見出し画像

向こうの世界 第3回

 翌週の月曜日。
 
 急行の通過待ちのためにホームで待機しているいつもの各停電車に、いつもと同じドアから乗り、吊り革をつかんだ。電車がまだ止まっているのに吊り革をつかんだのは、あと三分もすれば混雑がピークに達し、つかまるところがどこにも無くなってしまうからだ。
 
 窓越しに見える駅のポスターが、東北の温泉地のものに変わっている。先週まで貼られていたどこかの遊園地のポスターには、赤いビキニ姿の女の子がウォータースライダーをバックにプールサイドではしゃいでいた。今日からのポスターには胸までタオルを巻いた二人の若い女性が湯気のたちこめる温泉につかっている。ポスターの下部には東北新幹線の写真があった。
 
 その新幹線の写真を見たら、何だか急に秋になったような気がした。もう秋か、今年の夏はあまり暑くなかったな、などと考えていたら、ホームの反対側を急行列車が猛スピードで走り抜け、一瞬感じ取れた僕の秋は新宿方面へと連れ去られてしまった。
 
 車両が満員になったところで発車のベルが鳴ってドアが閉まり、電車が動き出した。どこにもつかまらずに夢中になって漫画を読んでいたおじさんがよろけ、倒れながら藁をもつかむような形相ですでに他のおじさんがつかんでいる吊り革の上の部分をつかんで体勢を立て直し、すいません、と恥ずかしそうに言っていた。
 
 発車してしばらくしてから、視界の隅に視線を感じたのでそちらを向くと、ドアの前に立っている眼鏡をかけたおじさんがこちらを見ていた。おじさんの視線の先は僕の頭上にある中刷り広告にあった。短冊をいくつも並べたかのように見出しの並んだ週刊誌の中刷り広告は、政治家の汚職や俳優の不倫、アイドルの性癖暴露などのどうでもいい内容ばかりだった。だが見出しの一つを読むとすべてを読まなければ気が済まず、端から順番にすべてを読み終えたときには電車が二駅を通り過ぎていた。その見出しの中に「迫りくるXデー、株式市場大暴落の日は近い!」というのがあった。その見出しを見て、社会に出て働く前から不思議に思っていたことを思い出した。
 
 それは、なぜこんなにも毎日電車がすし詰めになるほど多くの人間が朝から晩まで働いているのに、世の中の景気は良くなったり悪くなったりするのだろうという疑問だ。
 
 学生時代にはマクロ経済の複雑な数式に苦労させられたものだったが、どんなに優秀な経済学者であっても景気を良くすることなどできた者はいない。では何のための経済学なのだろう。株価が大暴落とは言うが、それではこの満員電車はいったい何のためにあるというのか。就職して毎日満員電車に乗るようになっても当然のことながらこれらの疑問は解けず、人々の努力に見合う成果が形として現れない最も象徴的なものが景気と呼ばれるものなのではないかと思うようになった。
 
 「景気」という言葉は曖昧で実態の無いものにもかかわらず、経済状況を表す概念としてビジネスや政治の世界では重要なキーワードとして扱われる。実は曖昧な言葉だからこそ、あえて重要な言葉だということにして都合よく使われているのかもしれない。だいたい、何をもって景気が良くなった、悪くなった、ということになるのかが僕にはわからない。景気の浮き沈みに応じて毎朝乗る電車の混雑度が変わるということにでもなれば、「景気」というものをとても身近に感じることができるのかもしれない。
 
「今月は株価が低迷しているので山手線は混雑することでしょう」

 この方が、銀行の金利や土地の値段の上下が語られるよりも遥かに現実味がある。そして景気が良くなるということは、人々の暮らしが楽になるということでなければおかしい。働けど働けど我が暮らしが楽にならなければ皆がじっと手を見ることになってしまう。ならば景気が上向けば通勤電車の混雑度は下がるはずだ。
 
「昨夜のニューヨーク株式市場ダウ平均株価終値は前日比二百ドル高でした。今日の小田急線はガラガラで快適でしょう」

 こうして無意味な思考を頭の中で廻らせる。考えても仕方のないこと、非建設的なこと、それでいて楽しいこと。そういうどうでもいいことを毎朝の通勤電車の中で考えるのが好きだ。
 
 満員電車の中では身体を自由に動かすことができない。電車の揺れに身を預け、自分の周りにいる、自分と身体が密着してしまっている人々と一緒に、電車の揺れに合わせてまるで海流に揺られる昆布のようにゆらゆらと揺られる。満員電車の中では電車の揺れに合わせて揺られる方が身体的には楽だ。無駄な体力を消耗せずに済む。電車の揺れに身を預け、頭の中では「考えても仕方の無いこと」を考える。目を瞑って妄想する。満員電車の中というのは考えようによってはもの凄く自由な空間なのではないかと思う。
 
 多くの人が急行に乗り換える駅に電車が到着したとき、僕の前に座っていたおばさんが降りた。僕は急行に乗り換えるのを止め、まだおばさんの温もりの残る座席に座って目を閉じ、新たな妄想を始めた。

 
 電車が走り出すのと同時に、僕が乗っている車両の屋根が開き、車内が一気に明るくなった。空が見える。朝の透き通った青い空に、白い雲が点在している。空が見えることに周囲の人達は気付いていない。電車が離陸した。線路を走る音が聞こえなくなり車内が急に静かになった。電車はどんどん高度を上げ、高度三千メートルに達したところで隣の駅に着いた。空中に住む人間が乗り、空中で働く人間が降りる空中の駅だ。とても静かで、吊り革のベルトが軋む微かな音や誰かが新聞をめくる音しか聞こえない。ベルが鳴ってドアが閉まり、再び電車が発車した。今度は高度三千メートルを維持しながら次の駅へと向かっている。すると僕の座っている座席だけがだんだんと浮き出し、僕は座ったままの姿勢で電車の屋根よりも上に出てしまった。僕の座席は一本のロープで車両と繋がれ、空中を走る電車の上をパラグライダーのようにゆらゆらと飛んだ。遠くに隣の駅が見える。ずっと下のほうには町や川が見え、地平線には山が、水平線には船が載っている。僕は点在する雲に何度も身体ごと突っ込んでは抜け出す。雲の中は冷蔵庫を開けたときに出てくる霧の様にひんやりとしていて気持ちがよかった。
 
 そのとき、車両の端にある優先席の方から「グォーッカッ!」という動物の泣き声のような音が聞こえてきた。止まっていた呼吸が突然始まり「グォー!」で息を吸い、吸った息を吐く動作に切り替えたときに「ッカッ!」と鳴ったようだった。睡眠時無呼吸症候群というやつだろうか。優先席はお年寄りやお身体の不自由な方にお譲りする席だが、睡眠時無呼吸症候群患者もお譲りされるとは知らなかった。
 
 僕は空中から車内へと引き戻され、電車は再び地上を音を立てて走り始めた。グォーッカッ! の後にいびきは聞こえてこなかったが、代わりに携帯電話の着信音と、電話に出る大声が聞こえてきた。
 
「はい! はいはい! 今ですか!? 今ちょっとわかんないんですけどもうすぐ着くと思います!」

 僕の妻は妊娠中、電車に乗るときには絶対に優先席には行かなかった。若くて健康なのに優先席に座るような人種は、目の前に年寄りが立とうがケガ人や妊婦が立とうが席を譲らない。優先席以外に行った方がよっぽど席を譲ってもらえるからだそうだ。確かに、席を譲るような親切な人は初めから優先席には座らない。
 
 電車が会社の最寄り駅に着いた。僕は電車から降りるために人を掻き分けてドアへと向かった。すると優先席の方から体重が百五十キロはありそうなカバのような男が出てきて、ドア付近にいた人々を押しのけ電車を降りていった。僕はそのカバの作った道を利用してすんなりと電車を降りることができた。
 
 カバは自動改札へと歩きながらネクタイを首に巻きつけようとしている。原型を留めていないスーツの上着は左の肩に掛けたリュックサックに引っ張られて今にも脱げそうだったが、傾けた上半身の角度と脇腹の脂肪の膨らみによって不思議な均衡を保っていた。さっきのグォーッカッ! も携帯電話も絶対にこのカバだ。カバはスイカの残高が足りなかったらしく、ちゃんと自動改札で止められていた。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?