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独りで死ぬことを考えていた女が二人で生きることを考えるようになった件について

 小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、来日にあたって友人から新鮮な感興は即時メモをとっておくように忠告されたという。「これから君の向かう地には新鮮な感興があふれている」しかし「日を追って、それは明確に思い出すことが困難になるだろう」と忠告者の経験に基づく言葉だ。

 人と人との深い関わりに至る出会いについても同様のことが言えるかと思う。

 出会った瞬間に稲妻に打たれたかのような運命を感じるかどうかは人によるだろう。
 ぶっちゃけ私は出会った当初には何も感じていなかったのだが、その後の付き合いが継続し深まるにつれて「あれ?」「おや?」と怪訝の念にとらわれ、動揺することは度々あった。当時の錯綜する想いは、今現在目の前に開いているテキストエディタに再現することはもはやできない。心は移ろうし、記憶はどんどんおぼろになってゆく。なぜ当時その都度、心が動くたびにそれを綴らなかったかというと、何を置いても不安があったからだ。関係を継続できる自信が無かった。相手への信頼の問題もあったが、何より、私は「孤独に安住する」種の人間だった。

 私の「孤独に安住する」ことは、生まれてから数えれば実に五十年に達する。
 つまり、五十年間、恋人も無く伴侶も無く生きてきた。これも生々しくぶっちゃけるが、高齢処女も化石の域に達していた相手居なかったからね!はっ!はっ!は!
 友人は居ないことはないが互いの生活に食い込むような関係ではない。深入りしないサラッとした付き合いがちょうどいい感じだと思ってきた。見合いは数度行ってきたがいずれも不首尾に終わり、「そんなもんだよね」という納得感を都度覚えたものだ。

 その私が、つい先日、人生五十一年目にして「人妻」になった。

 驚きである。

 誰に強制されたわけでもない。強いて言えば、夫となった彼の「伴侶になってほしい」要望の強さに圧され負けた。
 負けたわりには悔しさも無く、「この状態はいったい何なのだろう」と首をかしげながら毎朝トーストにバターを塗り、「朝ごはんですよー」と彼の寝室に声をかけている。なお、晩ごはんについては七割くらい夫が作ってくれているし、私が作った時には洗い物を担当してくれるので、その面に関してはなかなかに恵まれているのではないだろうか。夫は、年上なのだから当然「昭和生まれ」なのだが、「昭和生まれ男子」とは思えぬところがある。自炊能力の高さも含め。
 もっともそこをアテにして結婚したわけではない。
 振り返れば、私へのアプローチに際して彼は「ごはんも作ってあげるよ」と言及していたのだが、私は信じていなかった。なぜなら、家事能力皆無で実際母に丸投げしていた我が父も、結婚前に同様の甘い囁きをしていたと当の母から聞かされていたからだ。「男の人ってさ」と思ったものだ。「こういうシチュエーションになると同じようなこと言うんだよね」
 本当に家事能力を有するとは驚きだったし、婚約及び同棲を始めてから今で半年くらいになるのだけれども、その間、飽きもせずキッチンで食材や鍋フライパンとの格闘を継続するというのも予想外だった。おかげで私は肥った。

 いやまあ、料理のことは脇のことで、そもそも最初にアプローチかけられた時点では彼の料理の腕への信頼など無かったのだから飯に釣られたわけではない。

 その日、かれはこう言ったのだ。

「君はぼくの生きる意味だから」

 君はぼくの生きる意味だから――!!!!!!!
 およそ現実の日常という時空において!こんな言葉を投げられる経験というのは、コミュ力バリバリのリアルが充実しまくった人であっても、滅多に無いものではないだろうか!!!!!!

 私は引いた!
 彼を傷つけるといけないので面と向かっては言わずにいたけどドンッと引いた!瞬間にズササッと後ずさった心の距離はおよそ五メートル!!!!!

 引くと同時に強い不安を感じていた。
 私が彼の生きる意味なのだとしたら、私の行動次第で彼は「生きる意味」を見失ってしまうのではないだろうか。これは大変なことになったぞ、と。

 実を言うと、この直前まで、私はぼんやりとした希死念慮を抱いて生活していた。
 強烈に「死にたい」わけではない。ただ、人生さっさと「上がり」にしたい気持ちがあった。
 私が小説や漫画やアニメや映画やゲームに興味を持たず、創作したい事も無く、片付け上手で何事にも手際の良い頭の良い人間だったら、実際、なんとかして「上がり」にしてしまっていたかもしれない。私を生に引き止めていたのは興味が多岐にわたり創作欲捨てがたく娯楽の誘惑に弱く片付け下手で何事にも手際が悪く頭も良いとはいえず加えてとてつもなく面倒くさがりな性分であったことによる。
 友人は私が死ねば悲しむだろうが、彼らには私より大切なものがあるから引きずられはしないだろう、と、たかをくくっていた。
 そうそう、川崎で殺傷事件が起きた時、私は「死にたかったら一人で死ねよ」とSNSでつぶやいた。なぜなら私は「独りで死ぬ」つもりでいたから。道連れが無いと死ねない人間の気持ちなんて理解できない。むしろ私は道連れを作りたくない。道連れを作りたくないからペットも飼わない。飼ってしまったら、ペットが自然死して(それまでにはおそらく十年以上かかる)見送るまで何がなんでも生きなければならなくなってしまうから。
 諸々の事情により、当時の私は独居暮らしであり、とんでもなく散らかっていることを除けば決行には向いた環境だった。
 いつ決行しようか。
 どう決行しようか。
 その前に最低限片付けて迷惑の少ないようにしなければ。
 そんなことをグルグル考えていた日々だった。

 それが一言で崩されてしまった。

 私が自死したらこの人も死んでしまう(かもしれない)。

 望んで彼の気を引いたわけではなく、むしろなぜ彼が私にそんな魅力を見出しているのか未だもってさっぱりわからないのだけれども、気がついたら抜き差しならない状況に陥っていた。
 一旦、思いっきり引いた直後に私の胸に去来した想いは「これが年貢の納め時か……」だった。
 意味がわからない。年貢を納めるも何も、私は遊び人では全然なかったし、孤独に安住してはいたけれども享楽というような状態ではなかった。なんで年貢を納めなきゃならないんだ。だいたい年貢を納めるのは普通、男の方だろ。

 一番わからないのは、五メートルも気持ち後ずさっておきながら、「お断り」しなかったことかな。
 振り返れば、「お気持ちは嬉しいのだけれども」と言う機会は何度もあったけれども私はそれをしなかった。そういう気分になれなかった。
 その気になれば、それはもうつれなく振る舞う実績持ちでもあったというのに(お見合いのうち二つ、それで潰したからね)。

 なお、出会いは所謂「婚活」ではない。私も彼も伴侶など探す気も無く、たまたまめぐり合わせで出会った。
 文学フリマという、ま、知らない人には「何それ」な集い(気になったら検索どうぞ)の懇親会で、彼の第一印象は「気難しそうなおじさん」で、話してみたら「物知りで楽しい変なおじさん」になり(『リング』の貞子は番町皿屋敷のお菊さんの末裔ではないかというような話をしていた)、住所が近いってことで「今度一緒に映画観に行きましょうよ」と誘ったのが『サスペリア(2018)』(私は当時、この映画を誰かれかまわず布教したくてたまらないモードだった)で、気がついたら家のリビングで二人並んで『ショーン・オブ・ザ・デッド』を鑑賞していて、「あれ?」と首をかしげたのがことあたり。おかしいよね?なんなのこの関係?加えて、この頃、家まで上げておいて色っぽいことは何も無かった(彼は私に会えるだけでけっこうときめいていたらしいのだが)。
 キスも、婚約後の大晦日に「年が明けたら君の唇を奪う!」と彼が宣言(これもなかなかどうかと思う行動)して実行に移すまでは無く、婚前交渉は私の踏ん切りが悪かったせいもあって、ついにしなかった(そのくせ、婚前腕枕をしてもらっての婚前添い寝はしまくってたので、大変、彼に申し訳なかったと反省している)。

 ともあれ、今の私は「独りで死ぬ」ことを一旦棚上げにして「二人で生きる」ことを考えるようになった。
 詳細は伏せるけれども、夫には案外あぶなっかしいところがあるのだ。
 アプローチかけられた初期には「君を支えてあげたい」とも言われたけれども、支えを必要としているのは彼ではないかと思う、まあ、支えられてもいるけど。

 人の心は移ろうものだし、二人の気持ちがずっと同じである保証は無いし、新型コロナ禍が降ってわいたように世の中この先何が起こるかわからないし、小市民である私たちは世間のそうしたうねりに翻弄されるだろう、と、様々に不安なことに思い巡らしながら、それでも「現在の幸福」を事実として受け容れようと努めている。

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