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平手友梨奈「ダンスの理由」試論

 ※今回の記事は「これが正解だあ!」みたいなことは書いていません。むしろ、「こういう答えも、考え方次第では導き出されるかも。あなたはどう思います?」という記事です。

 なんだか、気になってモヤモヤする歌詞ってないでしょうか? 
 それが映画「コクソン」のようにどう頑張っても答えが繋ぎ合わせられない気がしますが、頑張ったら繋がりそうな気がする、そんな歌詞が皆さんの中にはないでしょうか?

 僕にとって、平手友梨奈さんの「ダンスの理由」がその中の1曲です。
 まずは、公式動画から曲を聴いてみましょう。

 さて、この曲の中に印象的なフレーズが登場します。
 「あの娘」。
 この「あの娘」というのは、誰なんでしょうか?
 「過去の自分の象徴」ではないか、という読み方がどうやらメジャーのようで、ううむ、歌詞でもそう言ってるしな、最近U-NEXTで「ピースメイカー」始まったし、これで解散!と言いたいところなんですが、あえて、もう少しだけ掘ってみようと思います。
 
 この曲の「私」ってレイヤーがある人物だと思っています。
 まずは、歌詞の世界で描かれていることについて、考えていきたいと思います。
 曲の主人公である「私」は、献身的に捨て身の覚悟で踊り続けます。自分が特別な存在ではないことを理解しつつも、必死で踊る決意をします。ただ、その行為こそ、歌詞の中の「部外者」がいう「犠牲」となる行為なんですよね。そもそも彼女に許しを与える「世界」というのは「部外者」側に近いというか、設定されたものかも知れないと僕は考えました。
 具体的に言うと、アイドルとかそういう踊ることで誰かの光になるような仕事についている子かな、と考えました。
 で、ここからちょっと冒険していくんですが、1番の歌詞の「私」と2番の歌詞の「私」は同一人物なんでしょうか?
 2番の歌詞の「私」が、主人公としてグッと立ち上がってくるために、1番の「私」がいる。しかも、1番の「私」は、2番の中でどんどん拡張していき、「あの娘」になっていきます。どこかで傷ついている「あの娘」もいれば、「避雷針」の「君」のように期待することをやめて理解されることを諦めた「あの娘」もいるかも知れません。単一の誰かではなく、様々な「あの娘」。その中には、過去の自分も居たのでは、と思います。現在を輝かせることで、過去の自分も救ってみせると。
 ただ、その為にとっている行動はやはり、自分を「犠牲」にして誰かを救うという苦しさもあります。

 次に、2層目のレイヤー。
 曲の世界から離れて、平手友梨奈さんという歌手を含めて考えてみたいと思います。
 すると、ある疑問が浮かんできます。
 なぜ、秋元康は「君」とか「あなた」という言葉を使わないのか?
 なんで「彼女」じゃなく、わざわざ「あの娘」にするのか?
 女性に限定する必要が何故、あったのか?
 
 歌詞の中に印象的なフレーズがあります。
 「夢のようなターンを決めよう」
 「ターン」をする、ということは、くるりと回る。
 方向を変える。
 そんな「あの娘」が出てくる曲がありませんか?
 そう「角を曲がる」です。

 最初は欅坂46の曲の主人公たちや櫻坂46のセンターになった森田さんかと思っていたんですが、「あの頃の私」と繋げるには、広すぎるんですよね。
 「角を曲がる」の振り付けで、まさに「夢のようなターン」を決める振り付けがありますよね。印象的な。
 前作の自己批評的な要素を含んだ作詞を秋元康はしたのではないか、と僕は考えます。
 「あの娘」は「角を曲がる」の「私」から始まり、会ったことのない遠くにいるファンも含めた多くの他者である「あの娘」まで救おうとしているのかな、と感じました。ターンをすることで、円が生まれます。「角を曲がる」の時にスカートが広がっていくように。救う対象が広がっていく。
 ある意味、ソロ歌手である平手友梨奈さんのマニュフェストのような1曲が出来上がったのではないか、と僕は考えました。
 ただ、先ほどの解釈でも書きましたが、どこか破滅的な危うさがこの曲の歌詞の中にはまだ残っています。「私」が犠牲になってでも、と。すると、犠牲になってでもなんとかしようとする、「私」を見る「私」がまた出てきそうですが…。
 
 それにしても、本当に深掘りしがいのある歌詞だと思います。
 今回は、1作前のソロ曲と並べてみましたが、別の曲と並べてみることで、浮き上がってくるものもあるかも知れません。たとえば、「月曜日の朝、スカートを切られた」に出てくる「暗闇」は、この曲の冒頭に出てくる「暗闇」と繋がる何かがあると思います。

 みなさんは、どう考えましたか? 
 

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