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尊敬する人(完)

前回は私の暗い過去(子供時代)を話しで終わってしまいましたので、続きを書きたいな。って思いました。 (まだ前回の文を読んでいない方はよかったら、そちらを先に読んでいただけると幸いです)

少しでも早く家から出なければ!!
そんな気持ちから選んだのは芸能界!

芸能人なら住む場所にも困らない。どこかの事務所の寮に住んじゃえばいい。ここに(家)私の居場所はない。居たら迷惑がかかる。居なれば場所もご飯も一人分減る。きっと「さっさと居なくなれ。あーせいぜいした。」って喜んでくれるだろ。って…。消える事が出来損ないの私が出来る唯一の親孝行だよね。って憎むとか恨むとか何もなく素直にそう思ってました。
嫌われてるのも本当は要らないのにオマケみたいに勝手に産まれてしまった自分が悪いんだからと…。

それからは芸能界目指していくつか内緒でオーディションを受けはじめ、めでたく某レコード会社に合格😊🌟

住まいも会社の寮に入れるとのことで、「やっと報告できる!これで家族の負担が減る!喜んで上京させてもらえるよね」そう思って「実は…」とオーディションを送っていた事。あやしくないちゃんとしたレコード会社だと。資料を両親にビクビクしながらも説明しました。
すんなり家から出れると思いながら…。

聞く耳は案の定持ってくれない。でも、私がいらないのは変わらないはず。。

怒りながらもお父さんの口から出た言葉は…

「絶対にダメだ!!お前は俺の見えるとこにいなくちゃダメだ!東京なんか危ない!お前はここにいなきゃダメだ!父ちゃんの子だ!」

一緒にいたお母さんの口からも…

「ダメ!ダメ!そんな所一人で行かせるわけ無いだろ〜。危ないったらありゃしないさ」

……驚きと嬉しさと…想像もしていなかった両親の反応に泣きながら「はい。」とだけ答えました。

芸能界目指した理由と家をでなければ行けない理由が全て無くなった瞬間でした。。「私はこの家にいてもいいんだ…。」そう思ったら、嬉しくて、嬉しくて。

芸能界…残念だけど、諦めよう。
勿論、もったいないな。ってあったけど、「居てモいいなら家族といたい。」が勝ちました✌

事務所の方には両親と話して上京する日を連絡するように言われていたので、すぐ電話して
本当は内緒で受けてしまっていたこと。
両親と話し合った事。上京できない事。
今回は諦めます。すみません。と伝え私の芸能界に行こう!って目標は終わりました。

それからは、私の気持ちを知ったからかは今もわかりませんが、だんだん私からも話せるようになったり、私が一人でパズルを作っていたら、お父さんが来て、「父ちゃんも得意だ。居間に持ってきて一緒に作ろう!」と言ってくれ、お父さんとお母さんと私の三人で大きなジグソーパズルを作りました。多分それが初めて三人で仲良く過ごせた家族の時間です。そのパズルは今も私の宝物です✨

私のお父さんは建設屋の社長さん。皆に慕われてたし、仲間も沢山いた人。そんなお父さんは25年前に仕事現場で急死してしまいました。。56歳でした。でも、今も街のいたる所にお父さんが建てた建物や看板が古ぼけながらも沢山あります。25年前に居なくなったお父さんはスナックも良く建ててました。そして、自分の事を一番わかっているお母さんにスナックのママをやってもらいながらお客と言う形で、お母さんのスナックに行く。なんて、仲良し夫婦でした。😊😊

お父さんが亡くなった時お父さんの遺体のある居間で眠りました。泣きつかれて知らぬ間に眠りに私はついたようで、夜中ハッと目が覚めたとき目にしたのは、、お父さんの前で正座したまま泣いているお母さんの姿でした…。

そっか…私だってどうしていいかわかないくらい悲しみと絶望に襲われているんだ。。なら、お母さんはその何倍も悲しくて一家の大黒柱だったお父さんが急に居なくなって、絶望しかない。。

私にはお父さんの代わりは何もできないけど、せめて、笑顔になってほしいな。少しでも悲しい時間を減らしてあげたいな。と。。お父さんの遺体から離れないで泣いているお母さんをみて、これからは…お母さんの為に生きよう!と心に決めました。

それからはお母さんと沢山の思い出を作りました。旅行とかは中々行けないけど、ドライブにいっぱい行ったり、出来るだけくだらないジョークを飛ばしたり…仲良くなれました。本当に空いてる時間はお母さんの所にいました。私は両親が大好きでした。お父さんには親孝行というものができなかったから、でもお母さんの側にきっとお父さんはいるよね!って思うことにして目一杯お母さんの側にいました。それが当たり前にもなっていきました。お母さんの笑顔が私の生き甲斐でした。

そんなお母さんも9年前のお正月に、お父さんの元に旅立ちました。64歳でした。

街のいたるところにお父さんが生きた証があり、沢山の人が 今も私のお母さんの事を「かぁちゃん」「かぁちゃん」と話題に出してくれたり、二人はもう居ないのに‥街の中にもココロの中にも、ちゃんといるんです。

私は今また音楽をやり始め「少しくらい夢持ってみてもいいのかな?」と地味ではありますが、頑張ってます。

それは、何かを。両親のように自分が生きた証がほしいな。って所からなんだと思います😊🌟🌟🌟


って事で、長々となってしまいましたが、尊敬する人は!大好きな両親です!!いつか人のココロにずっと何かを残せる様な曲がつくれるように精一杯頑張ってみます✨✨✨

theブルカネ おぶさん✌

誤字あったらすみません。 乱文お許し下さいm(_ _)m 読んでくださった方へ 心から感謝します。読んでくれてありがとう😊では、また逢いましょう!



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