【日記】タロットと遊ぶ気持ち #海野波香のさざめき 【21】

結局のところ、私はスピリチュアリストではない。

私はタロットカードをそれなりに信じているが、それは運命や霊的な高次存在を信じているからではない。長い年月の蓄積によってタロットの役と絵柄がチェックリストとして洗練されたと考えているからだ。

どんな物事にも複数の側面がある。世界とは多面体をさらに無数の線で繋いだ立体であると私は思っている。

順調に進む計画を占って順調に進んでいることを示すカードが出るのは当然だし、見落としがある、失敗を警戒すべしというカードが出てもおかしくはない。

多くの場合、人間が物事に自覚的でいられるのはせいぜい多面のうちの2面程度だ。

愚者に始まり世界に至るまで、すべてのカードが示す兆候はすべての物事に秘められていると私は思う。

22枚の大アルカナをシャッフルすることで正逆を合わせて44通りの結果が出力される。つまり、残りの42通りに関しては「無自覚だったが意識すべき面」を示すカードが出る。

もちろん、その中で特筆すべき1枚が見出されたという点にスピリチュアルな作為を感じることはできる。

私の場合、カードに期待しているのは対話だ。内面との対話、気付きの機会。目を背けていたことへの自覚。

一昔前の精神医学のような効果をタロットに期待しているから、自然と占い自体もカウンセリングに偏る。カードの結果を押し付けるのではなく、クライアントと対話して心当たりを一緒に探っていく形になる。

ところで、私には今少し大きな悩みがある。

これについて何度か日を改めたうえで占ってみているのだが、何度やってもおおむね同じ傾向のカードばかりを引くのでゾッとする。

特に「この問題についてどうすればいい結果をつかめるか」では同じ意味のカードばかり引く。正直ちょっとスピリチュアルに偏りそうだ。

もちろん、これは私の解釈にもよるのだが。

私が愛用しているのは19世紀の版画家ギュスターヴ・ドレが手掛けたもので、様々な神話伝承から引用されており、たとえば魔術師のカードはモーセと十戒の石板のイラストが描かれている。

これをどう解釈するか。

基本的に魔術師のカードを私は意志とそれに見合った知識・スキルという風に解釈している。正位置なら意志の強さやスキル、創造力を示すし、逆位置なら意志薄弱、低次元な狡猾さを示す。

しかし、これがモーセと十戒の場面となると、石板を授かった瞬間なのか、それとも新たな石板を提示する瞬間なのかで解釈がぶれてしまう。

たとえば石板を授かった瞬間と解釈するのなら「天啓」「ひらめき」と解釈してもいいし、それが逆位置であるならその後山麓で石板を砕くことから「そのアイデアは拒絶される」と解釈してもいい。

ここをクライアントの質問や状況に合わせて解釈していくのがタロットの楽しさだと私は思っている。

今日のはっぴー

  • バスの時刻表を印刷してデスク周りに配置した、遅刻防止である

  • なんもできなかったけど少なくとも健康ではあれた、いいこと

  • 思ったより低気圧特有のしんどさがない一日だった、頭痛皆無

  • 家事片付けながら家族とまったり雑談できた、こういう日大事よね

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