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オカルテット8 帰路

主要登場人物

鵜ノ目冴歌


横山大和


  帰路


「あんのひょろ長もやし野郎め!」
 境内を後にして、下り坂を大股で歩く大和は、腸が煮えくり返っているようだ。
 早足の彼に歩幅を合わせながら、冴歌がぽつりと言う。
「あんたってさ、今回の幽霊が視えるっていう宮司さんのうわさはどこで聞いたの?」
「ずいぶん前の話だが、町の人から聞いた。川浜のじっちゃんちの猫探しを終えて帰ろうとしたら、二人組の女性が話しかけてきたんだよ。『ねぇ、大和くん。知ってる? 三上神社には幽霊が視えるっていう神主さんがらしいわよ』なんて言ってさ。彼女たちが言うにはなんでも、スラッとしてて、超イケメンなんだと。でも、豊穣祭とか祭りのとき以外、滅多に姿を見せないらしい。その二人組はこっちに越してきて間もないから、まだ祭りには参加したことないらしくて。二人して『会ってみたーい』とか、キャッキャしてたぜ」
 つっけんどんではあるものの、返答があった。
「祭りねぇ……。そういえば、おじいちゃんが亡くなってから参加したことないわね」
「オレも似たようなモンだ」
「それにしても、不良の道から足を洗ったあんたのこと、町の人はずいぶんと信頼しているのね。ましてや引っ越して来て間もない人にまで」
 少しでも大和の気持ちを静めようと、言葉を選ぶ。
「ふふん、情報屋のオレさまの名は町じゅうに轟いているってことよ!」
 右指を立てて調子づくが、すぐに真顔に戻って大和は先を続ける。
「とはいえ、鈴姉みたいに、本当にオレが改心したのかって初めは警戒してた人も少なくなかったけどな」
「いいじゃない。今では舞狗市きっての情報屋として認められてるんだから」
「なんだよ、妬いてんのか?」
「別に。あんたと知り合ってもう六年くらい経つわよね」
 冴歌は意地悪い言葉を受け流し、顧みるような声で言う。
「そうだな。川浜のじっちゃんが所有している空きガレージを貸してもらって、町の便利屋を名乗ってちょうど五年。オレが二十三、四のときだ。オマエは四十手前だったか?」 
「そうね」 
「入ってくるなり、『オカルト系の情報を寄越せ、報酬は私が雇ってあげるから』だったっけ?」
 そこで豪快に吹き出す大和。
「何よ!」
「いや、目線を全然合わせようとしねーし、おまけに筆談で要求してきたモンだから、それこそ警戒しちまったぜ」
「町の便利屋を名乗るあんたに、私も警戒というか半信半疑だったけど。実物を見たら、ガラが悪いし。本当にこいつが便利屋なのか、はたまた便利屋を騙ってお金を巻き上げてるんじゃないかって」
「そこまで言うか!?」
 大和は「もう少し言葉を選べよな」と言い、襟足を掻く。
「でも、オマエの持ってきた写真のアレはマジモンだったよな」
「ええ、たぶん……」

「信善町(しんぜんまち)に棲む水の魔物!」
 三徹⸺三日続きの徹夜でぼんやりした頭に、それは突然飛び込んできた。『超常現象さあくる』には、次々とそれにまつわる書き込みがされていく。それらに目を通しているうちに、たちまちホットトピックの欄に掲載された。
 さっそく信善町の場所を調べると、かなり遠い地区だった。
「これは、今から行かないと間に合わないわね」
 そこでパタンとノートパソコンを閉じた。
 ⸺未明の泉の前には行ってはならない。たちまち冷気が立ち込めて、泉から黒いでかい怪物がぬっと現れて、そのまま水の中に引き込まれるから。かつて海だったここでは何人もの漁師が命を落とした。その怪物はそうした船乗りたちの霊の集合体で、うわさを確かめに行った何人もが今も帰って来ていない⸺
 腕時計はすでに日付をまたいでいた。
「あーあ、こういうときにチャリに乗れたらいいんだけど。あいにく自転車に乗るスキルは会得してないもんなぁ」
 手短に身支度を済ませて家を出る。ダウンコートを着込み、レトロなカメラもしっかりと首から下げて。
 外は身を切るような寒さだった。二時間もかけて歩いた果ての町は、ひっそりと眠っている。
「地図ならばっちり頭に入ってるし、さっそく張り込みといきましょうか」
 それから三時間近く張り込んでいた。ときどき、水深の深い泉の前に立って自分の顔を映してみるが、何も起きない。
「ふわぁ、眠い。冷気が立ち込めるなんて、今が冬だからじゃないの?」
 それから幾許経ったか、時計を見ればすでに四時を回っていた。
 突如、強い風が吹く。
「さむっ!」思わず目をつむる。
 次に目を開けたときには、泉の中から黒い大きな塊がぬぼっと姿を見せた。
「……え?」
 冴歌は目を大きく見開いた。間違いない。冬の冷気とはどこか違う、凍てついた空気が辺りを包み、それは冴歌の体にまとわりつく。
 黒い塊は泉から片足をおもむろに出し、もう片方もゆっくりと引き上げて立ち上がる。五メートルほどはあるだろうか。
 顔のないソレは、手のようなモノを冴歌に向けて伸ばしてくる。
「ちょっ、ちょっと待って!」
 冴歌は捕まる前に、カメラを構えてシャッターを押した。そして、無我夢中で走った。振り返ることなどできない。足がもつれて何度も転びそうになるが、その足を止めるわけにはいかなかった⸺
 気がついたら自室の布団に潜っていた。勢いよく起き上がって、もう何日も開けていなかったカーテンを開ける。冬の太陽が射し込んでくるのに安堵すると、弾かれたように二階に降りて、設えてある現像室に向かう。
「これは大スクープよ!」
 現像を終えた写真には、巨大な黒い塊がこちらへ手を伸ばしてくるのがはっきり映り込んでいた。
 冴歌は写真を片手に外に出た。
「そういえば、最近街の便利屋を名乗る男が活躍してるとか耳にしたっけ。便利屋ねぇ……。ここに頼るしかないか」

 ジュポッと音を立てたターボライターで、意識は現在に引き戻された。
「エミルさんだっけ? さっきのこと思い出して、また情緒不安定にでもなった?」
「ケッ。ニコチンが足りてねーだけだ」  
 ふてさくれた顔で、ふぅっと煙を吐き出す大和。
「くさっ! なんでこっちに吐き出すのよ!」
「べっつにー。ただ、呆けたツラしてたから
目を覚ましてやろうと思って。顔色が悪ぃじゃねーか。オマエこそ、なんか悪いモンでも思い出したのか?」
「……信善町のことをね」
「あぁ、あれか。憶えてるぜ。ドンピシャの写真だったな」
「幽霊なんていないと思ってたけど、もしかしたらって……」
「それはあのときだけじゃなくて、今もか?」
「え?」
「今もそう思ってるのか? さっきの、霊視ができるエミルって野郎の話とかも」
「無くは……ないかも」
「そうかよ」
 そんな大和はいつものように速いペースで次のタバコに手をつけた。
「歩きタバコのついでに、吸い殻をポイ捨てするような真似はしないでよね」
「誰がそんなことするかよ。そうしないための携帯灰皿だぞ」
 辺りを見渡せば、まばらだった住宅もあちらこちらに見えるようになってきた。
 大和は大きく息を吐き、煙を漂わせる。
「あんにゃろう、頑として協力を拒んでたな。どうにか説得する手立てはねーもんかな」
 再び煙を吐き出した大和の声は、どこか不安げだ。
「あんたにしては珍しくネガティブじゃない」
「どうしても協力しねーっつうなら、引きずってでも協力させてやろうと思ってるだけだ」
「上りより下り坂のほうが膝に負担がかかるんだっけ。足がガクガクしてきたわ」
「途中でヘタっても、おぶってなんかやらねーからな?」
 冴歌は「そんなの、こっちから願い下げよ」と反論し、リュックのショルダーベルトを背負い直す。
 大和は携帯灰皿に吸い殻をねじ込むと、
「よし、帰って作戦会議だ!」と喝を入れ、大きな一歩を踏み出す。その手にはまたタバコ。
「やっぱり、あんたとタバコは引き離せないのね」
 振り向く大和に言ってやる。
「ばかすか吸ってたら、早死にするわよ」
「はん! オレは体の出来が違うからな。早死になんてクソ食らえだ。タバコは精神安定剤でもあり、エンジンでもあるんだよ」
 冴歌は「あっそ」とそっけない返事をする。相変わらずのヤニ臭さにやれやれと首を振って、先を急ぐ。
「作戦会議って言ったけどよ、オマエはどうなんだ? 何か考えがあるのか?」
「うーん、そうねぇ。手紙を書くとか?」
「手紙ぃ!?」素っ頓狂な声が響く。
「三顧の礼って知ってる?」
「あぁ。なんとなくは」
「地道に通って説得するしかないかも」
 大和は襟足をぽりぽりと掻きながら、「地道ねぇ……」と、ぼそぼそ口にした。
「私は明日また神社に出向くわ。あんたは、この前星冶さんから借りたジャージでも返しに行ってきなさいよ」
「一人で行く気か?」
「そうだけど? 今の言い方じゃ伝わらなかった?」
 強い風が吹きつける。
「この森、よく風が吹くな。それもけっこう強めの」
「風早(かざはや)村の風の伝承……」
「なんだそれ?」
「知らないの? 山の向こうの風早村には、風の精霊が村を守ってるって話よ。部外者が村に立ち入るには、入り口の風の精霊の石像に儀式をしなきゃならないんだとか。それを怠ったり、村の出身の人に無礼を働く人間には精霊の怒りが下されるらしいわ」
「信じてんのか?」
「まぁ、興味深い話ではあると思うけど。もしかしたら、エミルさんはその村の出身だったりして」
 真昼の空を見上げると、三羽の雀がさえずりながらどこかへ飛んで行く。
「まさかオマエ、その村にも行くつもりか?」
「どうかしら」
「あんまりちょこまかするんじゃねーぞ」
「小動物みたいに言うじゃないわよ、狂犬が!」
「んだと!?」
「今度、ビルの入り口に番犬じゃなくて狂犬注意のステッカーでも貼ろうかしら」
「ふざけんな!」
 などと話しているうちに、二人は森を抜けた。
「はぁ、疲れた。あんたは? これからガレージにでも戻るの?」
「いや、いったん自宅に帰る。星冶のジャージは早いとこ返してやらねーと」
「そう。私は事務所に戻って、今日の記録をつけるわ」
「ふぅん。さっきは勢いで言ったがオレも気疲れしたし、作戦会議は後日だな」
 何本目かのタバコを携帯灰皿に押し込んだ大和は、「エミルの野郎のとこに一人で行くのは許す。ただ、村に行くときはオレにも声を掛けろ。一人で無茶すんじゃねーぞ」と言って、冴歌とは反対の道へ歩いていく。
「冷静なときは意外と気が利くのよね、あいつ」と、つぶやいた冴歌は事務所の方角へ歩みを進めた。
「はぁ、疲れたー。昼の商店街を通るだけで疲れるっていうのに、今日は収穫なしだったものね」
 事務所に着いた冴歌は二階へ直行する。
 電気など要らないくらい、部屋には充分に日が射し込んでいるので、そのまま作業スペースへ。
「とりあえず、休憩っと」
 リュックをデスクの端に置き、電気ケトルのスイッチを押して、ステンレスカップに梅太朗こんぶ茶の粉末を入れる。
 パソコンを起動させ、ハイバックチェアに腰掛けて、お湯が沸くのを待つ。
「霊視のできる宮司かぁ……。ねぇ、おじいちゃん。そんな人いると思う?」
 デスクに頬杖を突きながら、心の中の祖父に問う。 
「世の中ってわからないことだらけね」
 ケトルがカチッと音を立て、沸騰したのを知らせてくる。カップにお湯を注ぎ入れ、リュックからバナナうなぎ餅のケースを取り出す。
「至福の甘味タイム……とは、いかないわね」
 こんぶ茶を冷ましながら、バナナうなぎ餅を頬張る。
「どっちもいつもどおり美味しいことには変わりないけど、今日は何か別のものが混じっている気がする……。あの宮司さん、なんであんなに悲しい目をしていたのかしら」
 起動したパソコンのデスクトップに映る海外の山をぼんやり見つめながら、甘味を大事に、少しずつ腹の中に入れる。
『2024年5月19日。大和と三上神社へ、霊視ができるという宮司を訪ねた。彼は木の精霊というものを私たちに見せた。幽霊が視えるなどと知られたら、普通の人は遠巻きにする。それは理解できるが、むしろ、私たちはそのうわさにすがって依頼をした。その前、祝詞らしきものを上げているさなかから、宮司⸺東條•レイ・エミルは憂えた顔をしていた。霊視と関係する何かが彼をそうさせているように思えた。明日、私一人でまた神社へ赴くつもりだ。』
「よしっ、と。こんなもんかしら」
 キーボードを叩く手を休め、梅こんぶ茶をすする。
「手紙も書いたほうがいいかしら? まぁ、でも今日は疲れたし、明日の朝にでもやればいいか」
 床を蹴り、キャスター付きの椅子をくるくると回す。三回転させ、デスクの前でぴたりと止める。
「『超常現象さあくる』も、特に目新しい情報はないわね。仮眠でもしようかな、ちょっと眠くなってきた」
 二人がけのソファから大判ブランケットを持ってきて羽織ると、デスクに突っ伏して夢の中へ……。
 
 

 
 

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