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猫と20年

まるで夏みたいだと過ごしていた連日の寒の戻り、3月23日。いつか来ると分かっていた最期がきて、毎朝猫にあいさつする日々が終わりました。


私が2歳の時に家に住みついた黒猫の血が受け継がれて20年。

最期までひとりで生きてくれたみんと、波乱万丈の猫生でした。今日はそんな、みんとのお話。

 生まれたときは4兄弟の一番の怖がりで、えさをあげるよと言っても人間から一番遠いところにいたみんと。私がスマホを持った2014年には既に、仲良しだった兄弟の2匹とは死別、妹(姉?)は里親に引き取られ、離れ離れでした。祖母と母と娘のみんと。3匹での生活が始まってすぐ、去勢することが決まりました。断固反対の私はずっと庭で静かに日向ぼっこ。猫はこれから人間のエゴによって自分たちの遺伝子が途絶えることなんて予想もせず、佇んでいる私のそばで遊んでくれていました。

 そのころのみんとはまだ生後6ヶ月弱、普通の抜糸手術は若くてできないから(と聞かされていたが、あの時も今も記録との矛盾を感じるので本当のところは定かではない)と、抜糸する必要のない特殊な糸での手術でした。初めのころはしきりにおなかを気にしていましたが、他の2匹の糸が取れるころにはみんとも気にする回数が減っていました。私はあの時の3匹の身体の違和感というか、しきりに傷口をなめている様子は、一生忘れられないのだと思います。そして3匹とも去勢手術をした以上、この家に猫のいない生活が来るのは当たり前。そう遠くない未来に私の記憶にない猫のいない生活が来るんだと、恐ろしさを感じていました。

 手術後もいつも通り3匹とものんびりまったり、特に母と娘は一緒に遊んでいました。祖母は体力もないため、椅子の上でひとり日向ぼっこ。どこかでけんかして耳が切れているのにまたけんかして、耳がなくなるくらい痛々しい写真がスマホに残っています。家の中で飼ってあげたら良かったですか、外で飼うのも人間のエゴでしょうか。

 2015年1月を最後に私のスマホから祖母の写真が消えました。最期、看取れたかどうかも私の役に立たない記憶では定かではありません。ごめんなさい。

 その後は母と娘、2匹の生活。ずっと一緒にいて、生活に長けた母をもって甘えていました、みんと。母は網戸も自分で開けるしモグラには勝つし人あたりも良くて好奇心旺盛な偉大な猫で。ちびっていうんですけど。2匹の動きがやっぱり似てきて、みんともだいぶ人やこの場所での生活に慣れました。遺伝か、後天的かなんてまあ何も考えずにかわいいなあって、ずっとお世話になりました。

 ちびの最期も覚えていません。こんなに私の脳は役立たずだったとは。猫は自分の死を予感して、どこかに行く習性がありますが、看取れたこともあるんです。でも誰かは覚えてない。でも今から探すので、もう少し待っていてください、先祖代々の猫様...

 ちびがいなくなってからみんと1匹だけで生きていけるのか、寂しくて体調が悪くなったりしないかと心配でしたが、たくましく生きてくれました。庭に蛇の死骸があって、みんとのおなかは膨れていて、数日後食欲を無くしてガリガリになったり(蛇を食べてあてられた様子)、こっちを向いてにゃーんと鳴く口元が赤く染まっていて、庭を見ると何やら羽毛が落ちていたり。いつもは玄関が開いていても外から様子を見ているだけなのに、急に玄関も廊下も超えてお風呂場まで入っていったり。そんな無茶な!みたいなことがたまにある天然っ気のある猫でした。

 数日前に途端に体調が悪くなり、歩いて急に左に曲がろうとして遠心力でおしりから前に倒れそうになったり、ふらふらしていても歩きたいようで5歩くらい歩いては休みを繰り返したり。夜は私の父の布団にもぐったり(初めて)、外にあるいつもの寝床に上ろうとして私に介護されたり。どうにも思いに体が追い付いていない様子でした。何しても私にはかわいく見えるんだけれども。

 そして3月24日、朝、小雨。きっと寝床から遠くへ行こうとしていた途中で力尽き眠ったのでしょう。庭の端で眠っている姿を私の母が発見しました。今までよく頑張ったね、ありがとう。来ることは分かっていたその日、たくさん思い出を作ってきたので思い残すことはありません。ふわふわの布団の上でゆっくり休んでね。


玄関でガサガサと袋の音がして、あれ猫入った?とか

あと誰が帰ってくるんだっけ、みんと居ないからえさはあげないし...玄関の鍵掛ける?とか

エビフライのしっぽ...は取っておかなくていいんだ、とか

庭に出てもすることがないな、とか

 20年の間に染み付いた猫のいる生活はまだまだ氷山の一角を表しただけで、果てしないなと思いつつ、そのたびに静かに涼しくなりつつ。そしてこれは今日気づいたことですが、そのたびに、身近な死を重ねるたびに、私は生を純粋に享受できるようになってきていると思います。生を享受するというだけで、死にたがりが消えたりはしません。ただ少しだけ空気がしんとする感覚があったり、1mmだけ視点が変わったりして、新しい感覚にわくわくする、みたいな。そしてその感覚を逃すまいと頭を稼働させるのです。少し寒い方が頭はよく働きます。きっと死にたがりはどこから来たのかといえば、身近な動物からなのだと今になってようやく気付きました。今まではなんとなくでしかなかった。どうしてとても辛いことも苦しいこともないのに死にたがりなんだろうと疑問だったので。

まだまだ猫好きな、動物好きな人生は終わらないし、楽しいという感情の占拠も終わらない。もっといろいろな感覚を身に着けながら歩いていきたい。前でも後ろでもいい、歩けるうちに歩くのみです。