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【虎に翼 感想】第126話 法曹者、山田よねの弁論

最終週のサブタイトル『虎に翼』。
「ただでさえ強い力をもつ者にさらに強い力が加わることのたとえ」(goo辞書記載=デジタル大辞泉:小学館より
強い者も、そうでない者も、翼を得て次の人生へ進んでいけることを願う最終週。


次の人生を進み始めた朋一

寅子の独り言はとっても大きい独り言だ。だから航一にも聞こえてしまっただけ。そうはいっても、寅子にはできれば自分を律して欲しかったけど。
本作を観ている法曹者の皆さんが、「独り言なら案件に関わることを話してもOK」と拡大解釈をしてしまうかどうか、試されているのだと思っている。

寅子の話は独り言だから航一も明確な答えを示すことが許されない。だから飲んだ勢いで魔法をかけ始めてしまった。へたくそか!
そんなふうに無理をしてくれる航一の気持ちがうれしい寅子なのだ。

朋一は、寅子と出会ってからの父親が変わっていく様をずっと見てきたけど、“ちちんぷいぷい” の声が外まで聞こえてきて、今日も新たな一面を発見してしまった。これで直治のサックスも外まで丸聞こえ確定だな。騒がしい家だ。

忘れそうになったが、朋一は大事な報告をしにきたところだった。
法曹の世界を離れ、家具職人として新たな一歩を踏み出すこととなり、岐阜へ修行に行く。その報告だった。
優未が棚を作ることを提案して、百合さんに「朋一さんは手先が器用だ」と褒められていたときのことが思い出される(結局、棚は作ったのかな?)

朋一は、星家の3代目として法曹の道へ進むことが当たり前だと思っていたふしはあった。背負うものが大きかったがゆえに理想も大きくなりすぎてしまったのではないだろうか。

今回の決断は、決して “逃げ” ではない。
法曹と距離を置きたい。裁判官を辞めても弁護士になる道も当然あるが、法曹の道しか選べない自分では前へ進めないと思っているのではないか。
裁判官としての敗北という経験がなければ思いつかなかったことだが、今一度、人生を振り返ってみたときに、家具職人という胸が熱くなるものと巡り合えたなら幸いだ。

話を聞く限りでは、離婚はしていないようにも受け取れる。家具職人になることも妻と相談して決断してから実家に報告に来たようだった。

先日のとっておきのワインしかり、航一にとってお酒を出すことは、成人した子たちを個人として最大限、尊重することの表れのように思えた。子たちにとっても親の愛情を最大限、感じられることとなっているはずだ。


最高裁判所、弁論期日

山田轟法律事務所。
最高裁判所での弁論期日が近づいてきている。
憲法に見合った世の中になっているのか、今一度考えるよねである。
「山田ぁー!心を痛めているヒマも、緊張しているヒマもないぞー!」
轟の言葉は、航一が話を聞きに来たときのよねの言葉のアンサーだ。

・・・・・・・・・・・・
昭和47年5月
足音と服が擦れる音が響く、厳粛な雰囲気の中、弁論期日は開廷した。

大法廷にいる数少ない女性、山田よね代理人から発せられる斧ヶ竹美位子の地獄、孤独を伝える言葉は、大法廷にいる者たちの心を揺さぶる……

いや、そんなものを凌駕する、“法曹者山田よね” の弁論だったのだ!

論点は誰の目から見ても分かりきっていますので、回りくどい前置きはしません。刑法第200条、尊属殺の重罰規定は明らかな憲法違反です。
昭和25年に言い渡された刑法第200条の最高裁合憲判決。その基本的な理由となるのは、“人類普遍の道徳原理”……

よねの弁論 冒頭

穂高教授が少数意見を述べたあの判決では、“人類普遍の道徳原理”(子の親に対する道徳責務)を理由に合憲とされた。
よねの言葉を借りれば「アホか」と言わんばかりに道徳原理を崩していく。

本件において、道徳の原理を踏みにじったのは誰か。
尊属である父親を殺した被告人ですか。
それとも、家族に日常的に暴力を振るい、妻に逃げられ、娘を強姦し続け、子を産ませ、結婚を阻止するために娘を監禁した、被害者である父親ですか。
暴力行為だけでも許しがたいのに、背徳行為を重ね、畜生道に堕ちた父親でも、彼を “尊属” として保護し、子どもである被告人は、服従と従順な “女体” であることを要求されるのでしょうか。
それが人類普遍の道徳原理ならば、この社会と我々も畜生道に堕ちたと言わざるを得ない。
いや、畜生以下、クソだ

よねの弁論 道徳原理を踏みにじったのは誰か

”強姦” も ”女体” も、生々しさを表現するに十分すぎる言葉だった。大法廷であえて使ったと考えるのが自然だ。

クソ発言に対し、
桂場裁判長の「弁護人は、言動に気をつけるように」と、
轟代理人の「不適切な発言でした。お詫びいたします」
のやり取りは予定調和といってもよいだろう。

「いけ、山田」

転換の合図だったか、ここでようやく憲法に言及する。

憲法第14条は、“すべての国民が法の下に平等である” とし、第13条には “すべての国民は個人として尊重される” とある。
本件は、愛する人と出会った被告人が、すべての権利を取り戻そうとした際、父親から監禁と暴力による妨害を受けた結果であります。
当然、正当防衛もしくは過剰防衛に該当する。
もし、今もなお尊属殺の重罰規定が憲法第14条に違反しないものとするならば、無力な憲法を、無力な司法を、無力なこの社会を嘆かざるを得ない。
著しく正義に反した原判決は、破棄されるべきです。
以上です。

よねの弁論 憲法違反

先に ”道徳原理” を元にした法律の不備に触れておいて、最後に原判決(高裁の判決)が ”正義” に反していると断じ、量刑についても忘れずに触れている。素人ながら一分の隙もない弁論だったと感じることができた。

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よねから発せられた「はて」の言葉。
目を閉じていた桂場がよねを見据えた。

桂場には、よねの後ろに寅子の姿が見えたのではないだろうか。
そして、寅子の “法曹の父” である穂高教授の姿も。
そして、退任祝賀会での寅子から教授への “尊属殺事件” も蘇ってはいなかったか。
その原因が、教授が「(自分が)大岩に落ちた雨垂れの一滴にすぎなかった」と、法曹の娘である寅子を突き放したことだったのも。

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よねの弁論に傍聴席の男性記者が大きくうなずいていた。これで世論も動き、流れが変わっていくはずだ。政権与党の寒河江幹事長だって「国民の声に耳を傾けろ」と言っていたではないか。政府も法改正に動くはずだ。

それだけではない。尊属である親の道徳心を説いたよねの弁論記事は、きっと少年法改正の議論にも影響を与えるはずだ。道徳心の欠如の責任を子どもの側に押し付けるのではなく、まずは大人が律していかなければとの論調になることを期待してやまない。


美雪の審判、ふたたび

並木美雪は、再び補導された。
窃盗教唆事件と売春防止法違反事件。

美雪の祖母、佐江子が家庭裁判所を訪れ、手帳を見せられたシーンで危惧していたとおり、美雪はやはり、美佐江が手帳に書き遺した出来事をなぞって母親を感じようとしていたのだ。

寅子は試されている。美雪と向き合うことは、蓋をしていた美佐江のことを20年経って掘り返すことだ。後悔を上塗りすることだけはしたくない……


「虎に翼」 9/23 より


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