11月の精算と20年

11月、文化祭が終わった。
こんなにも楽しい文化祭は初めてだった。
去年もそりゃ楽しかった。
しかし比にならない程度に楽しかった。

準備してるときからワクワクが止まらなかった、バンドの練習も夜だろうが深夜だろうが朝だろうが構わず楽しかった。

でも文化祭が近づくにつれて、出番が近づくにつれて、いろんなものの終わりが見えてきた。
これまで練習してきた2つのステージバンド、尊敬する先輩たちの引退。

10月の終わりからずっと考えてた、楽しみすぎたその反動はどれくらいなのか。
これまで、こんなに楽しい1ヶ月はなかった。

そして、終わって明けて今日。
何事もなく一日が始まった。
朝から授業に2つでて、その合間にコーヒーを買おうと思ってコンビニのレジに並んだ。
ふと気になって、財布のなかをみた
10円玉が3枚と1円が5枚入ってるだけだった。
一気に現実が押し寄せてきた。
ATMにいけば万事解決することでも
その一瞬でこの1ヶ月、1年を奪われた気分になった。

なぜ、今これをあげようとおもったかといえば、下書きをしたまま公開せず残していたのをなんとなく読んで12月19日のぼくが11月第二週の月曜日の彼に同情したから。

あと少しで1年が終わる、それまでに精算しておきたいことは精算すべきだというのが僕の考えだ。

年末はなにもないようでなんかある。
僕としては誕生日が大晦日なので毎年終わるようで終わらない、1年が終わって新しく1年が始まるそんな境目に新しい歳を与えられあらゆるものを許される。20年生きていてもなんだか実感が沸かないのはそのせいだ。

20年っていうのは親からしても、生きてきた本人からしても境目。でもあと10日ちょっとでこの気持ちが生き方が変わるわけない。
20歳になったところでなにも変わらない。
変わっていても高校デビューでもないんだから劇的には変わらない。
(僕は中高一貫だったから高校デビューなんてできるわけもない、縮毛矯正くらいすればよかった。)
つまり、徐々に大人になる。
30歳くらいには青春の次、朱夏に移るという。
いつまでも青春にしがみつかないというのが中国の五行説の考え。(高校の古典の先生が教えてくれた。「私は白秋と玄冬の間、ほぼ玄冬ね。」と言ってたのが印象的)
現代社会の考えではそろそろ潮時なのかもしれない、徐々に春から夏へ。

今年1年、有楽町のサラリーマンがよくくる定食屋さんでバイトをしていて思ったことがある。
「それは良い歳の取り方をしたい」
もっと言えば無駄な息を吐く大人にはなりたくない。


これを向こう5年の僕のテーマにしようと思う。尊敬できる大人についていきたい、そしてそんな大人になりたい。


年末は読む側も書く側も忙しい、この投稿を今年の精算そして、20歳の宣言としておきたいと思う。

よいお年を。

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