父の死後、心から泣けたのは息子が生まれてからだった話し

このnoteも話題がコストコから留学、親の死とあちこち飛んでしまいますがご了承下さい。

父の死

父は、私が25歳の時に病気療養中に亡くなりました。母と妹、私は働いていましたが、女系家族で唯一の男性である父親が亡くなり、泣く暇などないほど葬儀や死後の手続きに翻弄する日々だったことを覚えています。

親族を代表する挨拶も私はどこか他人事のような気持ちで聞き、母が倒れないかずっと気を張っていました。弔問に訪れた親友が私の分まで号泣して涙を流してくれました。

泣かなかったし泣けなかった…

そして父の死後、結婚しない娘であるはずの私はなんのご縁か結婚し、子どもも生まれました。
お腹にいる子が男の子だと分かった時、私はとても嬉しかったのです。おそらく男女関係なく授かったことが奇跡だし喜びだったとは思います。男の子だということは私の中では特別でした、なぜなら。

父は息子が欲しかった

父は実は息子が欲しかったのです。
一緒に釣りや野球をしたかったと思います。もちろん小さい頃は父とキャッチボールもしたし、家族で川釣りにも行ったけれど、男同士だからできる楽しみを望んでいたと思うのです。

父は日曜日になると小学校の学童野球をやっている子たちの試合を見に行ってました。我が子でもない近所の名前も知らない子たちを応援していました。
従兄弟が成人するとサウナに行ったりお酒を飲んだりと楽しんでいました。

父は子どもを楽しませることそのものが上手かったので、息子でも娘でも関係なく子煩悩だったと思います。子ども心に女の子だけじゃなくて男の子も欲しかったんだろうなと感じていました。

息子たちの成長とともに

上の息子が生まれてすぐは初めての子育てに忙しく、育児で精一杯。

少しだけ手が離れた頃にふと、

もし父親が生きていたら、○○とどんな風に遊んだんだろう。
昔、トランプやかるたで私たちがワクワクしながら父と遊んだように息子たちを楽しませただろうか…

父と息子たちが遊んでいる姿を想像した時、あぁ…この世にいないということはこういうことなんだと。
初めて心の底から泣きました。
父が息子たちに会えていたらものすごく可愛がったと思うから。

息子たちは祖父である父を知らないまま大きくなったけれど、2人がこの世に生まれてからの日々の生活を通して、父の愛情を受けて 育った頃を思い出すのです。

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