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SKE48「愛のホログラム」と記憶と東京

 皆さんは、ホログラムというものを見たことがあるでしょうか?
 通常の写真が光の強さと色( 波長 )を記録しますが、ホログラムの場合は、特殊なレーザーを使って位置( 位相 )も記録します。そうすることで特殊なレーザー光線をあてることで立体的な3次元の画像を生み出すことが出来るわけですね。

 さて、本日、2024年2月4日にMVが公開されたSKE48の新曲「愛のホログラム」ですが、この曲はこのホログラムの仕組みと失われた愛がどう記録されて残っているかが描かれています。
 まずは、聴いてみましょう。

 とりあえず、CRE8BOYさんの振り付けが素晴らしすぎます。2分10秒のところのおーちゃんの振り付けが最高です。この曲をビジュアライズ化したらそうなりますよね。
 センターの末永桜花さんは、前作のタイプの曲よりも少し悲しみや怒りをまとった曲の方が合うのでは、と僕は思っていたので、今回はナイス選抜と思いました!ちなみに、非選抜から一人センターを選ぶとしたら、赤堀君江さん一択だとこの曲は思っています。

 さて、まず初めて聴いた時の感想は、「東京」の2文字からスタートしたことにざわつきました。秋元康が描く東京はどちらかというと、欅坂46の専売だろ、と思っていたので( 超偏見 )いったいどういった内容が描かれているんだと。
 まず、東京の街がホログラムのように姿はあるけれど、現実感がないことを街明かりをみながら主人公は感じます。おそらく日本でも一番光が集まっている都市である東京、しかし、今の主人公からしたら実感がわかないホログラムに見えています。それじゃあ、主人公の「僕」が実感を感じるものとは何かと考えさせられます。それは徐々に歌詞が進むと共に見えてきます。
 ここで提示されるのは光と影です。遠くにある光に実感がわかない「僕」はおそらく影側にいるのだとここで推察できます。
 続いて雨が降ります。
 ここで主人公は雫がほほに触れたことで冷たさを実感します。
 流れ行く人の波、自分の意志ではなく流されたいと願う心。
 雨も天から地へ降り、それは地上へ流れていきます。涙も流れるもの。
 そして、東京のひとごみも仕事をする都心から住宅のある都心の外へと流れていきます。主人公は同じように「流されたい」と願っていますが、それは本当でしょうか?それが出来ない何かがあるから願っているように僕には読めました。
 そこから、サビです。
 「君」を失った僕は世界から色彩を失ったような感覚を覚えます。
 「君」は僕にとっての太陽であり、それは光を照らす存在ですね。
 しかし、その「君」という光が失われたため、僕のいる世界は色のない「影」の世界になったわけです。光に照らされなくても、愛はまだ生きているということを主人公は語ります。ここで、冒頭のホログラムの説明を思い出していただきたいのですが、特殊なレーザー光をあてることで、ホログラムは記録され、また再生することになります。しかし、ここでは特殊なレーザー光にあたる「君」という光が無い状態です。それでも、「愛」は生きていると「僕」は考えます。それは、位置情報の無い、ただの写真のようなものなのか、それとも色彩もない白黒写真のようなものなのか、それとも。

 次に2番になりますが、主人公の「人は何故、孤独を怖がり誘蛾灯を目指すのか?」という疑問から始まります。光の下には当然、沢山の人もいます。人の群れですね。これは1番でも登場しますが、流れていくものです。
 次の自分が傘を差していないことに気づいた描写は雨が降り始めたことを表しているのでしょうか。
 雨が降っているので、当然ですが、月や星といった光が差すものはありません。どうやら雨がすぐに上がる、光が差すという期待はまだできそうにありません。
 2番のサビは、もし、「君」が居てくれたら、と妄想しますが、それはあくまで実感の無いホログラムのような世界ですよね。この後、始発電車が動き出すまで主人公は歩くことを決めます。つまり、電車が止まって始発が動きだすまでの一番暗闇が長い時間、光が差す朝がまだまだ来ない時間に「僕」がいることが提示されます。
 そして、この曲の一番キーになるフレーズが登場します。

「同じような景色の中 記憶を置き忘れたい」

 ホログラムでは位置情報も記憶します。
 主人公がこの東京という街に「君」の記憶を置き忘れるができると思いますか?
 僕は無理だと思います。「流されたい」と願ってもおそらく無理なように。この東京という街の位置情報込みで、ずっと愛を記憶してるんだろうなあ、と僕は思っています。
 そして、主人公は雨がいつ止むのか、夜明けはいつ来るのかを考えます。
 答えはいずれも遠いのではないでしょうか?
 雨は2番の描写から降り始めたところですし、夜明けも始発が動き出すまでですから、まだまだ先でしょう。
 ただ、どちらかがくれば光は差します。
 雨や夜が失恋を連想させるものだとすれば、「君」との復縁を連想させられます。

 大サビでは、やはり光の無い世界の面白くなさを語り、「君」という太陽が無くても自分自身の力で、愛というホログラムを記憶させているのかも知れません。それはとても悲しい行為のようにも見えますし、しぶとさのようにも見えます。

 さて、曲を一通り聞いて感じたのは、もしかして、「僕」は、失恋したばかりなのではないか、ということです。雨が降り始めたということから連想したのですが。
 そして、やはり、東京と記憶という秋元康が名曲を生み出す組み合わせが今回も健在だったと思います。
 「東京タワーはどこから見える?」や「条件反射で泣けてくる」と並べてみると、僕が挙げた2曲が時間の経過が進んでいるのに対して、記憶を街に置いていきたいという全く新しい時間軸を置いているのも印象的です。

 

 失恋ほやほやで時間の経過と共に新しい恋や忘却によって光が差すかも知れませんが、僕が聞いた感じでは、この人、多分、ずっと愛を保存してそうだなあ、と感じました。
 皆さんはどう感じたでしょう?
 少し、引っかかるのが、この曲って秋元康作詞なのに「君」の描写が一切ないんですよね。どんな髪型やどんな癖でとか、どんなところに一緒に行ったとかが前述の2曲と比較して無いんですよね。「東京」という街や天気の描写をずっとしてるんですよね。自分のことばかりというか。それが孤独感を表すならば成功していると思うのですが。
 多分、この「僕」は、記憶を置き忘れないし、時間が流れても消せない愛を「持ってしまった」んでしょうね。

 正直、もう秋元康はSKE48に対して、モチベーションが低いのかな、と思っていたので、めちゃくちゃいい歌詞が来て嬉しいです。
 これは久しぶりに坂道ファンの人たちにも進めてみようかな、と思っております。
 

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