【源氏の道】3帖:『源氏物語の教え』
今回は大塚ひかりさん著『源氏物語の教え――もし紫式部があなたの家庭教師だったら』。
転ばぬ先の杖
いしいしんじさん訳の源氏物語を読んだ際、当時の常識や価値観の違いに戸惑いすぎて楽しみきれなかったので、源氏の世界を歩くためのガイドブックにも触れてみようという魂胆。苦手意識が再燃する前の、転ばぬ先の杖というか。
その判断は正解で、第1章からさっそく膝を打つ内容。
源氏物語に触れて「感情移入しづらい…」「理解を示せない…」という感想を持ったのは、それが当時の現実だったからか。
“現代に生きる私”の視点ではなく、“当時を生きる貴族”という別の視点で読めばよいのかもと楽しみ方のコツを得た。
“共感”に重きを置くことも多い現代小説との違いを理解できた気がした。
断絶か、希望か
ところで、私は物語の結末は「光」を感じさせるものが好きだ。希望、明るさ、ユーモア……どんな形であれ光あるいは光の見える兆しを感じたい。が、源氏物語を読んでいた時に「光」が感じづらかったのも楽しめなかった理由の一つ。
だが、私が見過ごしていただけでちゃんと「光」は描かれていた。本書を読んで当時の慣習や倫理観に対する嫌悪感という壁は乗り越えたうえで、もっと繊細に物語に差し込む「光」を読み解く必要があったのだなと気づいた。
特に、最後の最後「浮舟」の帖で唐突に54帖に渡る長編ドラマのラストを迎える場面。何をしてもまったく分かり合えず「二股だ」「他に男がいるんだろう」としか受け止めない男性たちへの諦念を表現したとも受け取れ、一見すると“断絶”にも思える。
そこで、視点を男性から女性にずらすと“断絶”が一転“希望”に見えてくる。男女の関係ではなく出家という形をとることで、旧来の価値観とは異なる女性の新たな生き方の可能性を描いたとも受け取れるのだ。
イヤミスならぬイヤラブ
それに“断絶”だとすると私好みの結末ではないが「好みでない=嫌い」という訳でもないのが、物語のおもしろいところ。
たとえば湊かなえさんのイヤミス。その物語観は好みとは一致しないところも多いが、抜群のエンタテインメント性があって一度読み始めると止まらない。桐野夏生さんもそうだ。できれば見ないでおきたい心の闇を執拗に描く作品には、好悪を凌駕する圧倒的なリアリティに打ちのめされるしかない。
本書を読んで、平安時代の女性貴族たちもそういう視点で読んでいた可能性もあるなと思った。もちろんキュンキュンする恋愛物語だったのかもしれないが、時代背景を横に置いておいたとしても生理的に共感しづらいことが多く、根本的には胸キュンストーリーではない気がする。
当時の女性が「本心ではどう感じていたか」を明文化した作品でもあったのかもしれない。物語を通じて声を上げることによって女性の悲痛な叫びを代弁していたのかもしれない。
そう思うと『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んだ時に感じた、目から鱗の感情を思い出した。
女性性として生きる人生の中で、当たり前のように存在する無数の小さな苦痛や恐怖。その一つひとつが明文化されることで「こういう時って『イヤだ!』と思ってもよかったんだ」と蓋をしていた自身の感情たちを再発見した。
源氏物語を読む当時の女性にも、もしかすると同じような感覚があったのではないだろうか。
物語の持つ力
物語にしかできない役割があるといえば、昨年読んだ『松風の家』がまさにそうだ! 年表や本人の著作には決して描かれない真実が描かせていた。
優れたエンタテインメント作品は、優れた実用書としても機能するのかもしれないな。