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ジャンルを潰すものと守るもの

 先日、カードゲームやアプリゲームでお馴染みのブシロードの会長である木谷高明さんの新著「すべてのジャンルはマニアが潰す~会社を2社上場させた規格外の哲学~」を読みました。
 プロレスファンの方からしたら、新日本プロレスを子会社化した人でもありますね。
 さてさて、木谷会長といえば、著作のタイトルにもなった「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉です。
 熱狂的なファンの意見ばかり聞いていると、どんどん新規が近寄りがたくなり、気づけばジャンルが滅んでしまうという現象ですね。
 木谷会長の著作を読むと、コアなファンに向けて「しばらくは口出しいないでほしい」というお願いでもあったそうです。さらに読んでいくと、当時大きな改革が必要だった新日本プロレスを生まれ変わらせるには、多くの人の意見を聞いて多少の改善になるよりは、大胆な発想の転換が必要だったということでもあるそうです。
 僕の好きな映像の世界だと時代劇が上記の現象を生んでいます。
 「時代劇」の「時代」だけを観るマニアが増えました。
 「あれはこの時代には無いはずだ」、「この喋り方はおかしい」。
 インターネットの突っ込み文化のせいかも知れませんが、次第に一般の視聴者たちの目線も「劇」よりも「時代」の方に目が行ってしまったそうです(NHK大河ドラマはそれを越える秀作が近年あると思いますが)。時代劇は「劇」として観ると凄く面白い作品が多いのに、非常にもったいない現象だと思います。 
 詳しくは、春日太一さんの「なぜ時代劇は滅びるのか」(新潮社新書)を読んで欲しいんですが、マニアの声が大きくなったせいで滅んでいくジャンルはあるわけです( 念のために書いておくと、僕は時代劇ヲタクで滅んでほしくないです )。
 さて、話がそれてきましたが、木谷会長は10年前に言った自分の言葉の主語が少しだけ変わり始めていると著作の中で語ります。
 「商品やサービスを提供する側」もマニアになっているのではないか、と。
 過剰機能や過剰供給は勿論ですが、初めてそのサービスに触れる人に対して、ずれたものを出してしまう恐れもあるわけです。
 これは、映画の世界で凄く起こっている気がしましてね。
 好きな方もいらっしゃるシリーズなので、名前は出しませんが、ある歴史のあるシリーズがあります。
 そして、新作の度に、監督がそのシリーズの大ファンであると、キャストもこのシリーズに出るのが子供の頃からの夢だったとかね。全部悪いことじゃないんですが、いつからかそれがエクスキューズみたいになってしまっているように僕は感じます。
 更に作中でこれでもかというほどの「親父接待(昔の作品を見たファンにしかわからないイースターエッグ)」の要素を盛り込まれると、もううんざりしましてね。そりゃ、マニアは楽しいでしょうけど、それは「劇」として楽しいのか?という疑問が生じます。
 
 前置きが長くなりましたが、何の話をしたいかというと、SKE48の話です。

 新規とマニアのバランスはどんな感じでしょう?
 手元に「これだあ!」というデータが無いので何とも言えませんが、一つだけ言えるのは、キャリアの長いファンが多いかな、とSNSで皆さんからのコメントを読んでいると感じます。さらに、メンバーやスタッフさんの中にも「マニア」が増えている気がします。それが良い方に作用すると、痒いところに手が届くセットリストや演出になります。しかし、悪い方に作用すると、内輪だけに閉じた感じになってしまうわけです。
 2月末に推しが卒業して以来、SKE48とちょっと距離が離れ始めている僕ですが、こんなnoteを書いていることから「マニア」側だと思います。初めてSKE48に触れる人たち側まで想像を持っていこうとすると、なかなか大変かもしれません( 自分の体験を思い出すのは簡単ですが )。
 果たしてSKE48はこのままマニア向けの蛸壺化が進んでいくのでしょうか?
 僕は決してそうではないと思っています。
 1つはセンターの林美澪さんのファッション雑誌「セブンティーン」モデル就任です。
 新規のファンを開拓していくには、重要な要素になってくると思います。
 古くからのファンは松井珠理奈を重ねる方もいるかもしれません。彼女が初センターを務めた「あの頃の君を見つけた」はシングルカップリング構成を含めて非常にマニア向けだったと思います。わざわざ「青空片思い」をセルフカバーを配置するところも含めて。
 少し閉じた有料記事や定期購読マガジンじゃないのに、こういうことを書くと波風が立ちそうですが、あのセンター配置は「呪い」のように僕には見えました。ああ、マニアの為に珠理奈の幻影を背負うことになるのね、と。またあのハードなレールを走らせる気なのかな、とも。断っておくと僕はあの曲の歌詞もメロディーもMVも好きです。ただ、あの「文脈」だけはどうしても乗れませんでした。
 しかし、「心にFlower」で一気に方向性を変えたのではないか、と思っています。曲の世界観もありますが、やっと「祝い」に変わったのかなと。ここからやっと林美澪政権が動きだした気がします。正直、マニア受けは良くないかも知れませんが、再生回数の多さからこれまで届かなかった層に知ってもらえ始めているのでは、と思います(メロディは日向坂のカップリングっぽいですし、歌詞は乃木坂46っぽいですね。それが良いか悪いかは置いておきます)。まずはじっくりと応援したいと思います。

 そして、小室哲哉さんによるチームS公演の新規書き下ろし。
 まだ1曲しか聴いていませんが、全く違う風がSKE48に吹くと思われます。
 我々はひょっとすると、秋元康曲の「マニア」になってしまっていたのかも知れません。そういう意味では、小室哲哉という新しい作り手がSKE48をマンネリと蛸壺化から守ってくれるのかもしれません。最初は違和感が生まれるかもしれませんが、時期に「定着」していくと僕は予想しています。

 さて、木谷会長の本でもう一つ大事なことが書いてありました。
 それは大事な日にちについてです。
 プロレスファンの間では1月4日は毎年重要な1日です。
 新日本プロレスの東京ドーム大会が毎年ある日なんですね。
 同じ日、同じ場所でイベントを打つことの強みとして、木谷会長は他にコミケを挙げていましたが、生活習慣の中に入ってくるわけですね。
「今年の1・4どうする?」とか「コミケに向けて頑張るか」という考えが生まれるわけです。
 SKE48に今、同じ日、同じ場所でする公演はあるでしょうか?
 おおまかに書くと昔は美浜海遊祭がありましたね。
 もし、可能なら、全国に毎年必ずこの日、この場所にはSKE48が来るという日が設定できたらどうでしょう?
 僕のような地方住みの人間には、きっと嬉しい体験になると思います。
 1年間、その時のライブの体験をずっと地元の友達と話すんだと思います。
 そんな特別な日を作ることでライトファンや地方のファンに「定着」してもらう。それはマンネリや蛸壺化とは違った良い形のアプローチではないかと思います。
「2月2日は毎年、名古屋ドーム」、「3月10日は、僕らの町にSKEが来る日だ」という風に1年間のカレンダーの中にSKE48が入っていく。
 静岡県など地方に力を入れている今、SKE48が持続性のある付き合い方を見つけられれば良いなと思っています。
 「SKE48は全員知らないけれど、あの子ピアスつけまくった青髪の子が気になるから家に帰ったら検索していみよう」とか、フックにはなると思うんですよね。AKB48の「黒いマスクの女」のように。

 一見矛盾しそうな二つの事象ですが、僕はジャンルを滅ぼさずにコアファンとライトファンのどちらにも「定着」させていくにはの話ではないか、と思います。
 2021年からリブラインディングしたSKE48が、これからどんな戦略でリアルやネットで新規ファンを獲得して、地方のファンにも楽しみにしてもらい、やがて良質な「ファン」になっていくと良いなと思います。
 

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