人生のB面について

 いつだったか、松任谷由実のアルバム『昨晩お会いしましょう』について「『守ってあげたい』の後に『カンナ8号線』がくるのは唐突じゃない? ここだけベスト版みたいだよね」と母に話したら、LP盤だと『守ってあげたい』がA面の最後の曲、『カンナ8号線』がB面の最初の曲なのだと教えられた。平成生まれでレコードと縁のない生活をしてきた私は、同作のCD盤しか手に取った経験がない。時間が経って渾然一体となった物にも、目を凝らしてみれば接続の跡がちゃんと残っているのだと、このときに気がついた。
 そもそも、線的な「接続」という表現はふさわしくない。A面・B面とは、独立した1枚のレコード盤の表裏を指す言葉なのだから。

 どうやら人生にもA面とB面があるらしい、と意識しはじめたのは、昨年の春に転職をして、しばらく経ってからだった。
 今の職場では上司や先輩がお子さんの話をよくする。「来週、下の子の授業参観なので休みます」といった事務的な情報から、こちらは「大変ですね……」としか言いようのない、子どもたちのパーソナリティに踏み込んだ悩みまで。当たり前だけど、みんな職業人と家庭人の両面を持ち合わせている。会社の様々な福利厚生も、A面(仕事)とB面(家庭)の併存を前提に構築されている。家庭人としての面を互いに慮ることは、風通しがよく働きやすい職場づくりに繫がるし、人の家族の話はよほど深刻な内容でない限り大体面白いので、私も輪の中に入って聴くようにしている。

 ただし、ここでの「家庭」は、そこそこ健康な男女が法律上の夫婦となり、子育てをしている、あるいはしようとしている状態に限定される。
 私は未婚で異性のパートナーと同棲しているが、保守的風土の根強い勤め先では言い出せず、未だに一人暮らしの設定を貫いている。つまり、実際にはB面の暮らしがあるにもかかわらず、A面オンリーでやっています、B面への配慮は不要です、ということにしている。音楽の録音メディアに無理矢理喩えるなら、同棲は隠しトラックに相当するだろう。つまり、激シブボーイズ、オトガメハートなのである。

 とはいえ「配慮は不要です」の、ワーカホリック系独身スタイルを演じきれないときもある。
 ある日、朝から同居人が激しく嘔吐していた。熱もありそうだった。その辛そうな様子を見て迷ったが、自分の体調不良を理由にして休むと誤解を招きそうなので出勤することにした。しかし、電車に乗りながら考えた。家の病人用の食品ストックはOS-1が2本あるだけ。それだけで夕方までやり過ごせるとは思えない。この時点で早退を決心したが、職場に到着するまでにうまい理由をでっち上げなければならなかった。「実家の親から体調不良の連絡があって~」にするか? いやいや、そんなことを言ったら余計な心配をかけるし、それに応じるためにしばらく演技を続けなければならない。結局、良い感じの嘘が思い浮かばなかったので「かなり深刻そうな表情と声で『急なことで申し訳ありません。正午で早退させていただきます』と言う」で手を打った。

 周りを見渡すと、同棲あるいは事実婚の状態で生活している人たちは意外と多くいるようだ。「ようだ」なのは、その人たちと私が特別親密でない場合、その実態がはっきりと明言されることはないので、「夫」や「妻」が使われるのが自然な場面でその他の言葉が代入されたときに、関係を察する以外に判断のしようがないからである。
 異性間のパートナーシップで同棲状態を選択する理由は、人それぞれにあるだろう。けれども、私個人には理由が特にない。結婚してもいいし、しなくてもいいと思っている。今の勤め先では旧姓が使えるから改姓に抵抗はないし、反出生主義というわけでもない。かといって、積極的に結婚を推し進める動機はどこにもないので、現状維持で生活ができればいい。

 しかし、このままやっていくのが不安になることもある。
 他愛ない会話の中で、未婚あるいは子どものいない女性の多い組織の話題になったときに、その場にいた人が「皆さん、バリバリですね!」と言ったのを聞いて、内心大きなショックを受けた。そうか、私はこれから「バリバリ」を一生やっていかなくちゃいけないのか。取り立てて優秀でなくても、病気をしたり、努力を怠ったりすれば、たちまち居場所を失うのだ。
 ただ、結婚や子どもがそこからの逃げ場であっていいはずがない。同い年くらいの人から不妊治療の話を聞くこともある中で、選び取れる選択肢はそれほど多くはない。だったら、「バリバリ」働く覚悟を決めるのが一番生きやすいのかもしれない。

 同棲にまつわる個人的なことをつらつらと書いてきた。上に挙げた面倒事の多くは、法律婚によって解消されるだろう。無気力無目的人間の私は勝手に苦労していれば良いだけだ。しかし、同性間のパートナーシップや夫婦別姓で生きたい人たちには法律婚の権利が保障されてほしいと、自分自身の経験があるからこそ、心から思う。

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