いつもと違う日のお茶碗
人生で一度くらいは東京の街に身を置くべきと考えてギリギリでやり直した就活、やるぞ!と気合いじゅうぶんにはじめた4月。
引越した部屋はリノベ物件で、西側の壁一面を好きに塗ってよかったから「城」みたいな意味の名前がついた色を選んだ。
私はここで私の城を築いていくぞ!
憧れをカタチにしようとその先の生活を期待でいっぱいにした私は、全身で社会に飛び込んだ。
今日はこれを任せてもらえた
昨日知ったそれを今日はカタチにできた
次はそっちも見たい知りたい…
そうやって毎日を重ねる中で、わたしはいつしか自分を見失ってしまって
東京から脱落することになった。
たった1年だった。
人間的な生活が送れなくなって、仕事を辞めざるを得なくなったのだ。
そこからの2年間はほとんど寝たきりだった。
社会に出る前、自分が進んでいく人生の選択肢をたくさん想像したつもりでいたけれど、それらは全て断片的な‘希望’だった。
手元サイズの生活の想像を疎かにしていたと振り返って思うから、想像とは異なる時間が来る事も必然だった気がしている。
「新しい」というのはもちろん‘希望’だけど、そこには‘恐怖’も一緒にあるのだと、後になって身をもって知った。
そんな時間からすっかり7年が経過したんだなぁと今朝思った。過去の自分が経験した時間から、今もこの先もできるだけ自分が穏やかにいられる場所を選ぶことだけは明確に決めているつもりだけれど、
社会はそう甘くもないし。
それでも生活は続いていくし。
わたしはいま、土鍋でごはんを炊きながらこれを書いている。
ふつふつと
米がごはんに変化していくのを音とにおいで感じて、今日もわたしは生きていると思う。
いつものお茶碗を手にしていつものようにお米を食べる時間がどれほど自分を助けるかわかるから、4月1日にこれを投稿する。
4月はやっぱり新しい。
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