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古畑奈和「Moonlight parade」の解放するもの



「共感」でも「恐怖」でもない「共鳴」


 皆さんは、フィクションを鑑賞していて、この作品の世界には自分は居ないなあ、と感じることは無いでしょうか。
 別に虚構でなくても朝の情報番組とかで、「日本中が歓喜に包まれました!」というような言葉がキャスターの口から出た時に、多くの場合、僕はその「日本中」に入っていないことが多いです。
 曲についても同じで、あるアーティストのアルバムを聞いた時に、全く時代や地域が違うのに、「うわっ!この曲は自分のことをうたった歌なんじゃないか!」と圧倒されることがあります。なんなら怖くなります。「共感」というお手軽なものじゃなくて「恐怖」ですね。なんでこんなに解像度が高く自分と同じ精神を描いた上で、その先の選択肢や未来を提案できるんだ、という「恐怖」です。
 皆さんの人生の中でそんな曲や物語はいくつあるでしょう?
 
 ただ、時として、「僕ら」とか「日本中」とかから零れ落ちてしまいそうな精神に、おいでおいでと手招きをする作品もあります。「共感」でも「恐怖」でもない「共鳴」を呼びかけるような優しさを感じる作品があります。
 今回、紹介する古畑奈和ちゃんの1曲「Moonlight parade」もそんな1曲です。

※曲を未聴の方は公式サイトをチェック!! 

 正直、「鍵の在処」のNFTを購入した時は、表題曲の「鍵の在処」の完成度の高さに度肝を抜かれて、後回しになってしまっていましたが、古畑奈和ちゃん初の作詞作品であることが気になりましてね。今、彼女が曲を使ってどんなものを創りたいんだろう、と興味を持ちました。
 というのも、古畑奈和という人は、言葉の人でしてね。
 嘘だと思うなら、アメブロの毎年11月のひと月分か毎年5月のひとつ月分を順に読んでみてください。置かれている状況のせいというのもありますが、彼女の人間性の繊細さとそれを言葉としてアウトプットする時の選択が優れているかが分かります。

何故、月の光なのか?


 それでは、まず歌詞の世界について考えていきましょう。
 最初に曲の世界の風景が提示されていきます。
 街の夜であること。
 この辺りは凄く秋元康の歌詞の最初の部分の作り方に似ていますね。
 しかし、色は徐々に無くなり、それぞれのテリトリーが見えなくなります。そこに待っているのは夜の「闇」です。
 ここは後の歌詞の展開を考えると、「闇」という内的世界に沈んでいくことを意味しているのかな、と読みましたが、初めて聴いた時は、「あっ、テリトリーが無くなって、自由になっていくことなのかな」と思っていました。自由は、もう少し先に提示されますね。
 そんな闇の中でも耳を澄ませば、そこから抜け出す「メロディ」を歌詞の中の「僕」が歌うことを語ります。
 やがて、「僕」は着ぐるみではない「君」のリアル、つまり、本当の自分をさらけ出してほしいということをお願いします。ここは「鍵の在処」と並べて聴くと、面白いですね。「鍵の在処」の主人公が闇の中で鍵を探してるのに対して(しかも、最初から在処は分かっている暗中問答)、語りかけているような聴き方もできます。
 そして、サビでは「僕ら」の月夜のパレードが始まります。
 この曲のタイトルとつながる部分ですが、初めて聴いた時は、「何故、夜なんだろう?」という疑問がありました。奈和ちゃんが持っている世界観がそうなのかな、と思いましたが、そうではなくてですね。
 「闇」という暗い世界の差し込む光が月光であり、月光とは「僕」が奏でるメロディであるということではないか、と思いました。「闇」に光がさしていく。つまり、音楽による精神的な解放が描かれた歌詞ではないか、と1番の歌詞で考えました。

 さて、2番です。
 まずAメロでは、「闇」が明けていく方法について提示されます。それは心を開いていくこと。じゃあ、何が心を開くのか?それはおそらく「僕」のメロディではないかと僕は思います。
 Bメロではこの歌詞をもっと味わえば、ビビットがゲットできると語られます。ここでいうビビットは「カラフルとか色彩豊か」という意味で受け取ることが出来るかな、と思います。色の無い「闇」とは正反対のイメージですね。
 そして、もう一度、「君」のリアルを求めます。ここでいうリアルは作りあげた自分の反対の意味で僕はとらえました。
 そして2番のサビでは更に解放された精神の状態が提示されます。自由になることで才能も豊かに表現できるし、炎上のような世間の評価も関係なくなります。
 
 大サビ前は、「君」から更に対象が広がり「少年少女」になり、「闇」は「悪夢」に変わります。そしてそんなものは蹴散らし、「君」を「攫う」と宣言します。ただ、ここでいう「攫う」は「救う」を奈和ちゃん流に言い変えた憎い演出だと僕は思います。最後にサビでは1番のサビを繰り返して終わります。更に高みを目指せるはずだと励ましながら。

メロディの気持ちよさ


 さて、この歌詞のもう一つの特徴として、意識的に韻を踏んでいます。
 しかも頭韻(アリタレーション)と脚韻(ライミング)が同時に使われています。なので、歌詞を音読するだけでも心地の良いリズムが生まれます。「ビビビ」と「ビビット」ともそうなんですが、実は「ヒート」と「ビート」もあるので、「ビート」は曲全体でカウントするとどちらも拾ってくれているわけです。
 このテクニックの究極系はBUDDHA BRANDの「人間発電所」だと思います。自分のかっこいいと思う言葉を並べつつ、世界を構築していく感じも似ていると思います。

 話をこの曲に戻すと、サビの始まりが少し遅く感じる方もいるかも知れませんが、このゆっくりさが「パレード」感があって良いと僕は思っています。ちなみに、NFTに収録されている声だけのバージョンだとこの辺りも奈和ちゃんがコントロールする要素が強くなっているので、よりパレード感が強くなっています。景色が広がっていくイメージですね。
 あと、歌詞で描かれている音楽で攫うというコンセプトは、the pillowsの「PIED PIPEER」をイメージしました。ハーメルンの笛吹きのような歌詞ですよね。ちなみにこのアルバムのツアーの時は、長いイントロでメンバーが登場し、1曲目がこの曲でもう一回この長いイントロを聞くことになります( 謎の豆知識 )。
※公式動画からチェック!


期待する演出

 さて、ここからは実際に歌われる時に期待する演出について考えていきましょう。
 えっ、もうコンサートで歌われている?
 東京のコンサート?
 ふふふ、四国の海沿いの山奥の過疎地域で暮らしている「どうせおいらは貧乏暇なし田舎もん」が行けるわけないじゃないですか(急に長渕剛の曲の歌詞みたいなたとえで恐縮です)。

 まずは、野外コンサートでの満月の下での披露ですよね。
 これは、いつか実現してほしいですね。
 リアルな月の夜のパレードになりそうです。
 もう一つは、ミラーボールの演出です。
 これは、Mummy-Dの「同じ月を見ていた」という曲のMVから連想したことなんですが、このMVの最後に「同じ月」が出てきます。

 これなら「Moonlight」をフロアでも作れるのではないか、と僕は考えました。
 

歌手に出来ること


 最近、わりと人生がうまくいかないフェーズに入っていて、家族が亡くなったり、病気になったり、春に転職に失敗したりと今年は人生の難易度がアルティメットモードに設定されたのでは、というぐらいしんどいことが続いています。自分の雑誌も製作が止まり、電子書籍も思いのほか売れていません。
 はっきり言って、「闇」や「悪夢」の中に落ちそうなことが沢山あります。いや、それは目を開けている時ほど、現れます。夜だけじゃなくて、朝の通勤中だったり、夕方の一人の帰り道だったり。
 でも、そこで心を救ってくれるのは、やはり優れた芸術です。
 別にそこに絵画や文学作品や歌があっても問題は解決しません。
 亡くなった人は帰ってきませんし、断られた依頼はOKになりません。
 でも、問題解決に向かう心の動きだったり、貧しく鈍くなりそうな感性を豊かにすることだったりで他者に優しくする気持ちを失わずにいられます。
 病院の屋上で聞いた「観覧車」だったり、何もかもうまく行かないと思った朝に聞く「FRUSTRATION」だったり、そして、企画書を製作している時に聞く「鍵の在処」だったり。
 いつも前に進む力をもらっています。
 また、奈和ちゃんの曲について考える時間も、「手紙のこと」のように非常に充実した時間でした。
 きっと古畑奈和という人は、これからも「闇」にいる人の心を照らす優しい月明りであってほしいなと思いました。2枚目のシングルも楽しみです。

おまけ

 以前やったメンバーにカバーしてほしい曲シリーズ。
 奈和ちゃんだったら、LiSAの「REALiZEE」を希望です。

 あと、今の彼女が歌う「前のめり」が来たら、絶対に泣くと思います。

※「鍵の在処」についての記事はこちら。


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