不注意ADHDグレーの独白

幼い頃から当時流行ってた魔法少女物の遊びにはまったくと言って興味を示さず、いつだって本を読んでいたし、例えばクレヨンはどうやってできているのかを知りたがってキンダーブックを何度も読んでいたし、アリを眺めつつ、彼らはどこへ行き、穴の中で何をしているのかを考えていたら外遊びの時間が終わっていることに気づかず呼ばれるほどだった。

家族ごっこはなぜ本当のママでもなく、彼女は私のママとは似ても似つかないのに「ママ」と呼ばなければいけないのか考えたところで理解できなかったし、彼女たちは役割を真似ていて、いわば私がポケモンのフィギュアを使って役割を演じさせていたのを実写で行っていたのだと理解したのはつい最近のことだった。

学校でもどこでも私は常に何かを考えていた。なぜ信号は緑色なのに青と呼ぶのか、このゲームはどうクリアしたらいいのか、歯医者にあるあの色水のおもちゃはどういう仕組みなのか、はたまた空想の世界に飛んでいって1人楽しむこともしょっちゅうだった。

私はそのうち変わっている、変人と呼ばれるようになった。それもまた理解できなかったが、なぜその子嫌われてるんだよ、と耳打ちされたり、その子をみんなが避けるのかも理解できなかったし、遅刻がなぜいけないことなのかも私は私の都合によってこの時間に来ただけなのに怒られるのかが分からなかった。一応遅れないようにはしていたがそれは怒られるのが嫌だったからでしか無かった。

なぜなら私の考えの中に他人は存在しなかったからだ。後にこれは世界には私以外にもたくさんの人がいて、たまには関わることもあるのだ、と理解した。その時に私が遅刻することによって、他人の邪魔をしてしまうからダメなのだと遅ればせながら気づいた。

さて、世界にはどうやら「私」と「私以外の人」がいるらしいと気づいたその時から私は他人の言動の意図について考えることが多くなった。

存外、自分は嫌われやすいのだ、と気づいたがそんなこと言ったって、自分の考えがダメだと言われたって、みんな一緒なのがいいのだと気づいたって、それで解決する問題でもないのだ。

私は困ってしまった。自分の考えはどうとでもなるし、自分の言動の意図は把握できるが、相手の気持ちも意図もどこにも書いていないのにどう読み取れというのだろうか。

顔に書いてあれば分かるのだがあいにく私は人の表情が読めない。目と眉の作り替えだけでよく分かるものだと感心するがそれが「普通」で私が「異常」なのだと気づいた。

私は「普通」になるためにまずは周りを観察することにした。このようなやり取りの時はどう返しているのか、どう振る舞えば穏便にことが済むのか。私は争いは嫌いなのだ。表情では分からないので声のトーンである程度把握できることを学んだ。会話の内容からある程度はそれぞれの関係性が把握できることを学んだ。

同じ笑顔でも喜びなのか、嘲りなのか、それとも作り笑いなのか、悲しみなのか。全くもって分からないので周囲の状況と言われてる内容、そして声のトーンで考えて返した。私は周りを見て「普通」になるための情報を集め「普通」を装った。1番無難な回答を返すことを学び、どんな服装が反感を買わないのかも覚え、制服は綺麗に保つ努力をして気崩さず、時には嫌なことでも笑って流すことを覚え「嫌われ者」から「弄られキャラ」の立場を手に入れた。

「弄られキャラ」は嫌なことも多いが、多少の失敗は「あいつじゃ仕方ない」など多めに見られることも多い。媚びるように下から目線で話しかけたり、進んでパシリになることで私はカースト底辺であり、馬鹿にはされながらも苛められはしない立場として高校を過ごしていった。この時に本当に気の置けない友人も1人できたのでまぁ悪くはなかったのでは無いだろうか。二度と戻りたくはないが。なんかムカつく、とよく言われていたがそれはこの「弄られキャラ」を装っているのを薄々気づかれていたのかもしれない。私としても弄られキャラになるのは不本意なことだったのだが自己防衛のためだから致し方ない。

大学は楽だった。高校ほど人間関係はなく、授業にさえ出ていれば良かったし、休んでしまっても少々お高めのお菓子とともに丁寧にお願いすれば見せてくれることも多かったし、心根の優しい子などは私が休むと心配してわざわざ「ノートは大丈夫か」などと聞いてくれることもあった。

それなりに派閥があることは知っていたが見ないふりをして、バカを装って気づいてないように見せかけた。そしてそれは私の元の気質も相まって成功した。相手からしてもこんなおバカさんは取るに足らない相手だから、そもそも争いにならないのだ。私はずるい人間だった。でも争いは嫌だったのだ。

バイトも並行して、1年目はギスギスした関係の中、手際が悪かったり、タイミングが分からず連絡しなかった、という点や、覚えきれないのに怒られるのが怖くて覚えた、と嘘をついてしまい迷惑をかけ、とても嫌われてしまったがそれは自己責任だと今では思う。立場は学生でもそこにいる以上学生の緩さでは許されないのは当たり前なのだ。

2年目からは外国系のところでバイトをした。ここはとても楽だった。「変わっている」ことは罪ではなかったし、休憩も時間さえ守れば何を食べていようと外に出ようと構わなかった。ルール違反だと思えば「こういう行動はこの理由で困る」と明確に教えてくれた。おかげで私はなぜいけないのかを覚えることができ、同じことを繰り返さないように気をつけることができた。


だがしかし、この頃から私はある問題に悩まされていた。SNS、某青い鳥を始めたのだが、人との距離感が分からない。元々、他人のいない世界にいたのだから今更他人をどの位置に置けばいいのか分からなかったのだ。もう子どものように言い争って本音を言って仲直り、なんてこともできず、私は優しくしてくれる他人を自分ではないけど自分と近い存在に置いた。これは間違えだったのだ。

四六時中、その人のことが気になってしまい、一喜一憂する。まるでメンヘラだが、自分とほぼ一緒の立ち位置に置いてしまったのだから動向が気にならないはずがなかった。ネット上でも自身の感情をまき散らし対人トラブルを起こし続け、ある時、「私にも私の生活があるから、あなたにはもう付き合いきれない、ごめん」と言われたことがあった。私はとても後悔した。相手にも相手の生活が私と同じように同じようにあることを知った。また、考え方も何もかも1部同じだったり近しい人はいても、同一の人間なんて存在しないのだと知った。

そして次は、私はそれぞれの生活があるなら邪魔してはいけない、と極力相手に合わせることを心がけた。全員が違うのなら高校の時のようにみんなに気を遣わないといけないのだと思った。フォロワー全員の発言をチェックし、誰かの嫌なことを言っていないか、あの人はこれが苦手だったはずだ、この人はさっき落ち込んでいたはずだから…などと考え優しい人間を振る舞い続けた。自己保身のためなのだが。

だが、どんなに合わせてもどこかしらかトラブルは起きた。私は分からなかった。なぜみんなが好むような言動を心がけているのに、トラブルが起きてしまうのか。その度に垢消しを続け逃げるようにSNS内を移動した。そのうち、なんとなくコツを掴みわりと長く続けていられるようになり、楽しいと思えていた。この頃は就職し生活も安定していたので余裕もあったのだ。

そして、時は流れ、問題は起きた。元々、不調だった自身に限界が来てしまい大きく体調を崩してしまった。ほぼ寝たきりに近い日々を過ごすうちに私は荒み始めていった。

夏の盛りだと言うのに動くこともできず直射日光の中死んだように水だけを飲んでいた。時が経つごとに歩くことが難しくなり、仕事は好きだったが行くことはできなくなった。杖をつきながらできるような職ではないのだ。最初は優しかったネットの人達も仕事もせず休んでるのに酒を飲んでは愚痴をこぼし続ける私を見て、離れていってしまった。

もう休職期間が間に合わない、という理由で退職をしたとほぼ同時にそのアカウントを削除した。そして私は、他人というのは確かに近すぎてもいけないが、所詮他人だし、ネットは所詮ネットであり、楽しいかもしれないが助けてくれるところではなく、最後は自分自身の問題なのだということを知った。

今は本当に興味のある人だけに絞り、広い電子の海のどこかで楽しく過ごしている。仕事はしばらくはお預けなのが不服ではあるが文句を言ったとこで変わらないのだから甘んじて受け入れている

ちなみに高校で親しくなった1人の友人は、本当に偏見がなく働けなくなったことすら問題にせず楽しく電話をしてくれている。つい怒ってる?と聞いてしまうが彼女は私が声のトーンで聞き分けてることを知っているので疲れてる、と返してくれるのでありがたい。疲れと怒りはどちらも下がるから分かりづらいのだ。

先日、あまりにも態度が変わらないものだから不思議に思って、そういえばなぜあまり好かれていない私と親しくしようと思ったのか、と聞いたら「私の話をきちんと聞いてくれたから」と答えた。私はそんな当然のこと、と思ったが、実は話を聞かされていることが多く、自分の話はできていなかった、と続けたから世界はどうやら存外ややこしいようだ。