回復に向けて世界が動きだす
意識は今の自分と同じようなものを引き寄せる。その力が強力なのを知っているからこそ、一度落ち込むとヤバいヤバいと余計に焦ってしまう。
だから鬱だなんて認められなかった。
この約半年間、私は元気、大丈夫だと思い込んでいました。気付けば目に映るものが意地悪に見える。私は大丈夫なのに、何故苦しいんだろう。それ全然大丈夫じゃない。
悩みをnoteに書き出すと、すぐに変化が起こりました。
自分を俯瞰して見ることができる。
いや、普段は余裕でできていること。鬱になって、いかに自分の中に閉じこもっていたのかに気付けた。兎に角視野が狭くなるみたい。
自分が書いた記事なのに、違う人が書いたように見える。自分を他人と同じように捉えることができて、自然と手を差し出せるような感覚があった。
顔見知りの人が見当たらない。
園でママさん達の顔を覚えると、認識していない人達の何倍も緊張するようになり、今日すれ違うかどうかにいちいち気を取られてしまう。
勿論普通に振舞うけれど、内心は笑顔で挨拶できるか、嫌な思いさせないかと異常に心配していて、普通に普通にと言い聞かせながら毎度乗り切っている。
普通に話せばいいじゃない、と自分でも思うのに、鬱になるとハードルが雲の上ほど高くなるのは何故か。
しかし、あれ?今日はすれ違わなかった。夕方も。そして次の日も。…たまたま?
入れ替わりでパパが鬱っぽくなる。多分仕事でメンタルやられたんだと思う。
偽物チーズの見分け方を覚えたので某バーガーのチーズ炙って「やっぱり偽物だったんだ!^^」と楽しんでいたら、「…偽物なんか食わせてごめん。」と。いつもならこうはならないし、転じて傷付ける側になってしまった。
私は知ってる、何気ない言葉や表情がとげになって刺さることを。
家族ならまだいいが、知らない人にはやっぱり迷惑と思うんだ。とりあえず2連休でしっかり休んじゃおう。
団らんの時間に家族が普段見ない動画を観ていると思ったら、人格崩壊している人の動画。一緒に観させてもらった。
自分のことなんてどうでもよくなるくらいに、画面の中の人は狂っていた。
暴言を吐き、時々悪魔のように笑いながら、チャットで「つらい」「死にたい」「ごめんなさい」と連投する。
ピークの時にこれを観たら耐えられなかっただろう、あなたが連投してるそれを言いたくても言えなかったのは私。もしわざとやってるのなら、バカにされたような気がして悔しい。
だいぶ冷静になったので、相手の淡々とした対応を勉強させてもらった。これも傾聴になるのかな、こんな狂ったチャットに一切動じず、時間をたっぷりかけながら適切な対応をしている。
何故これを観ることになったのか不思議だけど、ものすごい経験値を得られた気がする。
youtubeやSNSに突然「アダルトチルドレン」というワードが現れる。
そういえば昔、テレビで見かけた時に私もこれなのかなって思ってたけど、改めて調べるとやはり当てはまるっぽい。自分を大事にできないというか、人に捧げてしまうというか。
関連で出て来るものなのかな?ここ何日かの検索ワードは「悩み 吐き出す 場所」。(NHKのサイトに案内されてしまいました)
あと「お弁当 おかず」、謎に「仙台貨物」。千葉さんの声が聴きたくなった。
普段見もしない町の広報紙が妙に気になった。
ペラペラとめくると、ボランティア募集の文字が目に飛び込んだ。
ボランティア、いいよね。ずっとやりたいと思ってた。
PTAもボランティア感覚で入ったところはあるけれど…仕事内容がやりたい事とはかけ離れてるしなぁ。
楽しそうなもの、結構身近にあるんだね。
さて、意識を変えるのは実はTVのチャンネルを変えるくらい簡単なことだと、私はあちこちで聞いてきた。その感覚を得ることを自分の課題として、日々家事の合間を縫っては訓練していたはずなんだけれど。
鬱の時って一切できなくなるんだね。正直、コントロール不能だった。
休日に入りまだモヤモヤは残っているものの、意識を良い方向へ向けようと考え直すことだけはできるようになった。濁流に飲まれないよう、岸に向かって必死にボートを漕いでいるような感じ。
まだ不安定なので、引き続き回復に努めた方が良さそうです。
落ち込んでる時に色々見ない方がいいんだけど、特にSNSとか眺めてるとほんと拍車かかっていけないんだけど、探しちゃった。
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