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「鍵の在処」から生まれる期待

NFTで音楽を出す可能性


 最近、3冊目の電子書籍を上梓しましてね。
 推し事を続ける為に、どんなことができるかを最新のWeb3やアート思考などと組み合わせて、こんな可能性があるよ、という本を7月27日にドロップしました。
 ふっふっふ、これは結構先の未来を提示できたぞ、と思っていたわけですよ。特にNFTの章はアート思考と絡めて、20年代に出来る理想的な好循環を描けたのでは、と思っていました。生写真やグッズの転売を好転させるには、NFTしかないだろうと。そして、「価値」をファンたちである程度作りやすいのもNFTだろうと。
 ところがですね。
 わずか5日後に僕の企みは見事に打ち砕かれます。

 このニュースを聞いた時、大河ドラマ「青天を衝け」の渋沢栄一風にいうと「おかしれえ!こりゃ、時が足りねえ!!」と叫んでいました。
 その手があったかと!
 NFTと音楽データって、そこまで相性は良くなくて、画像のデータと比べると管理できるトークン数( NFTのTの部分がトークンですね )が限られているので、少数しか出せない為に、記念NFT的な使われ方が多いんですね。あと、圧倒的に日本はアート思考の教育が遅れているので、「Youtubeで無料で聞けるものに、金なんか払えますかいな。くほほ」とか「いや、芸術的なものはいいと思うよ。金は払わないけど」という新しい才能を育てていくという考えは、民間では一部の金融機関や一企業以外は、20年代になって、やっとスタート地点に立ったという感じです。
 でも、気持ちもわからなくもないんですよね。
 見ず知らずの若者の作る作品に、自分のお金を使えるでしょうか?
 あなたのお財布の千円でも、五千円でも、一万円でも。
 なんか、書きながら、僕の電子書籍や紙の雑誌にも同じことが言えるのでは、と感じてきましたが、それは棚の上において、納戸も閉めておきましょう。
 じゃあ、見ず知らずじゃない、自分と何らかの関係がある人物の作るものならどうでしょう?
 あなたが、たまたま行ったマルシェで、一つのキッチンカーでは300円でたこ焼きが売っていました。うまそう。その隣にはあなたの友達がキッチンカーを出して、400円でたこ焼きを売っています。お友達は、GAFAMのどれかの会社を辞めて、たこ焼き屋さんに転職したばかりです。どちらを買うでしょう?
 そう、NFTを考えていく上で無視できないのは、この「知っている」ということと「価値」の持たせ方なんです。
 そして、アイドルとファンの関係って、これを凄く作りやすいと僕は思っています。握手会やトーク会に行くと、「知っている」人になります。自分と推しだけの小さな小さな物語が生まれます。この物語は小さな小さな関係と言っても良いかも知れません。そして、そんな人のものだからこそ、「価値」が生まれます。
 NFTはだいたいコピーできます。
 NFTで使われている絵は保存できます。
 じゃあ、なんで価値があるんでしょう?
 世界中にピカソの絵のレプリカやコピーはありますけど、今日もピカソの絵を見ようと国立西洋美術館や東京富士美術館には行列ができているはずです。なぜなら、みんなピカソの絵の本物の「価値」を知っているからです。
 そして、アイドルファンの方々って、「価値」を見つけることやそれを解像度を上げて説明することって得意ですよね。
 だから、僕はアイドルとNFTって相性が良いのでは、と考えたわけです。
 今、電子書籍の1章分の内容、まるごと書いちゃいましたよ…。


古畑奈和というイデア


 さて、近頃の古畑奈和さんについて、活動を調べてみると、XRでも活動してるんですね!
 ざっくり言うと、VTuver活動ですよね。
 しかし、アバターの身体でも彼女の魂(イデア)は変わらなくて、歌の配信とかめちゃくちゃ伝わるんですよ。凄いとか上手いとかじゃなくて、伝わるんです。彼女というメディアを通して、歌詞を再生すると凝縮された言葉が再び生きる、まさにそんな歌い方が得意だと僕は思っています。


 ちなみに、キャノンボールサックスの吹き比べでも、サックスの魅力を語っているんですが、ここでも彼女ならではの言葉で違いを語っていますよ。全然、関係ないんですが、僕がよく行く美容院のご主人もサックスプレイヤーで「サックスマガジン」読者なので、奈和ちゃんのことも知っています。いつも奈和ちゃんを入口に、音楽の話をさせてもらってます。

 さてさて、古畑奈和ちゃんのNFTは8月9日の12時に発売。わずか30分ほどで完売します。

 ちなみに、僕は12時04分に購入しました。その時の番号が77でした。何かいいことありそうな数字ですが、4分で77ってことは残りの23も瞬殺だぞ、と僕は思っていました。
 いやいや、古畑奈和ファンって、100人ぐらいはいるでしょう、と思ったあなた。NFTのウォレット持ったファンを100人作るのがどれぐらい難しいか、ご存じないでしょう?
 NFTを成功させる上で最大の障害は、MTAMASKを始めとしたウォレットを作ることです。これがないとNFTをやり取りできません。今回のプラットフォームは、簡単に設定できたのも成功の要因の一つだったのではないか、と僕は思っています。

 さて、今回ミントされた2曲は、古畑奈和というイデアを考えていく上で、非常に重要な曲になると僕は思っています。「鍵の在処」が自分の内に潜っていくような表現なのに対し、「Moonnlight parade」は外の世界にいる「君」を導くような表現になっています。
 それは、どちらの曲にも収録された「Vocal Only」バージョンを聴いていただくと、声色の違いからも感じられるのではと思います。聴いていると、解像度がぐっと上がります。

「鍵の在処」と「本当の自分」

 では、ここからは1曲1曲について考えていきましょう。
 曲はこちらにインサートしていくような音から始まります。
 そして呟くような小さな奈和ちゃんの声から歌詞が立ち上がってきます。
 それは、これから聞くリスナーの集中力がぐっと上がるような鋭さがあります。
 1番Aメロの歌詞では、僕らは様々な顔を持って生きていることを意識させられます。アバターになって様々な身体を仮面のように手に入れることや、実生活で職場や家庭などで分人的に変わること、SNSなどのアカウントごとにキャラクターが変わることなど、様々なことが連想させられますね。
 1番Bメロの歌詞では、じゃあ、その自身を照らすものが不意に消えたら、どうなるのか?急に自分を見失ってしまいます。本当の自分を探すことがここで出てきます。曲のタイトルは「鍵の在処」。鍵と本当の自分は何か近い距離にあるのでは、とここまで聴いて感じました。
 ちなみに「Vocal Only」バージョンで聞くと、凄く浮かび上がってきます。1番Aメロで彼女が表現した小さな声がいくつもこだましているのがこの暗闇の中かも知れませんね。
 そして、サビ。
 暗闇の中を走り抜ける疾走感と本当の自分を解放したい渇望を、凄まじいスピードで歌い上げます。その中で間違えてもそれが次のヒントになるよ、と進む自分を肯定する内容になっています。サビでは「仮面」が偽っていた自分で、本当の自分は宝箱の中で眠っているということが考えられます。そして、そんな自分を叩き起こして本音で語り合いたいと願い、宝箱の鍵の在処はとっくに知っていることをネタ晴らしします。
 見事な構成ですね。
 ここまでで、自分の内側に潜っていくストーリーで、自分という一番知っているはずなのに、時として他者のようにわからなくなる存在と向き合うことで、解放したい・肯定したいということが見えてきます。でも、鍵の在処を知っているなら、実は宝箱の中に籠った自分を解放するのは、自分自身の決意ではないかと僕は考えました。じゃあ、それができるには?

 2番のAメロでは、仮面をつけることで、自分が消えていくことを語っています。1番のAメロと対になるような「あの子」を提示することで、仮面をつけることで社会とは上手く握手できたり、コミュニケーションを取る上では不自由しないことも示されます。この辺りの解釈はまだまだ可能性があるので、皆さんもこういう風に読めた、というのがあれば、コメント欄に是非。
 2番のBメロでは、暗闇とは真逆のスポットライトに照らされる空間が描かれます。しかし、明るすぎてまた自分が見えなくなります。そう、光が強くてもダメなわけです。全然関係ないですが、ここの部分の奈和ちゃんの歌い方が大好きです。
 2番のサビは1番のサビと構造が同じで夢中で走りつづけています。その中で立ち止まってしまう自分を肯定します。それでも待つことでは、変えられません。進むしかない。自分にたどり着くために。
 この2番のサビで曲の中で非常に重要な表現が隠されていると僕は考えます。
 それは自己の解放として泣きたいと願っていることです。宝箱の中にしまいこんだ自分に伝えたいのは、「なんだって私らしい!」ということです。社会の中で仮面をつけている自分も、自分の内側にしまうことにした自分もどちらも「私らしさ」であり、「本当の自分」であると肯定することでもあるのでは、と僕は思います。
 つまり、2番のサビで曲の主人公は自分の内面にいる自己を肯定する言葉を獲得したのではないか、と考えました。それは「なんだって私らしい!」です。これって、簡単なようで難しいのではと思います。試しに平手友梨奈さんが歌う「角を曲がる」を聴いてみてください。「私らしい」を手に入れることの難しさをまた別のアプローチで語っています。

 話を曲に戻すと、大サビ前で一人ではないということが曲の中で提示されますが、それは一人一人の自分の中にいる自分とのことのように僕は感じます。不安を波の比喩で表しているのも素晴らしかったですね。確かに、不安が引いていった朝ってありますよね。ちなみに、ここでの「Vocal Only」バージョンは、まさに心の暗闇の中で反響する小さな声たちのようで素晴らしいです。宝箱の中の自分の声のようにも聞こえました。

 大サビでは1番のサビの後、実は曲の主人公が鍵の在処を知っていたことが明かされます。そう、最初から知っていたわけです。でも、すぐ後に「突き止めた」ことが語られます。知っているのに突き止めた?
 鍵の在処は分かっていた。
 でも、鍵の開け方を知らなかった。
 だから、鍵の開け方を突き止めたという解釈はどうでしょう?
 その鍵の開け方とは、どんな自分も「私らしい」と認めてあげることです。宝箱の中にしまうんじゃなく、解放してあげる。仮面をかぶっている自分もそれを外した自分もどこか私らしさをもっているはずです。だから、曲の主人公を含め、私たちはとても重層的な存在かも知れないなと曲を聴き終わって思いました。
 

メロディの疾走感


 この曲の魅力は、なんと言ってもサビの疾走感だと僕は思います。
 それは気が付けば一週間が過ぎていくような毎日の早さかも知れませんし、求められる自分のめまぐるしさかも知れません。ちょいちょい挟まれるピアノの音がスリリングで良いんですよね。
 遅い、早い、遅い、早いの繰り返しの構成で( すんごい偏差値の低い文章 )、サビで一気に加速していく感じが気持ち良い。曲の中では3分5秒の物語ですが、実はもっと早いスピードで思考が巡らされていたり、逆にこの3分5秒が繰り返されているのかもとも色々とも考えました。突き止めてまた手放してという感じで。
 そして、あえて自分の声だけでメロディを作っていく「Vocal Only」バージョンがまた良いんですよ。1番を歌い終えて後のあの沈黙の時間。初めて聴いた時にドキドキしませんでした。えっ、もしかして終わり?って。でも、この静寂の中から声が立ち上がっていくのが、暗闇の中に潜む小さな声のようで良いんですよね。特に、大サビ前の歌い方のアレンジがすばらしくて、「一人じゃない」と「波」のどちらも感じさせる表現になっていて、このバージョンの白眉だと思います。
 果たして、ライブではこの曲が何曲目にやってくるのか?
 どっちのバージョンで披露するのか?
 そして、レコーディングバージョンと生演奏ではどこがアレンジされているのか。コンサートを見られる方が羨ましいです。ただ、これが流れた時の言葉の波にのまれていく感じ、絶対に楽しいと思います。

Web3時代の推し方


 さて、この100点限定のNFT。
 このまま記念に持っておくのも一つの手だと思います。
 特に直筆メッセージは貴重ですよね。
 イベントの参加券も。
 僕が今、考えているのは、販売されたプラットフォーム以外でNFTを出品することです。幸いNFTのコードが世界最大規模のNFTマーケットである「OpenSea」でも出品できます。NFTを出したことがある方なら分かると思いますが、「OpenSea」の出品まで爆裂に面倒くさいです。また、NFTが売れた時にアーティストに配分される割合は、もともとのプラットフォームの方が高いです。というか、あそこのレーベル、本当に採算とれんのかというぐらい、アーティストファーストの配分ですよ。是非、2作目もあのレーベルからNFTを出してほしいぐらい高いです。
 海外に居る奈和ちゃんファンの為に「OpenSea」で出品しようかなと思います。オークションの出品手数料が「RG 機動武道伝Gガンダム 1/144 ゴッドガンダム」と同じぐらいするんで、震えながら出品することになるんですが、ある程度お知らせを外国語でした後にしてみようかと思います。以前、メキシコの48グループファンの方とSNSでやりとりをしたことがあるんですが、4000円以上かけて、自国までCDを輸入して何か月か待って購入するCDもあるそうで、それならNFTのようなデジタルデータで価値のあるものが手軽に広まるといいなと思っています。
 NFTが次の方に売れたことでアーティストに料金の数パーセントが配分されるので、次の方にペイフォワードせねばと思っています。
 更に、冒頭のアート思考の話に戻ると、価値を作っていくということは、その価値が分かる人のコミュニティに出せるかです。「いや、この曲は1万円じゃないでしょ、5000円でしょ」というコミュニティに出品しても意味がないです。また、安く出品すれば当然曲の金銭的な価値は下がってしまうので、アーティストからしたら今の自分の曲ってこんなもんなんだ、と傷つくことになります。ということは、その逆を狙えばいいわけですね。アーティストに入る配分も少し上がりますし。沢山売るから何度も売れる。曲が色んな人のところを旅していくわけです。
 

これからの奈和ちゃんに期待すること


 わたくし、爆裂田舎の過疎地に住んでおりましてね。
 多分、都会まで出るのは年に1度あるかないかぐらいなんですね。
 去年は櫻坂の東京ドームで上京したぐらいでした。
 今、古畑奈和ちゃんはZeepやガイシを一人で埋められるようになりたいという発言をインタビューの中でしていましたね。
 彼女の単独大箱はこんな田舎者の心も動くぐらい魅力的です。
 でも、その前にアルバムをリリースしてほしいなと思っています。
 カバー曲も良いんですが、やっぱり古畑奈和が歌うことを前提とした曲がもっと聴きたい、という欲望があります。
 「本性」と「鍵の在処」を並べて聴いた時の何か似ているけれど、まったく違うアプローチで本当の自分を解放していくところの凄さを感じることもできますしね。
 あと、Web3的な視点では、DAOを展開し始めたら、いよいよ最先端を走るのでは、と思います。あと、日曜日の夕方枠を復活させましょう。お酒番組をやってた枠ですね。太田胃散さん、待ってますよ!

 ここまで書いて思ったのは、才能の持ち主は色々な想像・期待を見ている側にさせてくれる、ということです。そして、彼女ならこれからも変わらずに僕らに色々な期待をさせてくれると信じてます。
 
 

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。