宇宙を手にする
岡山に行くと聞いた。名古屋を離れたら彼はきっと変わる!今の彼に聞いておかなければ!と慌てたわたしが「場所はどこにしようか?」と聞くと「どこへでも持っていきますよ」と大海原くらいに寛容な言葉が返ってきた。
ゆらゆらと戯れることのできるたっぷりの余白と、すとんと真ん中に据えた芯。ふたつを同時に持つ彼は「僕、何者でもないですけど」と言った。
本人が「何者でもない」と思っている今のタイミングにお茶碗を見せてもらえて光栄だ。
vol.6 板谷くん
陽射しがやわらかい日だった。待ち合わせのカフェのコンクリートの床に、ガラスのドアから短く陽が入ってOPENの文字が浮かび上がっている。
「はじめて見た」
彼はおどろきとときめきを合わせたような、ハッとした表情でそれを眺める。
「板谷くんと友達になる人、板谷くんのことを『こいつなんだ』と思うとこからはじまりそう」
「思われてそう」
もちろんいい意味だとわかって笑う姿は不思議な余韻に包まれている。
「ここ最近の大きな変化、なにかある?」
引っ越しの準備のときにあれこれ出てくるものもあるのではと聞くと「すぐ捨てるようにしてて」と言った。
「好きなものとかの軸が、大学1年くらいからブレてなくて。基本的にあんま、無くすものはないです。」
どんどん肉付けされていく感覚だから余分なものを買ってるイメージはない、そうキッパリ言い切る。
「でも増えていくじゃん?増えすぎたものをなくしていくとかはないの?」
「あーこのまえちょうどそれがあって、服とか。向こう制服が黒なんですよ。」
新天地に持っていく服に黒が必要だったらしい。
「ものはあるけどでも黒じゃない…どうしよう買うか悩むなってなったときに、あ、染めればいいって。黒染めに今出してます。名古屋で200、300年続いてるところ。」
「めっちゃいいじゃん!」
わたしは勢いよく目を合わせた。
彼の脳内コンピューターが算出した「黒染め」という選択に、彼の話を聞きたい気持ちがますます膨む。
「ほんとだいぶ濃い黒なんですけど、名古屋を出る前にそういう地元の産業を通して、それを向こうで纏って働くのもいいなって」
淡々としながらも内側にわくわくがあると伝わる口調
自分の軸で選んだ自分らしさの一部になっているものに、またひとつ自分の軸で手を加える。その選択を楽しんでいる姿に、ついうっかり「ずるい!」なんて言葉が飛び出てしまいそうだった。
ケーキとコーヒーが優しく運ばれてくると、彼は小さくなりながら鞄からカメラを取り出した。ぱちんっと瞬きをするようにシャッターを押して、あっという間にレンズを閉じる。カメラのシャッター音でその場の空気が変化してしまうのを危惧しているらしい。
いま流れている空間を撮りたいという意思がある。
「カメラを買ったのをきっかけにマルシェに行ったり飲食店に行きはじめたりして。」
「撮るために?」
「どちらかというと食べたいよりもその景色を撮ってみたいとか、今もそうですけど、場とか空間とか。」
空間を探している中で出会ったとあるカフェに大きな影響を受ける。
「夕方喫茶さんっていう。そこに僕の好きなエッセンスがたくさんつまっていて、そのときは言語化とかしない できないしわからない…と思ったけど。
身体が喜んでいて、めちゃくちゃ、3日間くらい興奮がとまらなくて」
「興奮しに行くようなお店ではないよ?ね?」
「そう、だからなんか…こんな世界があるのか!って。置いてあるものもそうだし空気感もそうだし、あれが全てではないけど、僕はすごいときめくなあって。」
彼の声にぐんぐんと抑揚が現れて、彩りがプラスされていくのが見えた。見つけた!という気持ちがそこにあったことが伝わる。
その興奮に出会ったすぐ後、コロナの世がやってきた。
「暇じゃないですか。だからコーヒーを淹れる用具を持って川に行ってコーヒー淹れて
ベンチに寝転びながら夕方喫茶のフォロー何千人をひたすらディグるというのを何ヶ月もやってて」
すらすらと絶え間なく流れ出す彼の言葉の中に「ディグる」という単語があって、それがわたしの記憶にひっかかるように留まった。
レコードショップでレコードをDigする(探す)ことから来ているその単語が、板谷くんの地道な探し方をどんぴしゃに表す気がしたからだと思う。
静寂の世の中で動いていた彼の青春の時代が、虚像になってわたしの前に広がったと思った。
インスタグラムをディグるなかで見つけた好きな作家さんは、コロナ禍ですぐに出かけられない距離の人もたくさんいて、たとえば関東だったり。
「展示が近くであったら実際に見に行って触って、なんかそのものから気配を感じたりとかすごいあたたかみを感じたら、その人に会いに行こうって。」
「モノとの出会いが最終的に人との出会いになるんだね。」
「そうです、知りたくなっちゃう」
彼の好奇心は静かに輝いていて、それもひとつ、彼のオーラを創り出しているのだなあと思う。
すっかりお茶碗のタイミングを見失っていたわたしに「茶碗に30分も話す内容ないですよ僕」と彼が口火を切った。
「まず、茶碗って言われて僕、お茶用の茶碗なのかご飯用の飯碗なのかどうすればいいんだろうみたいな」
ハハハ!なんだよ、お茶碗について3日くらい話せそうじゃん
よいしょっとカバンを膝に置いていそいそと取り出したのは、それぞれに質感と趣が漂うふたつの包みだった。
私が板谷くんを知ったのは「音楽フェスに行って‘ござ’を買った友達(板谷くん)がいる」という強烈なエピソードを聞いたのがきっかけだ。その‘ござ’のせいで「素材感のあるもの」というイメージを彼に抱いてしまっているのだけれど、鞄から登場したその包みが、もうとびきりのど真ん中に板谷くんらしい。
「これはもらったものなんです」
ひとつめの包みを手にとる。
「九州でお茶をやってる子がいて、お茶と布をいただいたっていう。」
「お茶と布?」
全国のお茶農家さんを巡りながら出張のお茶の活動をしている友人からもらったものらしい。
「その子が会いたいって言ってくれて名古屋来たタイミングで。そう、でも布好きですね。結構買います」
布の中から顔を出した白い碗を見たわたしは、ご飯用のお茶碗とどっちを見せるか迷った彼の気持ちを理解した。手にとって使うことをすんなりと想像できる“my茶碗”という概念のものだったから。
「この人はまだ20…僕と歳が近い作家さんです」
モノを見て「この人」と言うのは、先に聞いたモノを知って人に会いに行くという出会い方を大切にしてきた彼らしい表現だと思った。
気配とあたたかさを感じて選んだと言うその碗は、土っぽさのあるざらりとした触り心地と卵の殻のようなやさしい白い色が印象的だ。
「僕的にはもう少し薄みがあったりとか中の釉薬が違う方がいいんですけど、それも、僕の好みに最終的にどこまで近づくんだろうって。当然近づかない可能性もあるんですけど、それも、楽しみだなと思って、早い段階でひとつ買っておこうって」
モノから人に出会って、そしてこの先を楽しむ想像までしている。
「楽しみです」という言葉に密度があると思った。
もうひとつの包みに目を配ると、少し硬さもあるようなその布を、板谷くんは操るように解きはじめた。
「こっちの布は柿渋染めをした後に鉄を使って色を留めてる。このエプロンも持ってる。」
作家さんの作品だと教えてくれたその布は板谷くんにとても似合っていて、形を変えて身につけている想像が容易だった。
布の中から現れたごはん用のお茶碗は、光を纏っていると思った。
「小林さんっていう作家さんのなんですけど。
見た瞬間に、わぁ!と思って、行ってみようって」
Analogue lifeさんのインスタグラムに載っているのを見てビビビッ!ときたらしい。
「お茶碗探してたわけではなかったんですよ。3年前くらいなんですけど。これにごはん…これに乗ってる米粒を見て見たい!と思って」
「アハハ!米粒のせたくなったんだ」
「ありますか?ってそのままインスタグラムで連絡して」
実際にギャラリーへ行ってお茶碗と対面したその日、ギャラリーの方との会話が弾んだ。
「そこからいろいろ相談させてもらったりとか助けてもらって」
「これは作家さんというよりそのお店の方と話して買ったんだ?」
「そうですね。このお店は僕に影響を与えてくれて、ほんとに。」
丁寧に話をしてくれた彼から、リスペクトする気持ちがまっすぐに伝わった。
たくさんの出会いを大切にしてきた彼のお茶碗を見ながら「どんな感じで盛るの?お米は」と聞いてみる。
普通に盛るだけですよと笑いながらも彼は「これより高いのはあんまり入れないです」と器の縁に視線を合わせた。
彼が思う「普通」は彼にしかない普通であって、こちらからしたらじゅうぶんな「こだわり」である。
「そんなにたくさんは食べないんだね」
「おかわりするって感じですね。入れ直す。あんまり上に出てるより下にある方が見え方が綺麗というか、好きだから。」
毎日の食卓に好きだと思うものがあるって素敵だ。
縁が薄くて高台には少し厚みがある。彼の手の中にフィットしていながら、何層にも描かれた夜空のようにも燻された鉄のようにも見えて、しっかりと趣のある存在を放っていると思った。
「底がなんか、漆銀みたいな釉薬の溜まり方があって」とお茶碗の内側をこちらに向ける。
「ほんとだ」
「黒いけど光沢感が魅力でそこにちょっと宇宙を感じる、米を入れて食べ終わると米の水分がちょっとつくんですよ、そうするとさらに輝きが増してより宇宙が広がってるみたいに見えて面白いです」
お茶碗の内側に視線をまわしながら話す彼を見ていたらだんだんと米粒が浮かんでくるように思った。
「お茶碗が宇宙なんだね」
お茶碗を手に取らせてもらって上から覗き込んだそのとき、過去に彼がインスタグラムに載せていた月の夜の写真がパッと脳裏に浮かんだ。
「板谷くんの撮る写真みたい」と伝えると、彼は「ほぉ、」という顔をした。
陰影がある。
いまは雲で見えてない月がその奥(お茶碗の底)にいて、ぼんやり明るいけれど周りはちょっと暗くて。だけど開けている、闇の夜のような姿。
自転しているのがこちら側だと知らされた日のような、宙に浮いた気持ちだと伝えたら「言語化していただきました」と目尻を下げてくれた。
「これはもう板谷くんのお茶碗だと思う」
「初めて買ったお茶碗です。言うてもまだ大学生で、器を買おうって思考すらそもそも」
実家暮らしの学生がお茶碗を買うタイミングなんておそらくない。
「でもこれは、単純にこれに米を盛ってみたいっていう好奇心で。これを買ってみたいって」
器を好きになったきっかけは陶芸家の内田鋼一さんの銀彩、プラチナボウルをcoffee kajitaさんで目にしたことだったと言った。
「それが置かれているのを見て夕方喫茶のときと同じようなざわざわが始まって」
内田鋼一さんの作品と知るとすぐに検索をした。
「そっから一気に広がりました。違う場所で、これいいなと思ったらそれが内田鋼一さんで“またか?!”って」
自分が魅力的に思う基準を明確にできた嬉しさってある。
「作家さん、その人が大切にしてるものがインタビューとかを調べたら出てくるじゃないですか。そういうの見ると“これ感じちゃってるわ俺!”みたいな。やっぱりか、やられてるな、俺が転がされてるんだなって」
とにかく嬉しそうに話すものだからこちらまで嬉しくなる。
今の段階での惹かれる要素に「手で触れられること」があると教えてくれた。
「集めたものは全部岡山に?」
「持っていきます」
どういう時間を過ごせるか、というのがひとつ彼自身のベースにある。
「自分が触れたときにあたたかみを感じたり、瞬間的にそれがその時間をひとつ成り立たせたり、自分が気分良く過ごせる時間のひとつになっていると思うから、そういうものを選んで使い続けたいと思いますね」
ふたつの茶碗に交互に視線を送った板谷くんは話し始めた時よりもなんだかすっきりして見えた。
「こうやって茶碗を持ち出してもらったけど」
「次会った時はかわっちゃうかもしれないし、聞いてください岡山のこのロケーションでこの茶碗が!って」
「これはやっぱり名古屋に置いておく茶碗だって言うかもしれないしね」
「あるかもしれない、どんどんどんどん、この米粒の方がとか」
一人暮らしは自分で米を選ぶところからはじまる。当然いまと違うシーンがあるだろう。どんどんとニッチな話になるなと彼はにこにこと、既にその先の生活を楽しんでいた。
「働くのに50、生活するのも50くらい期待があって、そういうのを大切にしてたい」と言った。
普通を大切にして、大切にしたい普通を創り出す
新天地で彼が何を得るのかわたしまでわくわくだ。
「板谷くん30歳くらいになったらまたしゃべろうね」
「ちょくちょく帰ってくると思うんで!」
板谷くんはこの後、名古屋最後の出勤に向かった。
「働くカフェのマスターには演じろって言われる。かっこつけろって」
彼が身を置いてきた場所も
これから身を置きに行く場所も
きっとこの先の彼の一部になるのだと思った。
◯
《今回のお茶碗の持ち主》
板谷くん
2000年生まれ
名古屋生まれ名古屋育ち、24年間ずっと名古屋。
大学在学中から八O吉というカレー屋さんに勤める。カレー屋さんにしては本格的すぎるドリップコーヒーがメニューに並んだのは板谷くんの出会う力のおかげだろう。こだわりを持つ人から仕入れた豆を使ってひとつずつ丁寧にコーヒーを淹れる板谷くんの姿は八O吉の日常だった。
春からは岡山へ。
ひとつの出会いが彼を名古屋の外に動かしたらしい。大切にしたいものを明確に持ちながら、出会いを探しつつ、身を任せて生きる。不思議な愛嬌のある人だ。
お茶碗トーク当日の様子などはインスタグラムに更新中
@ochawan_misete
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