それでも続けることについて
2020年は探検家の方に関する本を何冊か読んだ。
宮城公博さんの「外道クライマー」、髙橋大輔さんの「ロビンソー・クルーソーを探して」。探検という資本主義経済においては全く価値のないものでも、彼らの冒険に感動して支援してくれる人達がいる。自分の価値を見つけてくれる人がいることの大切さをひしひしと感じた。
自分の価値を決める物差しは何だろう?
数字ではっきりと分かる方もいれば、もっと茫洋としたものであるという方もいらっしゃると思う。
僕はthe pillowsの「ストレンジカメレオン」のごとく「拍手は一人ぶんでいいのさ」主義なので、僕のことを褒めてくれる「キミ」さえ居てくれれば大満足だ。
そう、価値を見つけてくれる「キミ」がどこかに居てくれれば。
1月18日にSTU48の兵頭葵さんが、20回目の誕生日を迎える。
昨日の夜に日本武道館で発表された新しいシングルの選抜に彼女の名前は無かった。
この「独り言で語るぐらいならば」に関しては、また発売された頃に僕が生きていたら書くが、死んでいた時の為に少しだけ書き残しておく。
人だらけの「都会」から離れた、誰も居ない「終着駅」に行き、新しい何かを見つけるというのは、「無謀な夢は醒めることがない」とは違った夢の見方のアプローチだ。
「つぶやく」よりも「うごく」というのは、ネットや頭の中だけに自分の夢をとどめるよりも、リアルの世界で動く方が価値がある、というメッセージにも聞こえる。「大声」でというのも相手に届くようにということだろうか?
これだけデジタルテクノロジーが発達した世界において、もう一度、地に足をつけて肉声で語るというのは、「海」や「故郷」のモチーフを大事にしているSTU48ならではだと思う。また、曲調は「願い事の持ち腐れ」を連想した。サビだけは都会の早いメロディとは違う、独自の世界のメロディだと考えてみると…。
さて、話を兵頭葵さんに戻そう。
彼女については、別にルックスが抜群に良いとか、スタイルがめちゃくちゃ良いとか、握手会の売り上げが凄まじいということは無い(あくまで僕の私見である)。
48グループの物差しで言えば、必ずしも数値が高いとは言えない。
でも、それはあくまで48グループにおける物差しである。
よく生写真の値段とか、showroomの閲覧数で「強い」だの「弱い」だの言っている連中の価値観を見ていると、本当に淋しくなる。
その物差しで価値観を形成している人には、多分、ここから先の話は共感してもらえないかも知れない。
僕が彼女に感じる価値は、まず「懐かしさ」である。
その辺りは、こちらの記事を読んでいただきたい。
先週辺りからのshowroomでの「じゃこ天の食べ比べ企画」は最高だった。ちなみに、安岡蒲鉾こそ最強であると弟がバイトしていた元宇和島市民としては言っておこう。大村蒲鉾さんも行ってみたかった。こんな地元の企業名、生きている間にもう二度と使わないと思っていたが、彼女のおかげで使うことが出来た。こういう楽しさもある。
しかし、兵頭葵さんに感じる価値は「懐かしさ」や「親しみ」だけではない。
彼女が作る居心地の良い空間も大事な価値だと思う。
showroom配信における「あおぞらラジオ」や、料理配信、ピアノの演奏配信シリーズ、どれも後で見返した時にコメント欄が無くても楽しめる。
ふと、彼女がSTU48を卒業したらどうなるのか、考えたことがある。
短歌や俳句を作る時に、歌人や俳人たちが自分が選択した言葉の強度を確かめる為に、他の言葉を当てはめてその作品が成立するか試すそうである。もし、その言葉以外で当てはまると、まだまだドンピシャの作品ではない。もう、この言葉じゃないとダメだ!というもので初めてその言葉の強度が確立する。
兵頭葵さんからSTU48という要素を抜いた場合、どうなるだろう?
彼女が将来卒業した時、どんな人物になっているだろう?
その時は、何をしているんだろうか?
出来たら、まだまだ彼女が弾くピアノを聴いてみたいし、色々な番組に出ている彼女も観てみたい。
個人的にはラジオのレギュラー番組を持って、showroomの頃みたいにリスナーとの会話を楽しんで欲しいと思っている。
STU48以外に所属しているパターンも考えたが、乃木坂46が一番しっくりくる気がするのは、ピアノ曲が多いからだろうか?
僕の勉強不足だったら申し訳ないが、彼女が弾く「君の名は希望」は聴いてみたい。表現力豊かな彼女だから、どんな風に弾くのか想像が広がる。
また、同じ思考実験として、兵頭葵がSTU48に最初から居なかったら、ということを考えたことがある。僕は多分、STU48のことを今よりも知らなかっただろう。中村舞さんにも辿り着いていなかったし、甲斐心愛という名前のなんでも美少女らしいメンバーがいることも知らなかっただろう。
だから、こんな世の中だけど、出来れば活動を続けて行ってほしい。
活動を続けることで、僕のような小難しくて面倒くさい文学者崩れのSKE48ファンが、偶然気づいて彼女の魅力に価値を見つけていくこともある。活動を続けることで、様々な企業とコラボしたり、様々な地域の人と触れ合えるのが48グループの強みの一つだと思う。きっと今日もどこかで、兵頭葵の魅力に気づいている人がいるかも知れない。
多分、その一人一人の中の兵頭葵像があり、彼女ならではの価値があるんだろう。何に惹かれて何が魅力的なのか。一人一人の話をいつか聞いてみたい。その嗅覚を信じてと勝手に親指を立てたい。
20歳の1年は、19歳の1年よりも沢山の人との出会いが彼女にあり、新しいドラマが描かれますように。兵頭葵さんのファンの方々も喜ぶような物語が彼女に降り注ぎますように。
どうか、周りの声に惑わされずに、まだ認められないことがあっても焦らずに、自分の好きなものを大事にして行ってほしい。
同じように兵頭さんのことが大事な人間が、見つけてくれた人間が集まってくるはずだ。
「葵」の中には「あ」も「い」もある。
きっと兵頭葵さんとそのファンの方のコミュニティには「愛」がある。
僕が大嫌いだった故郷を最後に好きになれたように。
彼女は、僕らに価値の変化を与えてくれるかも知れない。
こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。