卒業論文「同人音楽・ネットレーベルとアーキテクチャ」全文


私sanmalは今年の3月に大学を卒業し、IAMAS(情報芸術大学院大学)の修士課程に進学しました。そして、大学卒業に際して執筆した論文の全文を、ここに公開致します。


ドライブ版:


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概要

インターネットは、今日に至るまで人々の音楽活動について多くの役割を果たしてきた。しかし、人々の音楽活動がシステムに統治されることに対する否定的な議論は未だに絶えることがなく、また、音楽のユビキタス化は、音楽が誰によってどこで利用されるのかという問いに加え、何をもってその音楽のアイデンティティとするか、という問いを生じさせる。本論では、レッシグが提唱した「アーキテクチャ」の概念を引用しながら、1980年代頃から日本において発生した、自主制作を主とする「同人音楽」の文化と、1990年代頃からインターネット上で楽曲の独自流通を行うプラットフォームとして世界中で盛んに行われた、「ネットレーベル」について考察し、ユビキタス化した現代の音楽消費社会における、音楽実践活動の移り変わりについて論じる。

第3章では、同人音楽文化に焦点を置き、アーキテクチャを設計した先駆的事例として、Web上で開催される同人即売会である「pixiv BOOTH APOLLO」を、第4章では、ネットレーベル文化に通ずる今日のインターネット上での民主的音楽活動として、クリエイティブ集団のOpen Pitがオンラインゲームを用いて開催した「Coalchella」などの音楽イベントなどについて取り上げた。


アーキテクチャの利用者は、データベースを(無断の場合も含め)引用して独自のアーカイブを作成したり、コミュニケーションの素材としてそれを他者に公開したりすることができる。これは音楽に限らず、YouTubeなどを始めとする視覚的なサービスにおいても同様に観測することが可能である。利用者らによるこれらの行為の反復は、インターネット上でのコミュニティ形成と、それに関わっている利用者自身のアイデンティティ形成に関与している。文化とアーキテクチャとの迎合が、統治するものとされるものの二項対立を顕在化させていく一方で、コミュニティによるアーキテクチャの戦術的利用は、ユーザー同士での協働や相互統治を実現させている。


論文(と書いた人)について

この論文を書いているsanmalとは何をやっている人なのか?という方もこの記事を読まれているかもしれないので、軽く自己紹介をしておきますと、主にクラブミュージックの制作や、DJなどを4年くらいやっており、

同人サークル/ネットレーベル「MYORPH」を立ち上げたり

「NGHTHYP」というユニットで活動をしていたり

「DeltaBunny」というブログを(たまに)書いたり

しています。元は軽音部でギターを弾いたりしながら建築の勉強をしていましたが、クラブに行ったり音楽を作るようになってから、音楽と社会との関係や、そこで言われてる文化とか芸術とはなんぞやといった事に関心が移り大学はそういった事を勉強しやすそうな所へ進学しました。

卒業研究について、最初は「アート体験の拡張を主とした仮想空間の創造についての研究」と題したものを予定していましたが、途中で「これはまず趣味レベルでやる方がいいな…」と思い、止めました。色々勉強しているうちにこうした本に辿り着き、

「自分のやってきた事や見てきた事もこのように文章化できるのでは?」と思いやってみたものが本論となります。提出の直前まで、「これで論文と言っても良いのだろうか」という気持ちに苛まれ何度も文を消したり付け加えたりしていたせいで、最後は結局ちぐはぐになった文章を繋ぎ合わせるのにかなりの時間を取られてしまいました(反省)。一応研究室賞までは取れました。よかった


なぜ公開するのか

今までブログで文を書いてきたり、noteにお気持ちを書いてきたことで、インターネットに自分の文を掲載することにそこまで抵抗がありません。それに、論文の内容も、ブログやnoteなどで書いてきたことの延長線上にあるものだと思っています。なのでこのテーマで論文を書き始める段階から、既にネットにアップすることを考えていました。

noteを書き始めたのはTwitterより長い文章を書く練習のためや、自分の考えをまとめるためというのが大きかったですが(最近は読む人のことも考え始めているような)、DeltaBunnyというブログを始めたのは、自分の身の回りや、興味のある物やコミュニティをどのようにおもしろく紹介することができるかを考えた結果でした。そして、書いた記事にどこからどのように反応が帰ってくるかを確認するのも、ブログをやる際の一つの興味関心であり、楽しみでした。

今回の卒業論文は、もちろん既存の議論に対する新規性も意識した上で、noteやブログで行っていた、自分の最近の考えの総括や、関心のある事物に対する考察のまとめとも言えるものです。これを、もしカルチャー的な共通点を持っている人が読んだら、逆に全く共通点がない人が読んだら、どんな反応が帰ってくるのだろうということを、本文を書きながら想像せずにはいられませんでした(もしかしたら怒られるかもとか…)。そうした気持ちで長い時間をかけて作ったものが、逆に自分のネット上のアーカイブの中に存在せず、ぽっかりと空いてしまっている状況、そしてせっかく書いた文章が、今後の些細な議論の種も生み出せずに埋もれてしまうということは、個人的にあまり喜ばしくないことでした。こうした心境が、卒業論文の公開に至った理由の一つです。

とはいえブログと論文だとリアルの自分に対する距離感が大分違うので公開に際してある程度の緊張感があります。Twitterを始めた当初は、個人の活動とネットの活動は全く別と考えていたのでネットに名前を出すなんて・・・と思ってたのですが、人って変わるんですね

またネットに論文をアップするという行為の着想は、

IAMASに進学する際の参考にもなった、さのかずやさんの修士論文↓

そして永野ひかりさんが公開しているこちらの卒業論文↓

によるものでした。実際に論文を書く際に読んで参考にもしたりしました。ありがとうございました。自分の文章もこうした並びの中に入ることが出来ればちょっと嬉しいです。そして同じような題材で論文やレポートを書こうとしている方の踏み台となれたらと思います。参考図書を確認するのも何かしらのヒントになるかもしれません。


ちなみに研究に際して、持っていて助かった本の一つがこちらです

日高良祐さんが担当されている第10章で、始まり~ごく最近までのネットレーベル事情について分かりやすくまとめられていて参考になりました。特に数年前までのネットレーベルの話は自分が直接的に経験していない所でもあるので…。またそういう世代の人間でもあるので、読んでもらえば分かりますが、論文中ではそこまで詳細にネットレーベルについて書ききってはいません。自分の書きたいことをもっと盛り込もうと、そういう方向性にしようと振り切る事ができたのもこの本が既に世に出ていたお陰と言えます。


コロナ以降…

この論文を書いた頃は、新型コロナウイルスの騒動も無く、論文の中で題材にした同人音楽やネットレーベルといった、それぞれの文化を取り巻く状況は、もっと緩やかに変わっていくものだと考えていました。しかし、コロナウイルスによって、その状況は残酷すぎるほどに変わっていきました。

論文内で取り上げたOpen Pitは、騒動以降既に2つのイベントを開催しており、今年の4月11日に開催された「NETHER MEANT」では、8000ドルに上る寄付金がコロナウイルス関連の支援活動に寄付されることになっています。

そして同人文化に目を向けると、今年の夏のコミックマーケットが中止になったことで、ネット通販の需要や仮想空間上の同人即売会への注目が高まっている様子をネットの記事やTwitterなどから感じ取ることができます。同人音楽の周辺でも、ネット上の音楽配信プラットフォームであるBandcampを利用し始めるサークルが日に日に増えているように思います。Bandcampの運営が期間限定で行っていた、販売時の手数料無料キャンペーンも新規参入に大きく寄与したようです。


これらの現象は一時的なもので、騒動が収まったらまた今まで通りになるのでしょうか。もし、今まで通りになったとして、もう今後一切何かに脅かされるようなことは無くなるのでしょうか。または、次にいつ危機に瀕することになるか、予測することが今後可能になっていくのでしょうか。

自分の生まれ育った神戸が、震災の影響で防災教育が盛んだったことの影響か、自分にとって、あらゆるものと、それを破壊しかねない脅威について、小さな頃から常に切り離すことが出来ずにいました。だからこそ、何かを残すという行為への責任みたいなものを強く感じているのかもしれません。そして、そうした圧迫感こそが、このような研究をするに至った、思考の根源であるような気もしています。

個人的にも、大学院には入学したものの5月末まで施設利用が出来ない状況であり、何かとしんどい状況ではあります。しかし、沢山の人々によって生活と精神を支えられながら、今も元気にやれています。この騒動を経て、自分はむしろポジティブになるのかもしれません。何かあった時のことを考えたくなるのなら、その分何かあった際に行動ができるようになりたいな、と何となく気持ちがそうなっていっている気がします。やってくぞ、これからも…。

おわり

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