俳句鑑賞

懇意にして頂いている俳人から、年賀状にいくつか句を頂いたので、感想を書いてみた。

生かされて八十路の歳の改まる
【感想】
自分の力で生きてきたのではなく、生かされている、八十路の新年を迎えた詠み人の、感謝がにじみでている。一年一年が、否、一日一日が、これほど重く、しかも、深く、意味を持つものか。人生の達人にしか見えない令和の世があるのだろう。

亡夫あらば並び立ちたい庭千両
【感想】
庭の千両を眺めているうちに、ふと、「今年も沢山の実をつけましたね。」と隣を見る。ああ、良人(おっと)は彼岸へ還ってしまったんだった、と気づかされる。あの人があちらへ行ってから幾星霜。来年、千両が実をつけたら、詠み人は、思い出の良人と、どんな語らいをするのだろう。

パタパタと北風が打つ安全旗
【感想】
今日も労働者の安全を、北風に吹かれながら見守っている。誰に感謝される訳でもなく、誰に注目される訳でもない。ただ、詠み人の感性にとまった旗。北風に吹かれながら、そこに存在する安全旗は、不況やコロナ禍という身を刺すような北風の中でも、黙々と働き続けている、労働者そのものを表しているのかも知れない。

一日中冬を灯してひとり住む
【感想】
灯りにともされたのは、背景。冬である。1人で住むには、時間的にも空間的にも、広すぎる冬だ。「一日中」が、時間の長さを、「ひとり住む」が空間な大きさを表している。薄灰色の空から降りてくる冬の風が、窓の向こうから、からかい半分でヒューヒューと口笛を吹いている。やがて口笛は遠ざかり、重たい冬の雲の間から、一筋の光が地上に差し込んできた。どんなに冷たい風でも、詠み人の心の灯までは、消せやしない。その灯を抱いたまま、春を待つのである。

声出して「今日、立春」と背を伸ばす
【感想】
若い頃は気にも留めなかった立春。エネルギッシュに過ごす若い日々は、毎日が春そのものなのだ。そんな時代に、春を感じる暇があろうか。年を重ねたからこそ、見えるものもあるのだ。さあ、背を伸ばして、詠み人はこれから何をするのであろう。




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