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作業療法士免許1000万時代

平成一桁時代、それは作業療法士(OT)バブルの時代だった。

ある作業療法士Aが、妊娠をきっかけに身体障がい領域の病院を退職した。退職から程なくして、精神病院の理事長と事務長が、菓子折りを持って、Aの自宅を訪ねてきた。理事長と事務長は、平身低頭してAに頼み込んだそうである。

「お願いします。うちの病院に来ていただけませんか?重度認知症デイケアを立ち上げたいのですが、作業療法士を募集しています。できれば、A先生のような、ベテランに来ていただきと思いまして、こうして参上いたしました。身重でいらっしゃることはよく承知しております。こちらでは、出来る限りの配慮をさせていただくことをお約束します。お体に障るといけませんので、出退勤は、タクシーを手配しますし、こちら(職場)に来て戴いた後は、横になって休んでいらっしゃっても結構です。どうかお力をお貸し願えませんでしょうか?」

要約しよう。

「あんた今どこの職場にも属してないよね?うちで重度認知症デイケア立ち上げるから、あんたの免許貸して。金は積むからさ。」

ということである。

Aは一も二もなくその病院と契約した。

寝ていて給料をもらえるし、タクシーでの送迎付きである。よほど良心がある人間でない限り、断る理由はない。

しかも、詳細は分かりかねるが、どうも年棒制だったらしい。

年収1000万円という話だが、真偽のほどは分からない。しかし、この時代のOT、PT(理学療法士)の羽振りの良さは、乗っている車や、住んでいる家を見ると、あながちデタラメでもないように思える。

僕が新人の頃に、研修でお邪魔したある病院は、とある手技のメッカで、基本的には、その手技しか使ってはいけないという不文律があった。それが嫌で辞めていったセラピストもいたくらい、徹底していた。

そこには、リハビリテーション科長のPTと、主任のOTがいたが、主任OTに連れられて、科長PTに挨拶に行った時、科長PTの態度は最悪だった。

主任OT「失礼します。研修生のOTが来ました。」

科長PT「今、忙しい。」

主任OTは、目で退室するように僕に促した。

この科長PTは、ベンツワゴンに乗り、職員駐車場ではなく、外来患者用駐車場に自分のベンツワゴンを停め、更衣室で勝手に喫煙し、リハビリテーション室に来て理学療法をする訳でもなく、ずっとPCの前に座っているような人だった。

その手技のコミュニティの中では、重鎮みたいだったが、僕には全然すごい人には思えなかった。いくら新人であっても、こちらを一瞥もせず、忙しいという理由で追い返す人間が、すごい人には思えなかったし、きっと患者様にも、こういう横柄な態度なんだろうな、と思った。

その人たちが、PT、OTになった時代。それは、免許そのものに絶大な価値があった時代だ。しかし、不幸なことに、その価値と引き換えに、大事な人間性を失った人もいる。全員とは言わないが…。

良い時代なのか、それとも悪い時代なのか、分からない。それぞれ、いろんな人がいろんな視点で、その時代の事を見るだろう。「楽して、給料がもらえる」という視点に立つ人にとっては、良い時代なのかも知れない。そして、その視点に立つ人にとっては、現在のこの業界を呪うかも知れない。

僕は、OT免許バブルの頃を知らない。知らないから言えるのだろうが、免許に絶対的な価値が置かれた時代に、いなくて良かったと思う。その時代に、「楽して、給料がもらえる。」ことに抗うほど、僕は強くはない。だから、きっと「免許だけのOT」に成り下がっていたと思うからだ。

OTバブルが弾けて久しい昨今、免許を持っているというだけでは、もはや居場所がなくなっている。加えて、新進気鋭の新人さん達が、スピード感をもって新しい知識や技術を取り入れようとしているのを、肌感覚で感じる。

僕ら世代は、バブルOT世代と新進気鋭OT世代に挟まれた存在なのだ。

バブルOT世代に対する愚痴や、新進気鋭OT世代に対する「経験年数だけのマウント」を肴に酒を飲むことだけが、僕らのできることだろうか?

バブルOT世代が老害化していくのを反面教師とし、新進気鋭OT世代の知見を柔軟に取り入れ、成長できる。それが僕たち世代の、いや僕たち世代にしかできない、あり方ではないかと思う。中途半端な経験年数に執着してはいけない。


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