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ボールが紡いだ縁の糸【FOCUS ON:宮吉悠太】

明治安田生命J1リーグから数えて「J8」の東京都社会人サッカーリーグ2部に所属しているTOKYO CITY F.C.。渋谷区をホームタウンに活動するクラブには、いったいどんな選手が在籍し、どんな思いを胸に秘めてプレーしているのだろうか。選手1人ひとりのパーソナリティに焦点を当てる連載企画「FOCUS ON」がスタート。第11回は京都橘高校出身で加入2年目のMF、背番号17の宮吉悠太に迫る。

宮吉悠太のプロフィール詳細

兄を追いかけて始めたサッカー

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 僕がサッカーを始めたのは5歳くらいだったと思います。2人の兄がサッカーをやっていて、その影響を受けて幼稚園でボールを蹴り始めました。

 小学校に入ったばかりの頃に東京から滋賀へ引っ越しましたが、兄たちとは違うクラブでプレーしていました。3歳上の兄・拓実は16歳でJリーグの公式戦に出場して、周りからは「すごいね」と言われても、J1の試合でピッチに立つことがどれほどすごいのか、当時はよくわかっていませんでした。

 無名の街クラブに所属する僕と、J1の京都サンガF.C.に所属する兄とでは差がありすぎましたね。中学生くらいまでは比べられることはなかったですし、プロの舞台を目指そうという思いもありませんでした。

 少しずつ意識が変わり始めたのは、高校時代でした。僕が入学した当時の京都橘高校はまだそれほど有名ではなく、全国的な知名度を獲得するのは1つ上の啓矢くん(仙頭啓矢=現横浜F・マリノス)の代が3年生の時に選手権で準優勝した頃です。

 当時2年生だった僕も選手権決勝に出場することができました。あの頃、同期の小屋松(小屋松知哉=現サガン鳥栖)がJリーグクラブの練習に参加したり、関係者が彼を見にきたりしていたので、自分も「Jリーグ」を少し意識するようになっていました。

 僕の今のプレースタイルも、高校時代に培ったものが大きいです。京都橘は基本を大事にするチームで、攻撃にはある程度の自由がありましたが、まず守備を徹底して、1-0でも堅実に勝つことを目指す戦い方でした。ゴールの取り合いになる試合も少なかったと思います。

刺激的だった学生時代

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 高校時代はボランチをはじめ、サイドやFWなど様々なポジションでプレーしました。京都橘から東洋大学に進学してもそれは変わりませんでした。でも、自分のプレーに対する意識はかなり変わりました。

 関東大学サッカーリーグには全国からタレントが集まってきていて、「プロに行く選手ってマジで違うな」と衝撃を受けました。当時の東洋大にはプロになる選手はほとんどいなくて、1学年上に京都サンガへ行った啓矢くんがいたくらい。僕の代にもJリーガーになった選手はいません。

 でも、他の大学と対戦したら相手にはバケモノみたいな選手がたくさんいて。しかも、みんな圧倒的なストロングポイントを持っているんです。「僕にこれはないな」と思いました。

 そこで、まず「リーグの中で戦える選手になるためにはどうしたらいいか」という視点に切り替わりました。それまでは技術で解決することばかり考えていましたが、メンバーの特徴や戦術に合わせて、状況に応じてどうチームに貢献するか、より意識してプレーするようになったと思います。

 3年生になるまで公式戦にはなかなか出られなかったところから、意識を変えたことで4年生になってからは徐々に試合で使ってもらえるようになりました。あの頃の経験は、今のプレースタイルにもつながっていると思います。

 とはいえJリーグには届かなかったので、大学卒業とともに一度サッカー中心の生活からは離れました。実は小学3年生から5年生にかけてサッカーを辞めていた時期があって、その頃は単純に「楽しくない」という理由でボールを蹴らなくなっていました。

 でも、大学卒業とともに一度サッカーを辞めようと思ったのは「楽しくない」からではありません。やっぱり、さらに上のレベルを目指すのは難しいと感じるようになったからです。

ピッチ上での運命の出会い

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 関西で就職してからも大阪の社会人サッカークラブに所属していました。基本的には週末に集まって試合をするだけのサッカーも楽しいのですが、高校や大学の頃のような楽しさは感じられなくなっていて、もう一度学生時代のような熱量のある環境でプレーしたいというスイッチが入ったんです。そのタイミングで出会ったのがTOKYO CITY F.C.でした。

 最初の接点はヤマ(#5 山之内裕太)からもらった連絡です。実はCITYの練習に参加するまで、彼には高校時代に試合をした時のピッチの上でしか会ったことがありませんでした。

 高校サッカーには試合が終わった後、お互いに「お前ら頑張れよ!」とエールを交換する慣習みたいなものがあります。僕とヤマは、京都橘と市立船橋高校の一員として選手権の準々決勝で当たっていて、僕らが勝って準決勝に進みました。その試合の後、ヤマからツイッターで「頑張れよ!」と連絡が来たんです。

 直接話したことはなかったのに、お互いに大学が関東だったこともあって、あの準々決勝の後からちょこちょこ連絡を取り合うようになっていました。一度試合をしただけで、本当に会ったことはなかったんですよ。

 そうしたら昨年、ヤマから「CITYが選手を探していて、大学の同期とかで誰かいい選手いない?」と連絡が来ました。正直、全然思いつかなかったんですが、そうしたら最終的に僕が誘われて。でも、一度練習に参加させてもらったら、僕が求めていたような熱量を感じられて加入を決めました。

 東京都社会人サッカーリーグ2部の選手登録期限には間に合わなかったので、CITYでの初めての試合が全国クラブチームサッカー選手権大会でした。「自分がいきなり出ちゃっていいの!?」と驚きましたが、チームメイトのみんなが快く受け入れてくれて、徐々に馴染んでいけたと思います。

CITYに入って感じた魅力

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 CITYには僕が持っていた「社会人サッカー」のイメージを覆されました。週末に集まって「とりあえず楽しくやろう!」と試合をするだけではなく、平日にも練習があって、監督やスタッフがいて、応援してくださる方々もいます。そして、公式戦に向けて練習から戦術面やメンタル面をしっかり準備していくというのは、僕が以前所属していたクラブにはありませんでした。

 スポーツなので勝負の世界ではありますが、サッカーの面以外でもクラブや選手の価値を生み出していこうと取り組んでいるところにも魅力を感じました。

 実際にCITYに加入してから、他のクラブとはやっていることも目指しているところも全然違っていました。自分自身も選手としてのプレーに限らない価値を提供できる人間になりたいと考えていたので、このクラブを選んで本当に良かったと思っています。

 ただ、自分から先頭に立って発信したり、何かを伝えたりすることはまだ苦手なんです。なので、まずは選手として勝利という結果を第一に考えながら、チームの一員としてピッチ外での活動にも積極的に参加し、自分の持っているものをCITYのために還元して、自分らしい価値を提供できるようになりたいと思っています。

宮吉悠太のプロフィール詳細

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