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それが、やりたかった仕事じゃなくても。

ずっとやりたかった教育の仕事。
某教育企業に内定が決まり、ウキウキしてた矢先に知った、配属先。その会社にそんな存在があることすら知らなかった”ITシステム部"。配属面談で"教育に携われる仕事なら何でもいいです”くらいまで言ったのに。なんでこんなに不運なんだろう。すでに人事部からいじめられてるのかな。

私の社会人一年目は、絶望から始まった。

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入社して初めて任せられた仕事は、私が入社前に想像していたいかなる仕事とも違った。

会社に入るクレームに全部目を通し、ITやシステム構築の観点から直せるところがないか探すこと。
特別なスキームで売っている商品の販売管理システムを考えること。
そしてその商品をつくっている(システムのことなんて全く考えていない)人たちに、システムのことを説明し、理解してもらうこと。

教育の会社なのに、教育の”き”の字も見ない日々。

でもそんなことは、誰にもあまり言えなかった。

楽しそうに教育の仕事をしてる同期に憐れまれるのも嫌だったし、
お世話になってる先輩たちに迷惑をかけるのも、嫌われるのも嫌だった。
でも心のどこかで”何でこの会社でこんな仕事をしてるんだろう”てずっと思ってる自分がいた。
私はこんなことしたくてこの会社に入ったわけじゃない、と。

いつからだろう。そんな仕事が少しずつ楽しくなったのは。

分かることが増えて、出来ることが増えて。
何より一緒に働いてる人たちのことが大好きになって。

世間からは見えない"仕組みをつくること、考えること”がどれだけ重要なのかを知った。
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大規模システム開発を乗り切った私は、その後社内異動希望を出し希望していた学校や教育委員会向けの部署に行き、その後会社を辞めNPOに転職し、今現在はデンマークの大学院で勉強している。

入社1年目の私は、自分の価値観が全てだった。自分が面白くないと判断した仕事に精を出す人たちに対しても疑問を持っていた。

でもそんなつまらないと思っていた仕事が面白く思えるようになった。

今考えると、それは周りの人たちがものすごくサポートしてくれたからだ。言い換えれば、活躍の場を与えてくれた。達成感が得られる環境を与えてくれた。居場所をつくってくれた。そしてそれが”やりがい”につながった。

今考えても、それはやりたい仕事じゃなかった。
今やりたいかと言われても、やりたくない。

でも私は、居場所とやりがいを見つけた、あの仕事ができてよかった。
今の自分の興味関心につながる、居場所づくりのことも、職場環境と言う点でたくさん実感として学べた。

そして”何事も小手先じゃなくて仕組みづくりが大事よね”という誰もが納得するあたりまえの考えを身をもって感じられたあの仕事が、今の私の価値観のひとつになっている。

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つまらない仕事、やりたくない仕事でも、3年続けろと言う人がいる。

私はそれが正しいとは思わない。
現に私もその部署に3年はいなかった。
つまらなくて、ほかにやりたいことがあれば辞めれば良い。
そしてもしどうしようもなく辛いのであれば、絶対辞める(逃げる)べし。

でも、もしイメージと違っても、その仕事に面白みを見出すこともある。
それが今までの人生で出会ってこなかったものならなおさら、自分というたくさんのパーツで出来ている物体に、新しいパーツが加わる感じ。

"食わず嫌いはよくない"

そんなことを身をもって経験した私は、好奇心を搭載してこれからも生きていくのだ。





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