殿様のお茶碗
幼い頃に読んだ本の中でいくつか覚えているものがある。
ざっくりという言葉がほんとうにぴったりだと思う「ざっくりとした記憶」ではあるけれど、なんとなくわたしの中に留まっているわたしが好きだったお話。
お茶碗のことを考えるようになって、ふとひとつ思い出した。
殿様のお茶碗
検索をかけたら青空文庫にひとつ
殿さまの茶わん
というタイトルがあって、まさにこれだった。
たぶん小学生の頃以来に読む『殿さまの茶わん』は、記憶の中のものよりもあっさりしている印象だったから、この物語に出会った当時のわたしが自分なりにじぃっと想像を膨らませたのだなぁと思う。
久しぶりに読んで思ったのは、殿様が人間だということ。
この話をとらえる‘視点’によってお茶碗というものの価値がかわっていく。
殿様の家臣が考える殿様の視点
殿様への献上品を任せられた町人の視点
殿様というひとりの人間の視点
『殿様が使うお茶碗』
と聞いて、どんなものを想像する?
たとえば友人、そして自分の上司
それから電車でよく見かける人
いつものスーパーの店員さん……
「この人はどんなお茶碗を使っているかな」と想像してもなかなか難しいけれど、“殿様”と言われるとなんとなくイメージができないだろうか。
「それは上等な、良い物を使っているだろう。」
良い物というのは、美術品として?それとも、日用品として?
見栄や名誉が力になることもあるけれど、どんな立場にいる人だってひとりの人間だよなぁ。ほかほかのごはんをおいしく食べたいよね。
煌びやかな中にいることも簡単じゃないな。
どこに視点を置くか、なにを目標にするのかで選ぶ基準はずいぶんかわる。
好きなものや手にするもの、愛着のあるものはそういう視点がつくりだすのだと思った。
ちなみに、幼かった自分の視点をぼんやり思い出したわたしが今、この物語を要約すると以下になる。
「これは素晴らしい!」なんて表現は実際の文中にないけれど、美味しく食べることを想ってくれてありがとう!みたいな、殿様の人間らしさがある気持ちがするのだ。
そして百姓という立場のひとは、お茶碗を日常でどんな風に使ったのだろう。
毎日お米を食べたのかな、何を入れたのだろう。
もしその時代に行ける日があったら「あなたのお茶碗みせてください」を百姓に聞いてみたい。
お茶碗を使う視点を想像する3月。春です
◯
これは余談の余談だけれど、
定本の初版の日付がわたしの誕生日と同じで
つい運命みたいのを感じて。
そういうときめきあるよね、なんか導かれちゃったかもみたいな気持ちになる。
あるある。
ふふふ
まったく楽しい夜になりました。
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