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【虎に翼 感想】第103話 それぞれが内心に持つもの


寅子が声を荒げた理由は、自分に何の相談もなかったことが大きい。
優未が気を回して航一に相談したが、寅子を介さなかったため、誤解が生じていた。
自分に何の相談もないのに、航一と百合が勝手にケンカをはじめてしまい、当事者である自分は置いてきぼりの状態となってしまった。

百合の戦いの武器は、“家長” と “前妻” だった。法的には何の根拠もない、もろい武器ではある。民法が改正されて戸主制度は廃止された。亡くなった前妻の許可など、得たくても得られない。明治生まれの百合には、戦後の新しい制度に価値観を合わせろと言われても無理な話なのだ。戦前の価値観をよすがに百合は生きている。

意外にも朋一とのどかは反対せず、別にいいよ状態だった。これが本心なのだろうか。
のどかも祖父の話を持ち出して、意見を言えない亡くなった者を理由付けとして利用している。
自分たちが反対せずとも百合が猛反対するだろうから、自分たちは安パイなところにいようとしているだけなのではと、ついつい疑ってしまった。
朋一は法律を勉強しているだけあって、法律に忠実でいようとしているだけかもしれないし、のどかはお兄ちゃんに従っているだけかもしれない。

いずれにしても、寅子の一喝でひとまず昼食会は続行された。

航一も結局は、入籍という書面の結びつきを求めてしまった。内心を曲げてまで発した言葉であったなら、いずれはひずみが生まれてしまうだろう。

昨日の記事で、どんな名字でも寅子の本質は変わらないとさんざん書いたが、それは理想論でもある。実際のところは、裁判官としての寅子のキャリアに大きな影響を及ぼすことになるのだ。


裁判官が旧姓で判決文や令状に署名することが認められたのが平成29年だったとは、思ったより最近だったなと思った。

旧姓での判決文、令状への署名は認められない。信ぴょう性が疑われる……人格すら認められないかのような話だ。
桂場なりの、“司法の独立” へのこだわりだ。昭和30年当時では歓迎された理屈だったのだろう。

「なぜそんな、くだらないことにこだわる?」
との言葉は、人としてだけはない、桂場の裁判官としての失態だ。

寅子のこだわりを桂場が「くだらない」と思うのは、桂場の内心の問題だ。
だが、寅子の “こだわり” を一蹴したことにより、寅子の内心にまで踏み込んでしまっている。

裁判では、原告、被告双方が複数の主張をしてくる。
だが、複数の主張の中でも、当事者からすれば “ここを一番認めてもらいたい” というものがあったりするのだ。
判決で勝訴しても、判決文で個別に見た場合、その一番のところが認められていなければ納得いかずに控訴することもあるし、敗訴しても一番のところを認めてもらえていれば、気持ちに折り合いをつけて次の人生に進める場合もある。

桂場が、寅子が大事にしているものを理解しようとしなかった点は、非難されても仕方のないことだった。

だが桂場は、すぐに謝罪した。裁判官として、東京地方裁判所の所長としての面目は保てたのではないだろうか。

すぐに謝罪する判断ができた理由は “あんこ” だ。あんこに例えられたことによって、こだわりに踏み込まれることの意味を実感することができた。
先週の記事で、竹もとで梅子が作るあんこ(団子)の味を桂場が判定することは、桂場が権力を持ちつつある象徴だと書いた。その考えを変えるつもりはない。
だけど今日のやり取りは、梅子のあんこの判定に何らかの影響を与えるのではないかと、期待を持たせるものとなった。

世間では食べ物の3秒ルールなるものがあるが、桂場は、寅子の3歩ルール(5歩だったけど)に何とかOKをもらい、二人は通常業務に戻ったのだった。


山田轟法律事務所には、すでに戦災孤児たちは集まらなくなっていて、その代わり、憲法第14条の前で自分をさらけ出せる、自由の場となっていた。

本作では、例えば朝鮮人役を韓国人と在日韓国人の方が演じたり、役柄を投影させてくれるキャスティングとなっている。今日もキャスティングの妙により、観ている側がより実感を得られたシーンとなった。

路上生活者のために休日におにぎりを作る会。梅子のおにぎりから始まっているものの、おにぎりというのが良いと思った。握り方も出来上がった形もそれぞれ違って、個性が出るからだ。そこにいる人たちを象徴している。

おにぎりをゆっくり丁寧に握りつつ、それぞれの思いを語ってくれた。とても丁寧に。
優未が「手術すれば男の人から女の人になれる」と話せば山田(ゲストのほう)が「だいぶ近づける」と厳密に答えていた。

よねは小学生にも厳しい。どこまでいっても平等だ。だから、優未の「理由はいらない」の結論づけにも、「一つに決めつけるな、理由がいるときもある」「女を捨てたかった。男か女かと聞かれると、もはや女ではない」と手を抜かずに具体的に説明した。

「型にはめる必要もない、自分が何者か分かってもらう必要もない、自分たちがお互いを分かっていればいい」
この言葉を額面どおり受け取ってよいものだろうか。
理由付けや説明を経ないと自分を認めてもらえない。そんな人生への息苦しさから出ている言葉になっていないだろうか。

考え始めた寅子を、“またか” な顔で見るよねと梅子がいい。
だが初対面の人たちには寅子のトリセツが必要だ。

男とか女とか、誰が好きかとか関係なく、誰しもトリセツが必要だ。相手の内心を読み取るのは、簡単なことではない。

「女の人になるために頑張ったことがあるか」
男性であろうとした轟とも、日本人であろうとした香子にも通ずる言葉だ。
”○○であろう” とするがゆえに、トリセツがどんどん厚みを増して重くなっている。

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初めて聞く皆の思い……一番気づきを得たのは航一ではなかったか……

自分が星姓になることを “折れる” と表現した寅子。現行の法律の中で結婚するとなると、もうこの選択しかない。
だがそれでは一抹の不安は残る。“名字を変えざるを得なかった” という気持ちのまま結婚生活を送っても、航一と摩擦が起きたときにその気持ちが頭をもたげてきて、相手を責めてしまわないか。時雄はよく分かっている。

気づきを得た航一から発せられたのは……

「結婚するのをやめましょう」

その真意を聞けることを待ちたい。


「虎に翼」 8/21 より

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