【映画】サスペリア(2019)

「けして一人では見ないでください」のオリジナル版は未見です(今月末にリバイバルの予定があるそうなので、順序が前後しますが、その際に観る予定です)
 前知識が「ホラー」である、ということと、「何かダンス学校?が舞台らしい」「魔女が出てくるらしい」くらいの漠然とした状態で観に行きました。
 ホラーというジャンルについて愛着があるかというと、「ホラーとは、そもそも何だろう?」恐怖を主題にしたジャンルであり、受け手の恐怖心を(適度に心地よく)刺激するものだという認識は頭ではあるのですが、気持ちの上では理解できない。今まで生きてきた間に恐怖を覚える瞬間は何度かありましたが、それらは基本的に不快な体験であり、「楽しむことのできる恐怖」というのがよくわからないんですね。そのくせ、不気味なもの、奇怪なもの、凄惨な事件には興味がある。愛好もしている。そういう矛盾した人間が観に行ったと思ってください。
 結論から言うと、観客である私自身は「恐怖」は覚えませんでした。
 惨劇はある。
 グロテスクな描写はそこそこ。
 死者も出ている。相応に。
 劇中被害者は「恐怖」のうちに悲劇的最期を遂げたでしょう。
 しかし、それは観客である私の「恐怖」にはならなかった。
 これをもって「ホラー映画」として失敗、と断じるのは、この映画に対する不当な評価となる気がします。
 そもそもこれは「ホラー映画」だったのか?
 確かに邪悪な魔女は存在し、儀式が行われて少女たちが犠牲になってはいました。「オカルト映画」と呼べば、「オカルト」です。しかし、彼女たちが血を流す舞台の、そのさらに背景となる世界が非常に複雑で、主題はどちらかというと、その背景に流れているようにも見えます。

 時代設定はドイツが東西に分断されていた頃。私の世代はリアルタイムでベルリンの壁が崩れる瞬間をTVを通して見ましたが、その歴史的事件すら知らない若い世代も現代には多いのではないかと思います。オリジナル版は制作年からして、もちろんドイツは「一つのドイツ」ではなかったのですが、その影響が影を落としているかどうかはオリジナル版未見の私にはわかりません。また、私自身は、映画好きな父によって、第二次大戦末期を題材とした映画を複数鑑賞しており、その当時の抑圧された空気をなんとなくですが感じ取ってはいました。その知見の無い人たちにとっては、この世界背景そのものが不可解なものに思えるかもしれません。
 けれども、この舞台設定こそが、本作の根幹を成す大切な土壌であり、ドイツが統合されヨーロッパすら統合を目指す「現代」では紡げない物語だったのだと、感じられました。その点だけでも「観る人を選ぶ」映画でしたね。

 語られていたのは「引き裂かれた関係」と、その「修復」と思えました。
「癒やし」と言う言葉は陳腐で好きではないのですが、この惨劇をともなう物語の中で、何かの束縛が解かれ大いなる傷、病に対する治療が行われたように感じられました。劇中、二度登場するマークが象徴的ですね。

 また、良き意味でのフェミニズムの物語でもあると思いました。
 フェミニズムと言うと引かれそうですね。本作で語られるのは、ちまたにはびこる「男性嫌悪のフェミニズム」ではなく、真に「女性を、その肉体と精神において自然にあらしめよ」という思想です。
 ヒロインの入団した劇団は女ばかりの集団であり、自然、映し出されるのは「女の世界」になります。男性は垣間見える一部を目撃するだけで、事件に介入することができません。
「女だけの世界」にも確執もあり醜さもあり虐待もあり陰謀もある。そこに現れるのは、フェミニスト同士の内部抗争です。女VS女の争いであるからこそ、「女」たるものが過剰に美化されることも貶められることもなく女性的結末を迎えることとなった。そのように感じられました。

 本作のヒロイン、スージーは、ネタばらししてしまうと「犠牲者」ではなく、ヒロインを主たる攻撃対象とするタイプのホラー映画の定石からは外れます。しかし、ヒロインが「犠牲者ではなかった」という要因こそが、本作を安易な「恐怖映画」に終わらせない深みを付与するものあったように思います。
 そして、ヒロインを導く「マダム・ブラン」の危ういほどの気高い姿が目に焼き付きました。

 背景が複雑なだけに、一度観ただけでは理解できない部分もあり、「娯楽」として、それはどうなんだ、と思う部分もあるのですが、マダム・ブランの一貫した峻厳な美しさ、クライマッックスでのヒロインの美しさで、観に行った労は充分すぎるほど報われました。

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