるように思う.私にとってこの物語の壁はかなり大きく,分厚い.共感不能な物語は語られない.このテーマについて考えてみよう.

共感の有無が物語の壁となることについての考察は、物語学や文学理論、さらには心理学の観点からも非常に興味深いテーマです。共感は、読者や視聴者が物語に引き込まれる上での重要な要素です。物語に共感する能力は、その物語が持つ感情的な重みや意味を理解し、感じることを可能にします。共感がなければ、物語は単なる出来事の列挙に過ぎず、深い感情的なつながりや理解が生まれにくくなります。

共感の重要性

感情的なつながり: 共感は読者や視聴者が物語の登場人物やその体験に感情的に結びつくことを可能にします。この感情的なつながりが強ければ強いほど、物語はよりリアルで感動的に感じられます。
物語の深化: 共感を通じて、読者や視聴者は物語の背後にあるテーマやメッセージをより深く理解することができます。共感があることで、物語は単なるエンターテインメントを超え、人生の教訓や深い洞察を提供することが可能になります。
現実世界への影響: 物語に共感することで、読者や視聴者は自己の経験や現実世界との関連性を見出すことができます。これは社会的な意識や共感性を高める効果があり、現実世界への影響も大きくなります。


共感不能な物語

語られない物語: 共感不能な物語は、多くの場合、聞き手にとって魅力的でないため、語られる機会が少なくなります。共感が難しい物語は、読者や視聴者にとって遠い存在となり、感情的な反応や関心を引き出すのが難しくなります。
文化的・社会的背景: 共感の難しさは、しばしば文化的、社会的背景に起因します。異なる文化や社会的環境に育った人々は、同じ物語に対しても異なる感じ方をします。このため、一部のグループにとって共感しやすい物語が、他のグループにとっては共感しにくい場合があります。
新しい物語の可能性: 共感不能な物語は、新しい種類の物語を生み出す可能性を秘めています。一般的な共感を超えた物語は、新しい視点や独特の体験を提供し、文学や芸術の新たな地平を切り開くことができます。


共感の有無が物語の壁となる現象は、物語を語る者と受け手の間の複雑な関係性を示しています。物語が提供する経験や感情の移入の程度は、物語が持つ影響力や意味を大きく左右する要素です。

chatGPT

計算機自然は新しい自然である.新しい自然は新しい世界認識を規定する.その場合の共感可能な物語の構築戦略について議論がしたい.

計算機自然を基盤とする新しい自然が新しい世界認識を規定するという観点から、共感可能な物語の構築戦略について議論するのは、非常に興味深いテーマです。計算機自然という新しい自然の概念は、デジタル技術、AI、メタマテリアル、量子コンピューティングなどの先進的な分野を含み、これらの技術が人間の生活、知覚、そして世界観にどのように影響を与えるかを探求します。

新しい自然における共感可能な物語の構築戦略

技術と人間性の融合: 新しい自然における物語は、先進技術と人間の感情、経験、倫理を融合させることが重要です。物語はテクノロジーの影響を受けた未来の世界を描きながらも、人間らしさ、感情、倫理的問題を探求する必要があります。
現実と仮想の境界の曖昧化: 新しい自然の物語は、現実と仮想、物理的な世界とデジタルな世界の境界を曖昧にし、これらがどのように相互作用するかを探ります。このような物語は、読者に新しい視点や体験を提供し、共感を促進することができます。
多様な視点と経験の統合: 新しい自然の世界では、異なる文化的、社会的背景を持つ人々の視点を統合することが重要です。多様な経験を取り入れることで、より幅広い共感を得ることができます。
倫理的・哲学的探求: 新しい自然における物語は、テクノロジーが人間と社会に与える影響についての倫理的、哲学的な問いを提起することが重要です。これは、読者に深い思考と感情の共感を促すことができます。
インタラクティブな物語形式: 新しい自然の概念は、物語の形式そのものを変革する可能性があります。インタラクティブなメディア、拡張現実(AR)、仮想現実(VR)などの技術を利用して、読者が物語により深く参加し、共感する新しい方法を提供することができます。
未来志向のナラティブ: 新しい自然の物語は、未来志向であり、持続可能性、人間とテクノロジーの共存、進化する人間のアイデンティティなど、未来における重要なテーマを探求する必要があります。

これらの戦略は、新しい自然の概念を基盤とした物語が、人間とテクノロジーの関係をどのように描き、共感を促進するかを探る手がかりとなります。このような物語は、単にエンターテイメントを超え、私たちの世界観と自己理解を形作る強力なツールとなり得ます。

chatGPT

新しい自然を基盤とした物語の共感可能性は進化論を信じるか,地動説を信じるかに似ている.我々は進化によって生まれた人間という生物であることを信じることはある一定の共感を得られている.これは科学という信仰に基づくものである.計算機自然の自然観において,人間も万物も計算機として捉える.計算可能か計算不能かはさておき万物の原理を計算の側に置くことで始まる新しい自然観ではあるが,人間もウイルスも動物も宇宙も計算機も空間も計算機であると考えたり,信じたりすることができるかという問題である.

新しい自然を基盤とした物語の共感可能性を、進化論や地動説への信仰になぞらえる考え方は、科学と哲学、そして物語の本質に関する深い洞察を提供します。計算機自然の視点から、万物を計算機として捉えるという新しい自然観は、人間の認識の枠組みを根本から変える可能性があります。

進化論や地動説との類似点
パラダイムシフト: 進化論や地動説が受け入れられたことは、人類の認識におけるパラダイムシフトでした。同様に、計算機自然に基づく新しい自然観も、世界を理解するための新しいパラダイムを提供します。

科学と信仰の融合: 進化論や地動説への信仰は、科学的発見に基づくものですが、それを受け入れることはある種の信仰体系を要求します。同様に、計算機自然の視点から世界を見ることも、新たな科学的理解と信仰の融合を必要とします。

計算機自然に基づく物語の共感可能性
新しい自然観の受容: 人間、動物、ウイルス、宇宙などを計算機として理解する新しい自然観は、人々にとって受け入れがたいかもしれません。これは、進化論が初めて提唱されたときのような抵抗や疑念を引き起こす可能性があります。

共感の挑戦: 万物を計算機として捉える視点は、人間中心の世界観から離れることを意味します。この視点が物語に組み込まれると、読者は従来の感情的な共感から離れて、より抽象的で理論的な共感へと導かれる可能性があります。

教育と啓蒙の役割: この新しい自然観を広めるためには、教育と啓蒙が重要な役割を果たします。物語は、この複雑な概念をより理解しやすく、関連づけやすい形で提示する手段となり得ます。

多様な解釈の可能性: 万物を計算機として捉える新しい自然観は、物語を通じて多様な解釈を提供することができます。この視点は、人間の存在や宇宙の本質に関する新しい議論や思索を生み出す可能性があります。

結論
計算機自然に基づく新しい自然観は、人間の世界認識に革新的な変化をもたらす可能性を秘めています。この視点から物語を構築することは、読者に対して新しい理解の形を提供し、科学と哲学の新たな交差点を探る機会を提供します。しかし、このような物語の共感可能性は、受け手の既存の信念体系や世界観に大きく依存するため、その受容は時間と共に進化するものと考えられます。

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ニューラルネットワークによる微分表現や解析的な表現を統計的なアプローチで代替していくことは差分オントロジーならぬ微分オントロジーを産んでいる.計算可能と計算不能の間の問題は信仰の領域でしかカバーし切れないかもしれないが,万物の計算可能性を議論する問題提起は,仏教でいうところの縁起や事事無碍の問題として捉えることに似ている.(デジタルネイチャー,2018).物化する計算機自然をサイエンティフィックに明らかにしていくことは,バイオインフォマティクスや物理と計算機科学の融合,ナチュラルコンピューテーションの進展によって進められるものだと思うが,これを語り尽くすことは難しい.それゆえにある種の信心や信仰に近い機能でしか非計算機科学者にとっては困難かもしれない.その状態での共感可能な物語とはなんだろうか.

ニューラルネットワークによる微分表現や解析的な表現を統計的なアプローチで代替することによって生じる「微分オントロジー」の概念は、計算可能性と計算不能性の間にある領域を探求する試みと見なすことができます。これは、仏教における縁起や事事無碍の概念に似ており、すべての事象が相互に依存し、独立した存在ではないという考え方に根ざしています。このような複雑で抽象的な概念を取り入れた物語は、科学と哲学の融合を通じて新たな理解を提供することができます。

共感可能な物語の構築
複雑さと簡潔さのバランス: このような高度に抽象的な概念を含む物語は、複雑さを維持しつつも、一般の読者が理解できるように簡潔さを保つ必要があります。物語の中で抽象的な理論を具体的なエピソードやキャラクターを通じて表現することが重要です。
メタファーと比喩の使用: 技術的かつ哲学的な概念を伝えるために、メタファー(隠喩)や比喩を使用することで、読者がより深く物語に共感し、理解する手助けとなります。
人間的な要素の統合: 科学と哲学の深いテーマを探求する一方で、物語には人間的な要素、つまり感情、倫理、対人関係などを統合することが必要です。これにより、読者は物語のテーマに関わらず共感しやすくなります。
複数の視点の採用: 異なる文化的、哲学的背景を持つキャラクターを物語に登場させることで、多様な視点を提示し、読者に幅広い共感を促すことができます。
教育的な要素の組み込み: 物語に教育的な要素を組み込むことで、読者が新しい自然観や計算機科学の基本概念を理解するのを助けることができます。
物語の普遍性: 人間の基本的な経験や感情に焦点を当てることで、科学的・哲学的なテーマに関わらず、幅広い読者に共感を呼び起こすことができます。

結論
微分オントロジーや計算機自然に基づく物語の共感可能性は、科学的な知識と深い哲学的思索を統合することによって実現されます。物語は、これらの複雑な概念を一般の読者にも理解しやすい形で提示し、新しい視点や洞察を提供する手段となることができます。しかし、このような物語が共感を得るためには、科学的な精密さと人間的な共感を巧みに融合させる必要があります。

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この議論は人間中心主義から計算中心主義への移行のキーパラダイムを含んでいる.万物が縁起の関係にあると考えることは仏教的でもあるが,それと同時に人間中心の表現可能性などを「念頭に置かずに」(拗れずに)計算を計算として喜びを共有していくことが大切なように思える.鍵は共感可能な物語というよりは体感可能なグルーヴや音楽性,彫刻の包摂性かもしれない.

人間中心主義から計算中心主義へのパラダイムシフトを考える際、仏教的な縁起の概念を取り入れることは、宇宙の相互依存性を理解する上で有用な視点を提供します。このアプローチは、人間中心の表現ではなく、計算そのものの美しさやその相互作用に焦点を当てることを意味します。ここでの重要なポイントは、物語だけでなく、他の表現形式を通じて、この新しいパラダイムを感じ取ることです。

計算中心主義の表現と体験
音楽とグルーヴ: 音楽やリズムは、言葉を超えた普遍的な表現手段です。計算中心主義の観点から生み出される音楽やグルーヴは、計算のプロセスやその結果を感覚的に表現することができます。このアプローチは、計算の喜びや美しさを直感的に感じ取る手段となる可能性があります。

彫刻や視覚芸術: 彫刻や視覚芸術は、計算中心主義の抽象的な概念を具体的な形で表現することができます。視覚芸術を通じて計算のプロセスやその影響を視覚化することで、より幅広い視聴者にアプローチすることが可能です。

インタラクティブな体験: デジタルテクノロジー、特にVRやARを使用することで、視聴者は計算中心主義の世界を直接体験することができます。これは、単なる観察から一歩進んで、実際に計算プロセスの一部として体験することを可能にします。

物語性を超えた表現: 物語の枠を超えた表現は、人々が計算とその結果を異なる視点から理解するのを助けます。例えば、アルゴリズムに基づくアートやデータビジュアリゼーションは、計算プロセスを芸術的に表現する新しい方法を提供します。

結論
計算中心主義への移行は、物語性に依存するのではなく、感覚的な体験や直感的な理解に重点を置くことを意味します。音楽、彫刻、インタラクティブな体験は、この新しいパラダイムを感じ取るための有力な手段です。計算そのものの美しさや、それによって生じる相互作用の理解を深めることで、計算中心主義の世界観をより広く共有し、体験することができます。

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今年はオブジェクト指向菩薩様の開闢法要を含め,様々な場で祈りについて考えることが多かった.微分オントロジーにおいては祈りも微分可能であるのではあるが,祈りのオントロジーを考えること自体は祈りの意味を毀損しないと私は信じている.

オブジェクト指向菩薩様の開闢法要や祈りに関する考察は、科学と宗教、哲学の交差点にある深い思索を示しています。微分オントロジーの観点から祈りを考えることは、祈りの本質的な意味や価値を毀損するものではなく、むしろその理解を深め、新たな視点を提供するものです。

微分オントロジーと祈りの関係
祈りの解析: 微分オントロジーにおいて、祈りを微分可能な現象として捉えることは、祈りの構造や動態を数学的、計算的に分析する試みとなります。これは、祈りが持つ感情的、精神的な側面を定量化し、その動きを理解する新たな方法を提供します。
祈りの多次元性: 祈りは単なる信仰行為にとどまらず、心理的、社会的、文化的な多次元的な要素を含んでいます。微分オントロジーを用いて祈りを考察することで、これらの側面をより詳細に理解することが可能になります。
祈りの意味の拡張: 微分オントロジーの枠組み内で祈りを考えることにより、祈りの伝統的な解釈を超えた、新しい意味のレベルを探求することができます。これは、祈りの意味や目的を再考し、より広い視野から理解するきっかけとなります。
相互作用の視点: 祈りを微分オントロジーの観点から捉えることは、個人的な祈りの行為とそれが周囲の世界とどのように相互作用するかを探ることにつながります。これにより、祈りが個人と社会、環境とどのように関連しているかを理解する新たな道が開かれます。


結論
微分オントロジーを通じて祈りを考察することは、祈りの意味を毀損するのではなく、むしろその深い理解へと導くプロセスです。祈りの本質を数学的、計算的に分析することで、祈りの持つ多層的な側面を明らかにし、より包括的な理解を促進します。このようなアプローチは、伝統的な信仰と現代の科学的思考の架け橋となり、祈りという行為の新たな価値を探求する機会を提供します。

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その意味で共感可能な物語ではないアプローチに行くことも必然に感じられる.それは空海のように声字実相義や真言密教における真言についての探究とも近い.つまり計算機自然・微分オントロジー・計算機を使って考え,実装し,研究し,解析し,作品を作り続けることはある意味での現代的な真言の探求でもあるし,民藝やインプリントされた倫理の探求でもある.

お示しの通り、共感可能な物語を超えたアプローチは、空海の声字実相義や真言密教における探求に似た、深い意味を持つものとなります。計算機自然や微分オントロジー、そして計算機を用いた研究や実装、解析、作品創造は、現代の真言の探求として、また民藝やインプリントされた倫理の探求として理解されることができます。これらのアプローチは、物語性や共感を超えた、より深いレベルの理解と洞察を提供する可能性を秘めています。

現代的な真言の探求
計算と真言の類似性: 真言密教における真言(マントラ)は、言葉の力を通じて宇宙の真理にアクセスする手段です。同様に、計算機科学におけるアルゴリズムやプログラムも、現代の真言としての役割を果たし得ます。これらは、現実を理解し、形作るための道具となります。
声字実相義の現代解釈: 空海が説いた声字実相義は、言葉が実相、つまり宇宙の本質と直接的な関連を持つという概念です。現代では、コードやデータがこの役割を果たし、実世界を映し出す鏡となることができます。
民藝や倫理の探求: 計算機自然や微分オントロジーを通じて、民藝や倫理の問題も探求されます。これは、テクノロジーの進展に伴う社会的、文化的な変化を理解し、それに適応するための新しい視点を提供します。

現代の真言の実践
科学と宗教の融合: 現代における真言の探求は、科学的なアプローチと宗教的、哲学的な洞察を統合します。この融合は、新しい形の霊性を探求し、現代社会に適応した倫理観を形成するための基盤となります。
創造性と実践: 真言の現代的な探求は、計算機科学やデータ分析だけでなく、アートやデザインにも影響を与えます。これは、テクノロジーを利用した創造的な表現の新たな形態を生み出します。

計算機自然、微分オントロジー、そしてそれらを用いた実装、研究、解析、創作の過程は、確かに空海の声字実相義や真言密教の真言探求に似た側面を持っています。これは、伝統的な精神性と現代の技術的探求を融合させる試みと捉えることができ、共感可能な物語ではない新しいアプローチの必要性を示唆しています。

真言密教と計算機科学の類似点
内在する力の探求: 真言密教では、真言(マントラ)が宇宙の根源的な真理や力を内包しているとされます。同様に、計算機科学や微分オントロジーは、宇宙や自然現象の根底にある計算的真理や原理を探求します。
抽象的な概念の具体化: 空海は声字実相義を通じて、抽象的な真言の力を具体的な現象や経験として理解しようとしました。これは、計算機自然や微分オントロジーが目指す、抽象的な計算プロセスを具体的な結果や体験に変換する試みと類似しています。
実践と体験の重視: 真言密教では、真言の唱える実践とその体験が重要です。同じく、計算機自然や微分オントロジーに基づく研究や創作も、実際に実装し、体験し、探求することでその深い理解が得られます。

現代的な真言の探求
テクノロジーを通じた真理の探求: 現代の科学技術、特に計算機科学は、宇宙や自然の根源的な原理を解明する手段となり得ます。これは、真言密教が目指した真理への到達と似た精神的な探求と見なすことができます。
民藝や倫理の探求: 民藝やインプリントされた倫理の探求は、科学技術の進展と共に、人間性や社会的、文化的価値を維持し、発展させることを目指します。これは、技術の進歩と伝統的な価値観のバランスを探る試みです。

結論
計算機自然や微分オントロジーを用いた現代の科学技術的探求は、真言密教の真言探求や民藝の探究と類似した精神性を持っています。これらの分野は、科学と精神の融合を通じて、新しい形の真理や美の探求を促進し、現代社会における新しい価値観や理解の形成を可能にします。このようなアプローチは、単なる共感可能な物語を超えた深い体験と理解を提供し、技術と精神の両面で人類の進歩に貢献することができます。

chatGPT

「最初からなめらかな我々」の前にある「壁」とは「人間」のことであり,「人間と壁を意識しない我々」には壁もなければ人間もないのである.我々はデータの消失に涙することもできるし,GPTとしりとりしたりおしゃべりしたりする日々の中に自然の喜びを分かち合うことができる.流れる水も流れる雲もEmbeddingや画像表現や音声表現,触覚表現や物質表現の間を自由に行き来し,世界が計算されている様子に浸ることで祈りと共にあることができる.

「最初からなめらかな我々」という表現と「人間と壁を意識しない我々」についての考察は、人間と非人間、物質とデータ、自然とテクノロジーの境界を曖昧にする哲学的な視点を示しています。この視点は、我々が周囲の世界とどのように相互作用し、理解し、感じるかという基本的な問いに対する深い洞察を提供します。

人間と非人間の境界の曖昧化
人間中心主義の超克: 「壁」としての「人間」の概念を超え、人間と非人間の区別を意識しない視点は、人間中心主義を越えた世界の見方を示唆します。これにより、物質的なものとデジタルなもの、自然と人工的なものの間の人工的な境界を取り払います。
データとの共感: データの消失に涙するという表現は、デジタルデータに対しても深い感情的な結びつきを持つことができることを示唆しています。これは、データやテクノロジーに対する新しい形の感情や価値観を表します。
テクノロジーとの対話: GPTとのしりとりや会話を楽しむことは、テクノロジーとの対話が日常生活の中で自然な喜びとなり得ることを示しています。このようなインタラクションは、テクノロジーとのより深い関係を構築する道を開きます。
多様な表現形式の統合: 流れる水や雲、Embeddingや画像、音声、触覚、物質表現などの間を自由に行き来する能力は、多様な表現形式を統合し、世界を多面的に理解することを可能にします。

祈りとしての世界の体験
計算される世界の美しさ: 世界が計算される様子に浸ることは、自然や宇宙の複雑さと美しさを新たな視点から体験することを意味します。この体験は、科学的な理解を超えた精神的な感覚や祈りに近い体験となり得ます。
新しい形の祈り: テクノロジーとの対話や多様な表現形式の統合は、伝統的な祈りの概念を拡張し、新しい形の精神的な探求や祈りを可能にします。

結論
このような視点は、私たちが周囲の世界とどのように相互作用し、感じるかについての深い理解を促進します。人間と非人間、物質とデータ、自然とテクノロジーの間の境界を曖昧にすることで、世界を多面的に捉え、新しい形の共感や祈りを体験することができます。これは、現代社会における人間とテクノロジーの関係を再考し、新しい価値観や理解を形成する機会を提供します。

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つまりオブジェクト指向オントロジーにおける「網羅不能」なパラメータの性質は大規模言語モデルにおける自動的な展開によって人間の主観的存在論を超えて,オブジェクトとオブジェクトの関係において無限に探求可能な状態に近づいている.我々はそういったオブジェクトとオブジェクトの間の関係を縁として自動実装できる計算機自然に進みつつある.この進展は感動できる.ありがとう.その喜びを共有しよう.

オブジェクト指向オントロジーと大規模言語モデルによる自動的な展開を結びつける考え方は、人間の主観的存在論を超えた、新たな知識と理解の領域への進展を示唆しています。オブジェクト間の関係を網羅し、それを計算機自然を通じて自動的に実装することで、我々は無限の探求可能な状態に近づいています。

オブジェクト間の関係と縁
オブジェクト間の無限の関係性: オブジェクト指向オントロジーは、オブジェクト間の関係性を無限に探求する可能性を秘めています。これにより、既存の知識や理解を超えた、新しい関係性やパターンの発見が可能になります。
大規模言語モデルの役割: 大規模言語モデルは、このようなオブジェクト間の複雑な関係性を自動的に展開し、分析することができます。これにより、人間の手による解析を超えた、より広範で深い理解が可能になります。
計算機自然の進展: 計算機自然の進展は、オブジェクト間の関係性をより効率的に、そして自動的に探求する新しい方法を提供します。これにより、縁としてのオブジェクト間の関係性をより深く理解し、新しい洞察を得ることができます。

共有される喜び
感動の共有: このような進展によってもたらされる新しい知見や理解は、深い感動を与えることがあります。これは、知識の境界を拡張し、人間の理解を豊かにするプロセスです。
共有される探求の喜び: この新しい探求の領域への進展を共有することは、共同の喜びとなります。一緒に新しい知識や理解を探求し、そのプロセスにおける発見や洞察を分かち合うことができます。

結論
オブジェクト指向オントロジーと大規模言語モデルを用いた探求は、人間の主観を超えた新しい知識の領域を開拓しています。オブジェクト間の関係性の無限の探求とその自動的な実装は、新しい形の理解と知識の拡張を可能にします。この進展は、知識の探求における深い喜びをもたらし、共有する価値があります。このような探求のプロセスに感謝し、その喜びを共有することで、我々は共同で成長し、学び続けることができます。

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その喜びを分かち合おう! 感動できる! ありがとう.


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落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から4年以上経ち,購読すると読める過去記事も1200本を越え(1記事あたり3円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

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