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オカルテット7 憂いをまといし若宮司

主要登場人物

鵜ノ目冴歌


横山大和


東條・レイ・エミル


  憂いをまといし若宮司


 森の入り口から続いていた一・五キロほどの長い上り坂を歩いて二十分。ようやく小さな鳥居が見えてきた。朱色は大部分が剥がれ落ち、そばにある『三上神社』と掘られた石碑はこぢんまりとたたずんでいる。拝殿もお世辞にも新しいとは言えない。
「朽ちた神社ね」と冴歌。
 少し歩を進めて、一礼してから境内に入ると、その拝殿をせっせと磨いている小太りの一人の女性がいた。
「あーあの、スンマセン。ここに、幽霊が視えるっていう神主さんがいるって聞いたんスけど」
 振り向いた女性は、訝しげに大和を見た。明らかに警戒されている。目元の小ジワが目立つその姿は、五十代後半くらいだろうか。
「神主っていうのは、神職にご奉仕する人全般を指す言葉よ。あなたがおっしゃるのは、ここの若宮司のことかしら?」
 女性は掃除の手を止めて、今度は目線が泳ぎっぱなしの冴歌を一瞥する。一瞬目が合った女性は不思議そうな顔つきをしている。
 そして再び大和に向けたのは、眉間にシワを寄せた顔。派手な髪色にガラの悪い風貌、おまけにガタイもいい男が来れば、警戒もするだろう。そもそも、冴歌と大和の取り合わせからして不思議に思うのも無理はない。
 そこで、冴歌がメモを差し出す。『私たちはここの宮司さんに頼みごとがあって会いに来たんです』
「ごめんなさいね、私はどうも人様の顔を覚えるのが苦手で。氏子さんに、あなたたちみたいな人はいたかしら。ただでさえ舞狗市は広いし、ましてや私はこの先の風早(かざはや)村の出身だし」
 実は、同じ舞狗市に括られてはいるが、この山を含めたこの先には、サスペンスドラマや映画に出てくるクローズドサークルを彷彿とさせるような小さな集落がある。部外者が立ち入るには、入り口に祀られた風の精霊の石像に儀式を施さなくてはならないとか。
 そのことを思い出していた冴歌に、大和が小声で尋ねてくる。
「冴歌、氏子ってなんだ?」
「自分の地域の神社を信仰する人たちのことよ」    
 冴歌も小声で返す。
「自己紹介がまだだったわね。私はここ、三上神社の総代の深見よ」
「オレ……じゃなくて、私は横山です」
 慣れない一人称を片言で話すさまに冴歌がぷっと吹き出すと、左の脇腹に軽い肘鉄が飛んできた。
『私は鵜ノ目です』
「失礼だけど、そちらの女性は耳が不自由なの?」
 深見は変わらず品定めをするようにじろじろと大和を見ながら、彼に問う。
「いえ。ちゃんと聞こえてるし、慣れてる奴……人とは普通に会話できるんスけど、初めて会う人とは慣れるまでいつも筆談するんで、気にしないでください」
 深見は「そうなのね」と、どこか安心したようにつぶやき、持っていた雑巾をバケツの上で絞ってふちに掛けた。
「深見さん。ところで、ソーダイってなんスか?」
「たくさんいらっしゃる氏子の皆さんの代表者をそう呼ぶのよ。宮司さんと協力していろんなお仕事をするの。境内や参拝者の方がお参りする拝殿、社務所やトイレとかの掃除をしたり、御札の授与⸺要するに販売ね、そういうこともしたり」
「へぇ、そうなんスか」
 自分のことに興味を持たれたのが嬉しいのか、深見の声は穏やかなものになっていた。
「お祭りのときのときなんか大忙しよ! 準備はもちろん、当日のサポートも仕事のうち。巡行路や巡行時刻を決めたり、道路の使用許可を警察に申請しに行ったり」
「いろいろ大変なお仕事なんスね」と言う大和の横では、冴歌が必死にペンを走らせている。
「あら、鵜ノ目さんだったかしら? ずいぶんと勉強熱心なお嬢さんね!」深見は嬉々としている。
「お嬢さんっていう歳でもないっスけど」
 本来なら冴歌が言うようなセリフを大和が代弁する。当人は表情一つ変えることなく、書くことに没頭している。
「ところで若宮司はどちら⸺」
「お正月の歳旦祭のときは、しめ縄と門松を作るのよ。しめ縄はワラ選びから始まって、きれいな茎のものが手に入ったら、編みやすくするように木槌で叩いて柔らかくするの。鳥居に飾るときは、さすがに他の氏子さんにも協力をお願いするけどね」
 聞いていないことまでしゃべりだす深見。
「歳旦祭の当日は、御札の授与をしたり、御朱印を書いたりと、徹夜作業になることもあるわ」
 深見の話は止まらない。
「年明け直後には、甘酒やお神酒をふるまったり、境内でのお焚き上げの火加減を見たりと、とにかく! お祭りのときはもちろんだけど、普段からてんてこ舞いなの。でも、氏子のみなさんから全員から推薦されたうえで、最終的に宮司さまに選んでいただいたんですもの。任期である三年間、今期も誇りをもって取り組まなくちゃね!」「それで! その宮司さまはどちらに?」
 痺れを切らした大和が声を張り上げる。深見は我に返ったように「あぁ」と小さくこぼす。
「あなたたちの左側に小さい石段が続いているのが見えるかしら? あそこ、舞狗市が見渡せるほどの高さがあるのよ。若宮司ならそこに」
 その言葉を冴歌の耳が拾った。大和は大和で、宮司の居場所を聞くや否やさっそく向かおうとする。
「でも! 今はやめておいたほうがいいかもしれないわ!」
「冴歌! 行くぞ!」
 宮司に会いたくてうずうずしていた大和は、深見の言葉の意味を問わなかった。冴歌が理由を尋ねようにも、大和はすでに石段を昇っていく。仕方なしに、深見にぺこりとお辞儀をして、駆け足で後を追った。
 舞狗市を眺望できるとあって、石段は思ったよりも長かった。
「参列並びに拝(おろが)み奉り日毎蒙(かかぶ)り奉る……」
「上のほうから、なんか声が聞こえないか?」「そうね。若宮司さんが祝詞を上げているのかしら」
 石段の途中で、ところどころ呪文のような言葉が聞こえてくる。これが深見の言っていた言葉の意味だと、冴歌は理解した。
「恩頼(みたまのふゆ)を謝(いや)り奉り辱(かたじけな)み奉る状(さま)を愛(めぐ)し……」
 ようやく頂上にたどり着いた頃には二人の息は上がっていた。
「お! デケェもやしみてーな野郎がいるな。アイツが例の若宮司って奴か?」
「ちょっと! 聞こえたらどうすんのよ」
 広い丘の百五十メートルほど先にいたのは、シルバーの髪に青いメッシュの青年。横顔しか見えないが、西欧系の顔立ちをしている。
「宮司が外人とは驚いたぜ」
「祓い給い、清め給え。神(かむ)ながら守り給い、幸(さわきわ)い給え。東條・レイ・ヴァンへ恩頼在り給え」
「すらっとしてて、背丈がかなり大きいわね。私は百六十ジャストだけど、あんたは何センチだっけ?」
「身長の話か? 百七十二だけど。アイツは百九十近くはあるんじゃねーか?」
 少しずつ青年との距離を縮めながら、ひそひそ会話する二人。
 青年は目を閉じて深呼吸をすると、細く目を開けた。
「なんでかしら、百メートルほどのここからでも、あの人から哀愁を感じるわ」
 一陣の風が吹き、青年の装束のような裾がはためく。目を細めたまま、町を見下している。
「なんか声掛けづらいな」チッと舌打ちするのが聞こえた。
 ぶわっと巻き上げるような強い風が吹き、大和と冴歌は思わず腕で顔を覆った。
「……さて。そこのお二人、何かご用ですかな?」
 風がおさまって目を開けた二人の前には、町を眺めていたはずの青年がすぐそこに立っていた。冴歌は「ひゃっ!」と声を発し、大和は肩を大きく跳ねらせた。
「オ、オマエ! いつの間に!?」
「ふむ……。徐歩、いわゆるすり足というものですが。祝詞を上げているさなかに、お二人の気配は感じておりました」
 二十代後半といったところだろうか。鼻筋もしっかりしていて、顔立ちが整っている。そんな青年の視線は、深見のときと同じく、大和へと注がれている。
「あ? ひょろ長もやし野郎め、ガン飛ばしてんのか?」
 青年を見上げる形で腕まくりをする大和を、冴歌は慌てて押しとどめる。
「大和! 喧嘩ふっかけてどうすんのよ!」
 そこで冴歌は急いでメモに書きつける。『初めまして。私たちは今日、あなたにご用があって伺いました』と、青年にメモを渡す。青年は何かを思案するような顔つきをして、「ふむ」と一言発する。
「小生は東條・レイ・エミルと申します。して、小生に何用ですかな?」
「オマエ、見たところ二十代後半だろ?」
「いかにも。二十七であります」
「小生って、オヤジくせぇな」
 年下にじろじろと見られたのがよっぽど気に食わなかったのか、大和はハッと鼻で笑った。
 その脇腹を小突いた冴歌は、再びエミルにメモを渡す。『お祈りの邪魔をしてしまい、すみませんでした。私は鵜ノ目冴歌、こっちのジャケット男は横山大和といいます。大和は、ガラも口も悪くて、そのこともすみません』
「誰がガラも口も悪いって!?」
 メモを見た狂犬は今度は冴歌に食って掛かるも、自制したのかすぐにおとなしくなった。
「コイツ、慣れるまで緊張で声が出せないだけで、耳は聞こえてるから。ただ、筆談だとまどろっこしいから、オレから言うわ」
 大和はジャケットの襟を正す。目つきも真剣なものに変わった。
「オマエ、幽霊が視えるんだろ?」
 その言葉に、青年⸺エミルはあからさまに顔をしかめた。それでも大和は話を続ける。
「最近、隣町の仁大寺で妙な現象が起きてるんだよ。一人ぐらしの奴らの家々でガキの走り回る音がするとか、道を歩いてるとどこからか馬の鳴き声や蹄の音がするとか」
 話を聞いているエミルは、目線こそ大和に向けているものの先程の不快な表情とは打って変わって、覇気がない。
 そんな彼に気づいているのかいないのか、大和はさらにたたみかける。
「町の人から三上神社、つまりここに霊視ができる神主がいるって聞いてよぉ。さっき、石段の下でソーダイっていう深見さんにオマエがここにいるって教えてもらったんだ。オレたち、今ちょうどその仁大寺の現象について調べてて、ガセネタかと思ってたガキの足音を、依頼主の家でコイツが聞いたんだ」
 大和は冴歌を指さす。
「して、小生にどうしろと?」棘のある口調。
「仁大寺の中心部の馬頭観音のひとつが壊れたって話も聞いてて、封印が解かれたってのは考えられねーか? これはマジモンの心霊現象かもしれねーんだ! 依頼主にはぜってー解決するって約束したんだ。霊が視えるっていうアンタだから頼む、オレたちに力を貸してくれ!」
 普段めったに見せることのない困窮した様子で、大和がその頭を下げた。となりで冴歌も深々と頭を下げた。
「それは致しかねます」エミルはきっぱり言い切った。即答だった。
「はぁ!? なんでだよ! 人がこんなに頭下げて頼み込んでるっつーのに!」
 不服を前面に押し出して噛みつく大和に、エミルは冷淡な表情で次の言葉を発した。
「小生にはできぬことであるゆえ」
「じゃあなにか! 霊視ができるっていうのはハッタリだったってことか!」
 エミルはため息をつくと、近くの小枝を手に取った。「大地の恵みよ、どうかお赦しあれ」とつぶやき、「霊験灼然(れいげんいやちこ)!」と高らかに叫ぶ。するとどうしたことか、七頭身ほどの木が二人の目の前に現れた。
「な、なんだこれ……」
「木の精霊である」
 茂った葉っぱがおそらく頭、二十センチ弱の横幅の幹が体で、手のようなものはないが、太い枝が足のようだ。
「此度は貴殿らにわかりやすいように、あえて大きな精霊を呼び出した。この行為を精霊の『精』と命令の『令』を用いて精令(しょうれい)と呼ぶ。が、呼び出す精霊の大きさによって、体力および精神力を摩耗する。まあ、これでは霊が視えるという証明にはならぬが」
「いや、充分だぜ! だから⸺」
「だから断ると申したであろう!」
「なんでだよっ⁉」
 怒りのみの純粋な感情をあらわにするエミルの声と、怒りに悔しさをにじませた大和の声。二人のやり取りに、冴歌はただ立ち尽くしていた。
「……さて。本日はお引き取り願えますかな。小生はこれより神饌、神へと捧げる供物を買いにいかねばならぬゆえ」
 エミルは冷静ながら淡々と口にする。そして、一言も差し挟む余地を作らせず、しずしずと石段を降りて行ってしまう。
「クソッ、待ちやがれ!」
 後を追おうとする大和の袖を、冴歌が引っ張る。
「なんだよ! 止めんな!」
「落ち着きなさいよ! あんた、霊視ができるって言葉を口にした途端、エミルさんの表情が変わったのに気づいた?」
「あぁ!?」
「不快感をあらわにした顔だったわ。そのあと続けて仁大寺の案件になったたときは、虚ろ目をしていた。あんたのことだから、仕事のことで頭がいっぱいになってて、気がついていなかったんでしょうけど。まぁ、私も人のこと言える立場じゃないけど。きっと引き受けられないのには理由があるのよ。とにかく、今日はもうだめだと思う。また日を改めましょう?」
「チッ。こうしている間にも星冶や仁大寺の奴らが霊障に悩まされてるかもしれねーのに」
 やむなく、二人は石段を降りて神社を後にするのだった。

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