通院に付き添う事の意味
また市の子育て支援課の人から電話があった。
最近の息子の様子はどうかと。
アルコール依存症の夫と息子を面会させることにすごく抵抗があった。
息子にも、ADHD的な要素があるのではないかと思うこともあり
息子から色々話を聞くと、それがものすごく不安だった。
お金もないのに、コンビニで高いクジをひかせてたり、
ショッピングモールで自分は喫煙、息子は1人ゲームセンターに行かせてたり。
せっかくの休みなのに、川やプールにも行かず、家で動画見せてたり。
離れて暮らしてても、せっかく会えるという特別な喜びはないんだと
最近わかるようになった。
息子が来ることで、ちゃんとした時間に(多分。。)ご飯を食べて寝るという当たり前のことができるようになるだけで、
息子にとって何かプラスになれるような事はなさそうだ。
息子と一緒でもビールは飲んでいるし、ただ節酒を心掛けているという意識を「持ってます!」という形だけ。。
自分自身の問題だから、それが意味のないことだという事には気づけないし
気づけるなら、そもそも通院が必要な状態ではない。
そうゆうことを、私が理解できるようになって、ストレスがだいぶ減った。
支援課の人と話していて、通院で救われているのは自分なのかもと思った。
はっきり言って本人にはなんの兆候もない。
強いて言えば、嫉妬とか嫌味をLINEで送ってくるようになったから
それは内服の効果なのかな。
衝動的行動に出る前に、そうゆう気持ちを伝えて、
自分の勘違いだったことを知ることができるようになったんじゃないかな。
はじめは何でこんな内容なんだ?と思ったけど。
そう捉えられるようになった。
子どもがいなかったらここまでの付き合いもなかったけど、
息子という存在によって自分も進化できると信じて。
期待しないで関わることの難しさを痛感している。
それもまた、通院から学べた事なんだと思う。
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