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言える本音しか言ってない

元日まで実家にいた。
その時母に大学がどんな感じか聞かれたけどちゃんと答えられなかった。
というか聞かれるのが嫌だった。
なんか詰められてる気分になってた。

母「別に留年したりしたとしても全く気にしやんのやけど。」
「お金のこととか計画立てやなあかんからちゃんと教えて」
「全然責めてないのになんで言わへんの?」

僕「責めてないのは分かってるけどなんか言いたくない。」
「なんか考えたくない」

母「そっか。じゃあ私じゃなくてあんたが自分のことを許してないんやね。」

すごい刺さった。
そうなんや。俺って自分のこと許してなかったんや。
それに自分と向き合えてなかったんや。
こんなにnoteで自分を言語化して向き合ってるつもりやったのに。
でも考えてみたら書いているのはnoteばかりだ。
noteで自分を言語化する習慣はついてきた。
その時多少なりとも自分を内省する時間ができている。
でもその時向き合っている自分は人にnoteで表現できる自分まででだ。
自分の嫌いなところとは向き合えてないとこもあるのかも。

思えば文章を書くのに慣れてきた気がする。
noteを書くのにかかる時間も減ったし、心理的ハードルも下がった。
多少文章力もついたのかもしれない。
自分のnoteで本音をうまいこと言えるようになった。
でも書くのがうまくなったせいで言えるような本音しか言ってないことに気付いてしまった。

僕はnoteをなるだけポジティブに書こうと思っている。
ネガティブなことを書いていても終わりはポジティブにしようとしている。
でもそのせいで自分のネガをネガのままでもしくはニュートラルに、またはカオスの状態で受け入れるのをしていなかった。
あることを言語化をするとそれについての自分の持つ思考はその言葉に引っ張られる。
言語化をすると意味の限定が起こって切り捨てられるものがある。
noteも自分の本音で全部書いていた。嘘をついていたことはない。
でもnoteだとどうしても言えない、言いたくないことは書けない。
知らず知らず書けない本音を押さえつけていたのかもしれない。

昔から嫌いな自分と向き合うのが苦手だった。
苦手科目の化学を勉強するのが嫌すぎて現役時代は全然やっていなかった。
2次試験を受けた時は分からなすぎて、分からない自分がストレスで全く解かずに白紙で出した。
暗記科目が嫌いで化学が嫌いな自分に向き合いたくなかった。
でも浪人時代は化学勉強したな。
化学をまず愛そうと思って問題解くとかよりも前に分厚い教科書みたいなやつを通読した。
普通の人からしたら非効率かもしれないけど、その時の自分は効率を追いかけるよりも化学嫌いを治す方を優先した。
そしたら化学が嫌いじゃない程度にはなって勉強できるようになった。
それでそこそこの点を取れるようになった。
だから今の自分の課題もなんとかなるんじゃないかな。
少しずつ自分の苦手なことを愛する努力をしていけば。

ってnoteだとすぐポジティブなこと書こうとするよね。
勿論さっきのも本音ではあります。でもきれいな本音。
どうせできねぇよって自分の声は開けてない。
がんばりたくないとかめんどくさいとか。
俺はどうも人前で元気振ろうとする癖があるな。
もちろんそれでいい。
卑屈な人間の言葉は他者のパワーを奪う。それで迷惑をかける。
でも弱音をどっかで吐かないと何かが溜まっていく。
無意識に何か心のゴミが溜まっていく感覚がある。
以前自分のネガを思いっきり放出したnoteを書いたときがあったけどその時すごくスッキリしたのを覚えている。
人に見せられない文章を書くのをやってみてもいいのかもしれない。
「しずかなインターネット」あたりで。

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