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ヘンな友達の話 (1) 『悪魔の舌 ( 一 ) 』 村山槐多 (むらやまかいた)

村山槐多 ( むらやま かいた ) 1896年〈明治29年〉9月15日 - 1919年〈大正8年〉2月20日

村山槐多
を知ったのは、ある要件で長野県まで行って、美術館の写真を撮影しに行ったときだったもしれない。

村山槐多の名前を冠したギャラリースペースの中は吹き抜けだったかな、その時は、村山槐多がどんな顔だったかも知らなかった、ただ掛けられた絵には見た覚えがあったかもしれない。
しかし、他の画家の絵の方に興味がでて、いくつか名前を控えて、後日にそうした若くして亡くなった画家のことを数人調べたりした。それも必要があったからだったかもしれないが、そういった日本人の絵が集められた場所だったので印象深かった。

以来ずっと絵描きであると思っていたわけで、全く関係ないと思っていたところで村山槐多の名前がでてきた。
それは、最初、高村光太郎 の情報の中だったかもしれない。
そうなんだ、なにか書いていたのかと調べてみると意外なことにミステリーのような、毒々しい、なんというか江戸川乱歩みたいなムードの推理小説でもないタイトルが目に止まった。
非常に意外だったので、間違いではないか?と何度も思った。

(一)

 五月始めの或晴れた夜であつた。十一時頃自分は庭園で青い深い天空に見入つて居ると突然門外に当つて『電報です。』と云ふ声がする。受取つて見ると次の数句が記されてあつた、『クダンサカ三〇一カネコ』『是は何だらう。三〇一と云ふのは。』実に妙に感じた。金子と云ふのは友人の名でしかも友人中でも最も奇異な人物の名であるのだ。

悪魔の舌 ( 一 ) 』村山槐多

江戸川乱歩の作品を読んだことがある方は、あの独特な怪奇趣味、また、なぜそこが ? という重点の微妙な軸ずらしというところに魅せられるということをよく理解されていることだろう。
その江戸川乱歩のバイオは以下。

江戶川 亂步、1894年〈明治27〉10月21日 - 1965〈昭和40〉7月28日)

同時代の猟奇小説作家といえるかもしれない。

百年以上前の怪奇小説。

きくよむ文学

悪魔の舌 ( 一 ) 
村山槐多 ( むらやまかいた )

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