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SES契約で開発遅延を理由に代金の支払いを拒めるか?

SI企業の法務担当者は、契約書のレビューばかりしていると思われるかもしれませんが、裁判前の交渉段階である開発トラブルにもたびたび関与します。

どんなに丁寧に契約レビューをしても、開発トラブルは不可避的に起こり、残念ながら契約書でリスクヘッジできる場面はそんなに多くないのが現実です。かといって、開発トラブルの多くが裁判に発展しているかといえば、そうではありません。裁判に至る案件は極めてわずかです。

裁判にならないとしても、契約や法律の知識は、企業間交渉においてトラブルを解決するときの共通言語ですから、開発トラブルのなかで、契約書からどのような主張ができるか、当社にどのような責任が生じるか、適宜、法務スタッフとして交渉のサポートをできるとよいですね。

しかし、法務担当者の数だけ、法的な主張があるので、論点一つとっても話が錯綜してしまうことがよくあります。

SES契約で開発遅延を理由にベンダーに責任を問えるか?

SES契約の定義などはインターネットの至るところに解説記事があると思いますので、省略します。SES契約で業務委託料の支払いでトラブルが起こったとき、SI企業の法務担当者はときどき以下のような主張をします。

SES契約は準委任契約だから、請負契約とは違って、設計書やプログラムの完成について責任を負わない。したがって、エンジニアが作業を実施した結果、設計書やプログラムが完成しなくても、作業時間相当の委託料を請求することは法的に理由があるはずだ。

ベンダー側としては納得の回答ですが、能力的にやや問題のあるエンジニアがアサインされてしまい、ユーザー側の満足度がとても低いときはどうでしょうか? 善管注意義務違反などいろいろと理屈を付けたくなるときもあるでしょう。

多重請負構造のなかで、SI企業は、さらに下請けベンダーに再委託するので、ユーザーの立場からSES契約にクレームを付けたくなるような状況もあります。

SES契約の実態は?

少し状況を変えて、エンジニアを派遣する労働者派遣契約の場合に開発遅延を理由に派遣料を拒めるか?と問われれば、おそらく多くの方がNoと答えるはずです。

なぜなら、労働者派遣契約は、派遣労働者の労働力を派遣先に提供して対価を得る契約だからです。

他方で、SES契約は、建前上、エンジニアが役務を提供する契約であり、法形式上は、SES契約と労働者派遣契約とは異なります。しかし、誤解をおそれずに書きますが、SES契約の根本には、時間単位で受注者に所属するエンジニアを発注者のために働かせるという発想があります。特に、顧客の事業所に常駐して開発業務を行ういわゆる常駐型のSES契約の実態は、労働者派遣契約と何ら変わりありません。

職業安定法という法律によって、違法な労働者供給が禁止されているという仕組みの下、労働者派遣契約によらない時間精算ベースの業務委託をSES契約と呼んでいるにすぎません。

このような業界の慣習に照らすと、SES契約は、エンジニアの稼働時間に応じて業務委託料が支払われるという当事者の合理的な意思によって契約が成り立っているものと強く推認されると考えます。

したがって、労働者派遣契約を同じように、SES契約において開発遅延を理由に業務委託料の支払を拒むというユーザー側の主張は、やや通りにくい主張といえるでしょう。

現実的には、エンジニアの交代という形で締結済みのSES契約の精算を行いつつ、次回以降の発注の調整が図られることになります。

どうすればよいか?

ここまでの内容はインターネットで解説記事がたくさんあることでしょう。そして、この先の対応策を提示してこそ、企業内弁護士の仕事でもあります。

契約時の対策として契約書に工夫をすることが挙げられます。どのような工夫をすればよいのか、そのためには委託料の発生の根拠になる要件事実を確認しておきましょう。

準委任契約に基づく報酬請求の要件事実

前提として押さえておくべき共通言語として、業務委託料(報酬)の発生根拠です。法律の世界では、要件事実といいますが、SES契約(準委任契約)において業務委託料が発生すると、

①委任契約の締結(報酬の合意を含む)
②履行の完了

です。この報酬請求の要件事実を具体的な事例に当てはめてみましょう。

①1ヶ月間、70万円で、平日9時から18時(うち休憩1時間)でエンジニア1名に支援業務を行わせる契約を締結した。
②エンジニアのAさんが①で定める時間に業務に従事した。

裁判では、①と②は、ベンダー側が証明しなければなりませんが、裁判前であっても、ベンダー側の証明を難しくしてしまえば、ユーザー側が交渉を有利に勧められるでしょう。なぜなら、契約や法律は、将来の裁判を見据えた交渉における共通言語ですから、弁護士に意見を求めたときは、要件事実を前提に事案に照らして有利か不利かの回答が示されるからです。

証明を難しくするというとわかりにくいですが、要は、契約書の記載やベンダーに求めるべき要望を工夫する、ということです。ほとんど何も書かれていないに等しい契約書を前提に、エンジニアの能力に問題があるからといって、抽象的に善管注意義務違反を主張しても、話が平行線になるだけです。

エンジニアに求められるレベル感を契約書に落とし込む

契約書のなかで、エンジニアの能力水準が記載されていると、契約に従った履行であるかどうかが明確になります。というのは、「エンジニアが月160時間稼働した」という内容は事実ですが、契約の世界では、契約の本旨に従って稼働したことが必要ですので、どのくらいの力量のエンジニアを稼働させるべきかという能力水準を契約書内に盛り込みましょう。

たとえば、契約書上は仕様書に従って単独でコーディングできるレベルのエンジニアに稼働させるとなっていながら、その言語に触れたことがほとんどない者であることが後から判明した場合、それは契約に従った稼働ではない、として、業務委託料の支払を拒絶したり減額の交渉する対応も考えられます。

実際に、エンジニアやプログラマーごとの単価と対応する形で各人に求められるべき能力レベルを契約書に盛り込む例も多く存在します。

また、契約後、なんだかこのエンジニアは能力的に怪しいぞ、という懸念が生じた場合には、スキルシートとの齟齬を明らかにするよう情報集めを行い、将来の交渉に備えましょう。

開発スケジュールどおりに進まなかった場合の法的評価を契約に盛り込む

「SES契約で開発遅延を理由に代金の支払いを拒めるか?」というタイトルに戻りますが、SES契約のなかで開発スケジュールと契約における作業内容がうまく結びつけられていた場合、スケジュール遅れに対するベンダーの責任が明確化しやすいです。

ベンダーの提案書や見積書には開発スケジュールが記載されることが多いですが、これらのスケジュールやタスクについてどこまでをコミットしてもらえるのか、きちんと確認しましょう。

開発スケジュールを遵守させ、やるべき業務や作成すべきドキュメントを明確化していけばいくほど、請負契約に近づいていきます。だからといって、準委任と書かれた契約書が直ちに請負契約と評価されるものではありませんが、契約という双方の合意のなかで、エンジニアのやるべき作業が行われていない、という事情が表に出れば出るほど、ベンダーからの報告書にあるエンジニアの稼働実績は本当にXX時間なのか、という疑念を生じさせやすくなります。

ひいては、先ほど、要件事実で確認した

①1ヶ月間、70万円で、平日9時から18時(うち休憩1時間)でエンジニア1名に支援業務を行わせる契約を締結した。
②エンジニアのAさんが①で定める時間に業務に従事した。

のうち、②について本当に立証が十分なのか、という交渉の土台に乗せることが視野に入ります(ただし、下請法の適用がある取引では要注意)。

まとめ

これまでの記述は、主にユーザーの法務の目線で対応策を示したものですが、下請けベンダーに再委託するときにも有効な視点です。

まとめとして述べておくと、「XXXを開発支援、1人月70万円」と記載した程度の注文書では、エンジニアの能力不足を理由に善管注意義務違反を問うことはほぼ不可能だと考えてください。特に、下請法が適用される取引で、このような主張を行って委託料の減額合意を取り付けようものなら、ほぼ間違いなく下請法に違反すると考えます。

以上、整理して書いてみました。


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