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オン・ザ・ロード

 皆さんは、ChatGPTを始めとしたオープンAIはご活用されているでしょうか?
 僕は半年前から絵を描くことをメインにAIを使うようになりました。
 AIの何が素晴らしいかというと、人間よりも働いてくれるところです。
 疲れないですし( たまに回線から切断された時は泣きそうになりますが )、「ちょっとここをやり直して」と言ってもすねません。
 さらに覚えもよくて、音声データをラーニングさせると死んでしまったアーティストの声で別の曲をカバーしてくれますし、有名な作曲家のスコアをラーニングさせれば「もし、生きていたらこういう曲を作っていたのでは?
」という曲も作ってくれます。僕らがAIの作った3分間の曲を聴いている間にだいたい25曲から30曲が出来るそうです。とんでもない世界なってきましたね。歌は複製できるし、無限に製造できる。しかも、みんなが聴いて気持ち良い音楽を作ることが出来るそうです。
 また、何かを判断する時は、多くの情報の中から統計的にもっともよく出てくる答えや平均的な答えをだしてくれるので、「中央値」を知る時にも便利です。日本人が好きなやつですね。メディアアーティストの落合陽一は、AIが生成するものが溢れていけば、データの集積が中央にあふれていくと考えています。テレビのゴールデンタイムの番組が可もなく不可もなくというのに似ています。人間は、その中央の周辺にある面白いものを見つけたり、作ったりするのがこれからの生き方では、と提唱しています。
 同じくアート思考などで有名な山口周は「中央値」で戦ってもこれからは勝てないから、統計的に出現率の低い、グラフの平均値から外れあ「外れ値」で勝負していく必要があると語ります。日本では、「中央値」の方が歓迎されますが、iPhoneもテスラも最初は「外れ値」からだったと山口さんは語ります。「中央値」であるみんなと同じものを選ばずに、自分だけの完成で好きなものを選んだり、一見すると「外れ値」のようなものに足を止めたりする勇気があなたはあるでしょうか?

 
 AIについての本を読みながら、僕は加藤結さんのことを連想していました。
 彼女について、僕は詳しくありません。
 なので、あくまで彼女のnoteや相互フォローさせていただいてるかとゆい推しの方々の動画などを元に考えたことを書いていきます。
 加藤結さんは、ご自分のnoteのアカウントを「めそめそ人間めそ美」にしています。この名前だけ見ると、よく泣く人なのかな?と思われるかも知れません。彼女自身、肩書として「泣き虫見習いシンガー」というものを採用しています。でも、泣くことってそんな悪いことでしょうか? 僕は感受性が豊かな証拠だと思っています。感受性が豊かだからこそ、拾えることや表現できるものが沢山あると思います。同じ歌詞でも彼女が歌うから、意味が伝わったり、響き方が変わったりすることもあると思います。

 さて、彼女のnoteを読んでいると、「まだここは途中なんだ」と感じさせてくれる作品が多いです。
 彼女のnoteで一番好きなものを載せておきます。ハートがもう、95個ですね。

 読む方によっては、「暗いな」とか「こっちも気が滅入る」と思われるかもしれません。でも、飾らないむき出しの感情の断片に触れることで救われる人間もいます。たとえば、僕がそうです。このnoteを読んだ時は、転職したばかりで、職場では言葉が全然伝わらず、毎日自分の価値が地底ぐらいまで下がった気分で暮らしていました。あまりにも下を向いて歩きすぎたせいで、町のマンホールの位置と模様を全部把握していました。その反面、家に帰って文章を書くと多くの方に評価していただきました。おかげ様で電子書籍を出せたのもこの頃です。
 このnoteを読んだ時に、なにか自分の感じている悔しさをこの人も持っているのではないか、と感じました。
 「平均値」から外れた位置に居る人間からしたら、とても救われるnoteだったのを覚えています。
 それから暫くして、彼女が路上で歌っていることを知りました。ソロライブのチケットを手売りしているそうです。最初は、ああ、テレビとかでよくあるやつね、と思っていました。四国の爆裂山奥で暮らしている人間からしたら、関東の中心部に行くのは、どこかまだ「他人事」でした。
 そこから、相互フォローさせていただいている方々の撮影した動画や撮影された写真から、彼女が頑張っている様子がコンスタントに送られてくるようになりました。
 ある時、彼女のチケットが完売されたという動画を観ました。本当に当事者でも何でもないのに、嬉しくなりました。「他人事」ではない何か別の物語を彼女は生んでいるとその時思いました。
 またある時、彼女にオリジナル曲があることを知りました。
  

 既にこの曲を聴きこんでらっしゃる方も多いと思うので、僕なんかが書くのは恐れ多いですが、足元の今の手触りを大事にして、過去よりも未来を目指すという素敵な歌詞だと思います。可視化できる未来の象徴である青空よりももっとずっと先の未来を目指そうという風にも読めました。
 そして、これをめそめそ人間めそ美さんこと、加藤結さんが歌うことに意味があるんだと僕は思いました。多分、イーロン・マスクが歌ったら「そりゃ、あなたはそうでしょうね…」と目を細めながら緑茶をすするでしょう。
 彼女が歌うからこその価値がある。 
 意味がある。
 そして、もっというと、誰もが青空を見上げられる路上で歌っているからこそ、歌詞以上の意味が生まれるのかも知れません。
 今、アーティストの主戦場はサブスクリプションに移行しつつあります。ダニエル・エグは彼が作ったスポティファイで多くの在野のアーティストに毎週月曜日の朝にチャンスを与えています。みんながよく聴く「平均値」のプレイリストだけでなく、インディーズの「外れ値」からとんでもない才能が出てこないか、と世界中のリスナーたちは待っています。海外だと日本のキャンディポップのプレイリストも注目されていますね。
 国内でもプロとアマ、顔出しとアバターの境界線はどんどんシームレスになっています。どこでも美しいサウンドを手軽に楽しめることが出来ます。
 路上はどうでしょう?
 決まった時間、決まった場所、限られた数曲、録音し忘れたらその日だけ。そんな不自由な活動に何故、みんな集まるのでしょう?
 気持ち良いと思う曲はAIで生成可能な時代に来ています。自分好みにアレンジも出来ます。それでも、わざわざ路上にみんなが集まる理由は何でしょう?

 冒頭にAIを使い始めて半年と書きましたが、7月からはほぼ毎日使っています。そこで個人的に気づいたことが一つあります。AIには、文脈が無い。言い換えれば物語性が無い。みんな、今、生まれたばかりであること。そして、もう一つ。
 切実さがない。
 これだけは死んでも伝えたい。
 今夜、この言葉だけは届けたい。
 この気持ちだけは表現したい。
 そんな情念といえばいいのか、分かりませんが、みんなが喜ぶ「平均値」から大きく外れたような、上手じゃなくても忘れられないような何かが無いのです。

 彼女自身や彼女の推しの方の撮られたショート動画を観ていると、風の中で傘を差しながら歌っていたり、おそらく近くで他の方も歌っているところで歌っていたりと、完全に整っているとは言えない環境の中で歌っています。そこまでしなくても、と心配になりますが、それでもやりたい、という切実さがあり、それが重なっていけば物語になります。
 そして、様々な声や音が溢れている路上という空間だからこそ、彼女の曲に他の音が混じるのと同じ確率で、誰かの音の中に彼女の声が混じる可能性も生まれます。
 その時、偶然誰かが足を止めるかも知れません。
 人生の半分以上を「平均値」から外れて、俯いて歩いてきた僕のような人間が、ふと聞こえてきた声に足を止めることも。
 その時、遠くの青空はまぶしすぎて見えませんが、今、目の前で歌っている人のように、足元の「今日」を大事に生きてやると思わせてくれるような存在に、また来週、この道を通りがかってみようか、それまでは生きてみようか、と思わせてくれるような。
 そんな存在に、きっと彼女はなれると思っています。
 
※なんとなくイメージした曲を貼ってお別れです。


こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。