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議論について

高校生、大学生、大人になっても「議論」はつきものである。
どうも、議論大嫌いな鬱屈王です。

大人になると「会議」のなかで議論することとなっている。議論は意見を交わして論じることで、意見に値するかをジャッジメントする場所ではないと勝手に思っている。違ったらスマンクス。

ぎ‐ろん【議論】
〘名〙
① 互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。また、その意見。
※史記抄(1477)一七「別して長(たけ)が高ければとて辯説かたらうすではなけれども、物を議論して云時は如此なぞ」
※談義本・地獄楽日記(1755)一「議論(ギロン)紛々としていまだ一決せざれば」 〔史記‐貨殖〕
② ある事柄を問題として、論ずること。
※足利本論語抄(16C)為政第二「或人此両点を議論するぞ。あれとも両点なから可也」
出典 精選版 日本国語大辞典

大人になって本当に驚いたのが、大人になってからはむしろ議論というのは成立しないのである。ツイッターで語り合うくらいが限界なのではないか。

議論が成立するのは、まず相手が意見を聞いてくれるかどうかである。

議論が成立している場合とは、例えば学生のとき友人や同級生たちと、〇〇はこうあるべきだ、なんて青臭いことを話して意見をしあうというような、黒歴史のだけでの出来事である。

自分が研修医のとき。研修医の意見は中々聞いてもらえることはない。もちろん、内容に正当性が無ければ聞く価値は無い。しかし、それが正しい意見であるとしても、「研修医の意見を纏めて出せ」など、個人として扱われることは無かった。

意見が真っ当であることの上に、どうなれば意見を聞いてもらえるのか。それは、当事者の学年が上になること(政治力が上がること)と、聞かなければ相手が危害を被る場合である。後者は、自分が6-7年目だった時に、研修医が労基署に状況を垂れ込んでやるという時だった。よくやるよなと思ったが、その時は大人は相手にしてくれているのを見た。

そのような例外を除き、年をとって政治力をある程度手に入れることが、「議論」への入り口だと思っていた。
おじさんになって議論の場に参加して、何が起きているのかを見てみた。自分の意見が尊重されることも増えてきたものの、周りを見ているとだんだん気が付いてきた。
話を進めるプロセスが同じである。だいたい、意見を聞いていて、息を吸うと次に誰がしゃべるか予測ができてしまう。みんな意識してそうやってるのかわからないけど、そうなっている。みんなの意見を聞いたような儀式をしている。結局おじさんになって僕は予定調和のプロセスに巻き込まれてしまったのである。そう、自分の意見が採用されたように見えるのも、たまたまその流れにのっていただけなのだ。
これの流れを誰かがインターセプトして、意見をしたとしよう。その場で起こることは、それが「意見に値するか」のジャッジメントが始まる。忌憚ないご意見は、意見に値するかどうかを「発した人間ごと」品定めされる。部族の大切な手続きである。そして、ジャッジメントは賛否両論となり、それでは次回、となる。次回でまず見たことはないけど。

なあんだ。

もちろん、ある程度わかってはいたけれど自分の政治力はまだまだ低い。偉くなって何か変えるには、予定調和の流れを止めるにはもっともっと年をとってからだ。年をとって偉くなるとはこの方針ではそもそもないが。偉くなったら予定調和楽ちんやろなー。めっちゃコントロール下に置けるし。
でもまあ、偉くなったらその時のやる気は無いだろうな。
きっとみんな予定調和の渦のなかで、いつかのチャンスのために爪を研いでいるのだろうな。どうでもいい。もう、そのころには何をどうしようとか思わない。

というわけで、半年以上、いや10か月くらいかな。ついにコロナ病床の患者が家族と面談、医療スタッフと連絡のためにIpadを確保して用いること、さらにそれ専用のネットワークを作る意見が採用された。どういう背景で変化したかは知らない。たぶん、自分はきっかけにすぎず、おそらく人から人へうまくプロセスが決まり、たまたま予算でもあったんだろう。運そのもの。

やってみるもんだなとは思ったが、今でも議論は大嫌いだ。あと、議論をしようとか言うひとは昔から好きじゃない。俺が正しいって言いたいだけのこと多いから。






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