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向こうの世界 第6回

 なぜ正月を祝うのか。秋にはなぜ祭を行うのか。由来さえあれば誰もそれらを疑問視しないのと同じように、創業以来続く毎週月曜恒例の全体朝礼が今朝も行われた。いつものように六階にある四つの会議室がぶち抜かれ、本社の全員が集まり、総務部がビールケースで舞台を作り、財務部長が先週の売上げと今週の目標を報告し、今週順番の回ってきた社長の弟の副社長がスピーチを行った。

 今朝のスピーチは世界中で製品を売る海外の大資本企業がそのスケールメリットを活かし、安価な製品を日本国内で売り始めたことより今後訪れるであろう我が社の危機、といったような内容で、メガ企業、メガバンク、メガヒットなどやたらと「メガ」という単語が使われていた。メガは本来、千を表す「キロ」の千倍、つまりは百万を表す言葉だが、単語の頭に「メガ何々」と付けることで「とても大きい何々」と表現することができる。副社長はこの言葉を使うことで、最新のトレンドに敏感である姿勢を表そうとしたのかもしれない。副社長はさらに、世界市場を制覇しようとしている白人資本の大企業がやっていることは二十一世紀における帝国主義だ、などといった持論を展開した。

 創業者の弟というだけで現在の地位にいる副社長は経営者としての能力は低いのかもしれない。だが持て余した時間と金で膨大な趣味の時間を費やして来たに違いないこの現代の貴族は、その人柄から社内での人気は高かった。

 そんな副社長のスピーチが偽りのない拍手と共に終わると、まだ司会の総務部の係長が何も言わないうちから町山常務と田丸が舞台に上がり、その面白親子のような二人に続いて完熟メンバー全員がぞろぞろと舞台に上がった。そして全員が舞台に揃って横一列に並んだところで町山常務がマイクの前で話し始めた。

「みなさん、おはよう、ございます。突然で、申し訳、ありません。いい、機会では、ございますので。完熟活動の、中心的な役割を担います、完熟メンバーを。紹介させて、いただきたいと。こう、思うわけで、あります」

 副社長のスピーチと共に気持ちよく終わりかけた朝礼が溜息と共にぶり返し、会場が一気に重苦しい雰囲気に包まれた。

「許された時間も、短い、ことですし。皆様を早く、業務にお戻し、しなければ、なりませんので。一人ずつ、簡単に、自己紹介、しましょう。皆様。メンバーの。顔と、名前を、覚えてやって、ください」

 町山常務がそう言い終えると、十五名の完熟メンバーが端から一人ずつ順番に自らの部署名と名前を言った。一通りの自己紹介が終わると町山常務がマイクの前で再び話し始めた。

「以上が、これから先、青りんご産業の未来を、担う、ホープ、です。完熟活動を通じ。会社をどんどん、よくして、いってもらいたいと、思って、おります。先週も、ですね。金曜に。完熟メンバーの初授業が、あった、わけです。その場でですね。従来、午後四時から、壁に貼っていた、メールを。今後は、朝九時から、一時間おきに、貼ることに、しょうと。そういう提案が、メンバーから、出た、そうです。私は、その話を聞いて。なるほどと。そうすれば、メールの内容を、確実に、確認できる。それに、非常に、タイムリーだと。えーさらに。業務と完熟活動の、両立を。より一層、実現する、アイデアだと。とても、感動、いたし、ました。やはり、こういったことに、気付くことが、大切です。「気付き」を得る、ことこそが。この活動の、本質だと、思う、わけで、あります。小さな改善の、積み重ねが。企業を、良く、していくのだと。私は、信じて、おります」

 その後も町山常務は完熟活動の意義と成果を主張した。要するに完熟活動は大変意義のある活動であり、その活動を推進している自分こそがこの会社の経営者にふさわしいと、そういうことを言いたいようだった。副社長の姿はすでに朝礼の会場から消えていた。田丸は風の強い日の高層ビルのように、やはり前後左右にゆっくりと揺れていた。盛大な偽りの拍手と共に町山常務の飛び入りスピーチが終わり、町山のスピーチと共に朝礼が終わった。そしてまた一週間が始まった。


 席に戻って朝のメールチェックを始めようとしたら、谷川さんが壁にメールを貼り始めていた。午前九時半。あれは九時の分だろうか。それとも十時の分だろうか。谷川さんは先週金曜の集まりを欠席したせいで、壁貼りのルールが変更になったことを知らなかったのではないだろうか。だからあれはきっと九時の分だ。

 ハートのたくさん描かれた青いポーチを持った高木ちゃんが席に戻って来た。朝礼が終わってからトイレや他部署に寄り道をしてようやく四階に辿り着いたのだろう。

「おかえり。朝礼面白かったね。やっぱ俺は副社長好きだなあ」

「そうですね、一度は副社長と飲みに行ってみたいですよね」

 お互い町山常務の話題は出さなかった。出しても面白くないからだ。

「飲みに行く」で思い出した。高木ちゃんの予定もあることだろうから、焼鳥屋の件を早めに片付けておこう。それに月曜の朝に金曜の夜の話をするのは楽しい。

「飲みに行くと言えばさ、駅前にできた焼鳥屋ってもう行った?」

「あ、グンケイニク、ですよね。まだなんですよ。凄い名前なので気にはなってるんです。あそこって自衛隊関係のお店なんですかね?」

「あれはシャモだよシャモ、シャモニク。軍鶏は鳥同士を闘わせる闘鶏のための品種だから筋肉が締まってておいしんだよ。自衛隊は関係ないよ」

「へー、あれでシャモって読むんですね。闘鶏なんてあるんだ、闘犬なら知ってますけど。じゃあ闘犬用の犬もおいしいんですかね? 土佐犬とか」

「知らないよ犬は」

「どっかに土佐肉って名前の店ないですかね」

「で? 行くの? 行かないの?」

「何だかおもしろそうだから行きます。行ってみたいです」

「じゃあ今週末行こうよ。中西さんと行く約束してるんだ」

 高木ちゃんの顔が一気に暗くなる。

「えー、中西さんが行くのか、どうしようかな。何か暑苦しいんですよねあの人」

 そうだ、その中西さんに誘えって言われてるから誘ってるんだ。別に来たくなければ来なくてもいい。

「そうだ、谷川さんも行くならあたしも行きます。話まとめといてください」

 そう言って高木ちゃんはトイレに行くと言って行ってしまった。まだトイレに行ってなかったのか。まったく何がグンケイだよ。自我だ何だって偉そうなこと言う前に、一般常識を身に付けろ。

 しかし谷川さんを誘うとなると中西さんが何と言うか。最後にあの二人と同じテーブルに座って飲んだときは、確かまだ中西さんが商品企画部にいた。あれから二年間、あの二人が仕事以外の話をしたところを見ていない。今あの二人と飲みに行ったらどんな会話をするのだろう。それに谷川さんがどういう考えで完熟活動に参加しているのかも聞いてみたい。焼鳥屋でテーブルを囲むことができればさすがに谷川さんも話さないわけにはいかないだろう。意外にも高木ちゃんは名案を出してくれたようだ。僕は谷川さんにメールした。

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《谷川殿

お疲れ様です。坂本です。
最近駅前にできた焼鳥屋「軍鶏肉」に、今週の金曜日に行く予定でいます。
メンバーは中西さんと高木さんと私です。
初めは中西さんと私の二人で行く予定だったのですが、中西さんが高木さんを誘えと言うので誘ったら、高木さんには谷川さんを誘えと言われました。

だから誘っています、ぜひ来てください。

以上、よろしくお願いします。

坂本》
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 午前中のうちに、ラベンダースナックのパッケージデザイン決定の通知をメールで出した。いくつかの指摘事項が返信されて来たが、すでに解決済みの案件について、解決したことを認識していない管理職からの指摘だったので問題は無かった。なぜこの会社では商品企画部だけでパッケージデザインを決めることができないのかがまったく腑に落ちないが、とにかく関連部署の合意を得ることはできた。これで予定通り十月四日に出荷ができる。金曜日の飲み会はラベンダースナックの発売記念も兼ねようという話で高木ちゃんと盛り上がった。

 昼休みが終わる直前に谷川さんから返事が来た。金曜日は出張だけど、帰り道だしあの店は気になってたから行く。どうせなら木村も誘ってあげなよ、とのこと。よく考えれば、谷川さんが来るから高木ちゃんが来るんだ。谷川さんを呼ぶことについて、中西さんには文句を言わせない。僕は中西さんにメールした。

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《中西殿

お疲れ様です。坂本です。
今週末こそ焼鳥屋行きましょう。というか、あそこ軍鶏の店みたいなので、メインは鍋かもしれません。
高木ちゃんも誘っておきました。OKもらってます。
高木ちゃんの要望で谷川さんも誘いました。
谷川さんの案で木村も連れて行ってやることになりました。
五名で予約入れておきます。
文句があるなら木曜の午前中までにお願いします。

以上。

坂本》
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 送信ボタンを押したところで昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴り、天井の蛍光灯が一斉に点いた。僕は机の引き出しからコーヒー豆とペーパーフィルターを出し、ペーパーフィルターの淵を折ってドリッパーにセットしてからコーヒー豆を入れ、給湯室へ行こうと立ちあがった。そこへちょうど中西さんからメールの返事が来たので、ドリッパーを載せたコーヒーカップを左手に持ったまま椅子に戻りメールを開いた。 

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《坂本殿

了解。ご苦労であった。

中西》
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 不気味な短いメールを確認してから、僕は再び立ち上がった。給湯室へと歩きながら、木村はどうせ暇だろう。トイレで顔を合わせたときにでも誘えばいいか、と思った。

つづく

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