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オカルテット3 先約

 

鵜ノ目冴歌


保志星冶


横山大和


  三 先約


 いつの間にか足音はまったく聞こえなくなっていた。
「少し落ち着きましたか?」話しかける機を窺うような慎重な声色。
「ええ。ごめんなさい」
 その頃には星冶の顔色も幾分かましになっていた。
「何か作りましょうか。ほら、もう一時半ですし」
「いいんですか?」
「僕もお腹空いてきたから」気遣うような笑みで、彼は言葉を続ける。
「簡単なものしかできませんけどね。んーと、目についたのは卵とレタスかぁ」冷蔵庫の中を見ながらつぶやく星冶。
「レタスチャーハン?」頭に浮かんだものを口にする。
「食べたいというか、食べられそうですか?」
 その質問はおそらく体調を案じてのことだろう。
「ええ、私は平気。むしろ保志さんのほうが心配」
「脂っこいからですか?」「ええ」
 僕なら大丈夫ですよと、さっそく調理にとりかかる後ろ姿をぼうっと見ていると、「そこのラウンジチェアにでも腰かけて待っていてください」と言われる。
「じゃあお言葉に甘えて」
「なかなか座り心地いいでしょ? レポート課題が終わったあとに仮眠するのにちょうどいいんですよね」
 まさにそのとおりで、うっかりすると寝落ちしそうだ。
 間もなく香ばしい匂いが部屋を満たす。
「いい匂い……」
「ごま油にしてみたんですよ。あ、すみませんけど、そこにある茶色の折りたたみテーブル広げてもらっていいですか?」
 設えた食卓にレタスチャーハンが二皿並ぶ。スプーンの持ち手の先には猫のモチーフが付いている。
「猫、好きなんですか?」
「あぁ、彼女が。まぁ、僕も好きですけどね」
 互いに「いただきます」と言って手を合わせる。
 食べ始めてほどなく、「あ、雨」と、いち早くその音に気がついた冴歌がぽつりとこぼす。
「あー、ほんとだ。降ってきちゃいましたね。傘、持ってきていてよかったですね」
 ちょうどスプーンを口に入れるところだったので、うなずく。
 一匙、二匙と食べ進めていくうちに、「あれ? バイブの音がする」と言ったのは星冶だ。
「僕のじゃないや。鵜ノ目さんのスマホじゃないですか?」
「私、ガラケーなのよ」と言いつつ、カバンから取り出して二つ折りを開く。
「着信。横山大和。どこを押せばいいんだろう? たしか赤いのは電話切っちゃうやつで……」
 星冶に聞こうにも、よほどお腹が空いていたのか、それとも早食いなのか、すでに食べ終わっていて洗い物をしていた。だるそうには見えるが、部屋に帰ってきてすぐの時間と、例の足音が聞こえているとき以外は比較的動けるらしい。
「とりあえず、赤く光るボタン以外を適当にっと……」
 ここかあそこかといくつか押すが、画面は変わらない。いよいよお手上げかと思って押したどこかのボタンで、画面が通話中の表示になった。
「……あ。つながった」電話向こうの、間が抜けた第一声。
「なによ、その腑抜けた声は。なんか適当に赤色以外のボタン押したらつながったのよね」
「腑抜けた声だの、つながったのよねぇだの、ずいぶんと呑気に構えてやがるな。テメェ、今どこにいるんだよ!!」
 今度は耳をつんざくような大声が飛んできて、思わずガラケーを耳から遠ざける。
「ヒッ! ヤクザ!?」
 それは洗い物をしていた星冶にも聞こえたようで、肩が大きく跳ねた。
「どこって、仁大寺だけど?」
「今日の十時、郷土資料館で待ち合わせだっただろ!」
「あれ? あんたも十時?」
「『も』ってなんだよ。今日、オレと! 仁大寺調査!! まさか忘れてたとか抜かすんじゃねーよな!?」
 電話の相手は馬鹿でかい声で、一語一語を強調してくる。
「あぁ!」
 終わりまで言われて、先約が大和であったことを思い出した。仁大寺には、本来は大和と調査に向かうことになっていたのだ。
「テメッ……やっぱ忘れてやがったのか。チッ。どうせ約束の一時間以上も前には現着して、フラフラしてるんだとは思ってたけどよ」
 呆れた声のおかげか、大和の声量が落ち着いた。
「つか、水の流れる音がするな。川……いや、流しの水みたいな。オマエ、誰かんちにいるのか!?」
 そう思ったのも束の間、またボリュームアップ。
「相変わらず馬鹿でかい声ね。保志さんのところだけど」
「あ? 誰だ、ソイツ!」
「『超常現象さあくる』で知り合った人。今日初めて会ったの」
「男か!? 女か!?」ここで一気にヒートアップ。
「男子大学生だけど」
「まさか、れれれレ、レイプ……」「ないない」
 即行で否定。その単語を口にした大和のうら恥ずかしそうな声色がおかしくて笑いそうになったのをこらえる。
「信じられっか! とにかく今からそっちに向かう!」
「えー、いいわよ。あんたが来たら、ややこしくなりそうだし」
「は? どういうことだよ」
「美人局って言葉、知ってる?」
 問いを投げかけると、電話の向こうがしばらく静かになる。
「えっと、ツツモタセ……」
 ネットで意味でも検索しているのだろう。
「はぁ!? テメッ、ざけんな!! オレが悪モンみてーじゃねーか!」
「そうだとしたら、あんただけじゃなくて私も共犯になるけどね」
「とにかくソイツと変われ!」
 星冶を見やると、キッチンに立ちすくんで小さくなっている。
「あー、無理。完全に固まっちゃってるもの」
「なら、ソイツから住所聞き出せ。早く! あ、ガラケーのボタンはどこもいじるなよ? うっかり切られでもしたら、次にオマエにつながるのはいつになるか……」
 電話の向こうを「はいはい」と軽くいなしてから、ガラケーを右手に渋々と立ち上がる。そして小さくなっている星冶のもとへ行く。
「保志さん、ここの住所教えてもらえる?」
「ほ、ほんとにヤクザじゃないんですよね?」
 電話越しが「誰がヤクザだ!」とぎゃんぎゃん喚く。「はいはい、あんたは黙ってて」と制する。
 目は見れないので、胸のあたりに視線をやりながら保志と向き合う。ややこしいことにならないように状況を説明する。
「えーっと。今日、本当はいま通話してる大和って奴とこのエリアを調査する先約があったの。で、その大和って奴なんだけど、すごいガラが悪いし口も悪いけど、根っからのワルじゃないから。そこは私が保証するわ」
「そ、そうですか……」
 なおも萎縮する星冶は、そのまま小さくなって消えてしまいそうだ。
「そいつが今から迎えに来るって言って聞かないから、ここの住所教えてもらえる?」
「う、鵜ノ目さんのお知り合いなら、きっと悪い人はいないでしょうね」
 全身も声も震えている星冶からなんとか住所を聞き出し、大和に伝える。
「わかった。そこの三〇三だな? この土砂降りの雨とはいえ、もう勝手にフラフラすんなよ?」
「大丈夫よ。レタスチャーハンをゴチになってるところだから」
「オマエ、ホント……。マイペースってか、空気読めねぇっていうか。ふーん、こっからだと二十分くらいか」
「たしかにこの辺りは入り組んでるけど、いつものバイクでも?」
「アホか! 町全体の様子を調べるってのにバイクでかっ飛ばしてたら、見落とすかもしれねぇモンもあるだろうが! まずはテメェの足で調査が基本だ」
「何よ、カッコつけちゃって」
「あぁん? なんか言ったか?」
 また声が大きくなってきたので、「そろそろ切るわね」と返答も待たずに赤く光るボタンを押す。
「あ、あの……! 食べ終わったら……お皿、ください。あ、洗いますから」
「ありがとう」
 通話を終えたタイミングで話しかけてきた星冶に、穏やかな声色で礼を言う。
 彼には気の毒だが、大和の素性を知っている冴歌は、そのまま食事を再開するのであった。

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