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双子の姉ができた

姉ができる…っておかしくはないですか?
妹ならまだしも、姉

それは母が『ママ』をやっていたスナックでの出来事

 家賃の安いススキノのはずれに店を移転して、お客様の入りもだんだん悪くなってきた頃、じいちゃんが癌で突然亡くなった
 母はもちろん、私にとっての父でもあるじいちゃん…
兄にとってもそうに決まっている
 皆、泣きたくて泣きたくて仕方がなくて涙を流したものの、母が自分だけが悲劇のヒロイン化してしまい、泣くのを堪え、辛さも倍になった
店も数日閉めたが、なぜか「こんなに早く開けちゃうの?」というくらい早々と店を開けてしまった

店から帰ると仏壇の前で、母は「おとうさ~ん!」と大声で泣く毎日が続く

 その頃から、店でのママの酒の飲み方が変わった
だらしなく酒に飲まれる、荒れる、絡む、目も当てられない
女の子にも辛く当たり放題
私がレギュラーで働くようになった頃だったので監視役を務める事にもなる
 ママは、お客様の前でも泣きじゃくるので割って入り「すみません」「ごめんね」と謝り倒して裏に連れていき、無理やり水を飲ませて泣き止むまで出てくるなと言った
そんな毎日の繰り返しだった

やっと母の酒癖が収まったと思っていた矢先の出来事…

兄が急性骨髄性白血病になった

分かった時点で私も母も静かに泣きくれた 

「終わった…」
私の中では正にお仕舞いだった
じいちゃんも居ない、お兄ちゃんも居ないなんて生きていけない…
愛してくれていたたった2人の人がいなくなる、寂しすぎる…
でもその時には私にもお兄ちゃんにも子供がいた
守るべき人がいる
 兄は嫁と娘、私はシングルで息子が一人ずついた、歳は同じ
その頃は2歳くらいだったと思う

 だが、主治医の話によれば兄妹(兄弟)間の骨髄の適合率が一番高いらしく、合えば移植できるらしい
親は他人と同じレベルの率らしい
私はもちろん検査をする事になった
それにかけるしかない
「合うな」と私はなにか分からない自信と言うか、確信があった

検査結果…

【適合】

やっぱりな、と普通の事の様に思った

それからは目まぐるしい日々が始まった
仕事、家事に育児、みんなが放置している事が分かったばあちゃんへの朝食の菓子パンとコーヒーゼリーのお届け、そして大好きなお兄ちゃんの所へお見舞い…とこなした

でも心は辛くはなかった、体は別として

 夜は、生活の為に21時に息子を寝かしつけてから義父に頼み店に毎日ではないが出ていた
昼、夜の仕事をしていく
何がキツイかと言えば、前よりも酷いママの酒癖の悪さ…
けれど、もうその頃店が辛すぎたせいか、なんだか記憶が飛んでいる事が
結構な率で出てきた

「ジュンがしっかりしてくれるからママも何とかなってるのは分かってる」とママが言う
「ジュンちゃん毅然と頑張ってるな、ママはだめだな」とお客様

そうなんだろうか…
記憶か欠けている…
他の記憶はある

ある明け方、夢を見て自分の寝言で目が覚めた
「だって全部なんてできないよ」「でもジュンコがやらなきゃ誰がやるの」
「ママがジュンコの言うこと聞かないもん」「でもやらないとだめだよ?
そうでしょ?」「でも…」

ハッとした
私と同じ顔の夜の恰好をした、姉のように毅然とした態度の女の人と会話をしながら寝言を言っていた

もう一人、二人目のジュンコと出会った
合点がいった
キツイ夜にはこの双子の姉が役割をしていてくれていたんだ
その時には3歳の当時一緒に遊んだジュンコも、3歳の恰好のまま勿論
まだ居た
けれど姉は『交代』と言う手段を使って、私の体を使って私自身を眠らせた

ややこしいかもしれないが、こういった事を【解離性同一性障害】いわゆる【多重人格】と言う

3歳の頃はみんながそんなものだと思っていたが、この姉の登場で気が付いてきたというわけだった

これで二人目…
その時はそう思い込んでいた…



           


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