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アイドルの「強さ」について

 先日、Twitterの「トレンド」のところに「#最強アイドル1位は」というワードが入っていました。
 そんなの1980年代真田広之に決まってるだろ!と「最強」の意味を勘違いした上に偏見に満ちた答えを頭の中で描いた僕ですが、どうやらそうではなくてですね。テレビ番組の企画で、流れてきたハッシュタグだったようです。
 番組では、松田聖子さんが1位を獲得し、Twitter上では、欅坂46と平手友梨奈さんが多かったように僕は感じました。それに次いで他の坂道グループ、AKB48、ももクロ、モーニング娘。などが続いていた印象です(正確に全体数を数えてそこからパーセンテージを出したものではないので、あくまで僕の印象です)。

 確かに欅坂46の曲やパフォーマンスから漂う、「強さ」らしきものは物凄いものがあります。「不協和音」や「ガラスを割れ!」のような自分の納得のいかないものに対して、首を縦に振らずに行動を起こす世界観は、アイドル曲として本当に斬新でした。また、「黒い羊」のような諦めに似たような疎外感も素晴らしいです。その反面、僕が好きなのは「青空の色が違う」とか「音楽室に片想い」のような感情を視覚や聴覚を通して表していような文学性の高い名曲もあります。
 いずれも、10年後に曲を置いても人々の心を動かす何かがあると思います。


 ふと思ったのが、「あれ、SKE48を見かけないぞ」ということでした。
 今のSKE48は「最強」という言葉は似合わないんでしょうか、いや、「強さ」らしきものという要素とは違うところにいるんでしょうか?
 僕がSKE48から「最強」とか「強さ」らしきものを感じたのは、「片想いFinally」の頃だったり、初代チームSだったりでした。「片ファイ」と初代チームSから感じたことは、「この人たち…どうかしている…」という一種の狂気でした。


 そういえば、松井玲奈ひょんがアンコール前に腰の痛みを軽減する為に、ハンガーラックに頭を打ち付けていたエピソードとかからも狂気を感じます。そういう意味では誤解を恐れずに書けば、「最狂」アイドルという面もあったのかも知れません。そして、僕はそのどうかしているところに惹かれてしまいます。
 きっと背景には、なりふり構っていられない必死さがあったのかも知れません。AKB48という先人たちとの差別化として、いや、カウンターとして全力のパフォーマンスで立ち向かう。BUBUKAの表現を借りるならば「持たざる者」たちの戦い方だったのだと思います。それは、乃木坂46とは違う世界観を持ってきて台頭してきた欅坂46にも言えることかも知れません。

 でも、曲の世界観だけでは、「強さ」の正体の説明としては、少し弱い気もします。
 アイドルにおける「強さ」とは何か?
 それは人を惹きつける力、「カリスマ性」ではないか、と僕は考えます。
 例えば松井珠理奈が「大声ダイヤモンド」でAKB48のセンターをいきなり任され、SKE48でもセンターを務めながら、成長していく過程。その中でなんども「この人ならば、このグループを任せられる」、「やっぱり、センターは珠理奈だな」と感じたことがある方も多いんじゃないでしょうか?
 いや、敷かれたレールの上を走っただけだろ、と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そのレールは誰でも走れるものでしょうか?
 珠理奈自身も何度も脱線しそうになりながらも、今年の春に見事に走りきりました。
 ただの小学生だった女の子が試練を乗り越えながら、センターとしてのカリスマ性を手に入れていったのではと思います。

 同じく、平手友梨奈さんも「僕たちの嘘と真実 ドキュメンタリーオブ欅坂46」を観ていると、幼かったデビュー時からどんどん目が変わっていくのを感じます。
 強引にカテゴライズするならば、曲の世界をビジュアル化する才能に長けた憑依型の彼女の歩みは危うさと美しさが同居していました。
 しかし、次第に多くの人の期待や物語を背負うことで、危うさの方が強くなってしまったのではないか、とドキュメンタリーを最後まで観て感じました。あまり詳しくないのに引き合いに出すのも恐縮ですが、かつて若者たちに支持された尾崎豊を僕は連想しました。

 松井珠理奈と平手友梨奈。
 誰もが出来るわけがないセンターというポジションを長年務めた二人。
 センターという言葉は、以前からあったのかも知れませんが、多くの人が強く意識したのは、48グループが総選挙を全面に出してきた2011年頃からではないかと思います。
 たかが立ち位置ですが、いつの頃からか、シングルの売り上げの責任やグループの未来までセンターにのし掛かるようになりました。
 「カリスマ性」の無い者がセンターの席に座れば、あっという間にグループの停滞を招きかねない。
 

 じゃあ、アイドルにおけるカリスマ性って何なんでしょう?
 ううむ、総選挙の投票数とかでしょうか?
 CDの売り上げでしょうか?
 考えても明確な答えが出ずに時間だけが過ぎていきました。

 ある日、2017年11月25日に立教大学で行われた富野由悠季監督のを中心に置いたシンポジウム内での発言に出会いました。 
※内容は有料のものなので、本当に一部だけ書き起こします。問題があればすぐに消します。

 「皆さん方が、要するに旗を上げてくれたら、また僕はその旗についていくってことをする。それは、年寄りから見た時は実を言うととても悔しいことなんです。どういう風に悔しいかというと、『今度は若者に従うのか』。それが悔しいことがある。ところが、その悔しさ、年寄りまで突破できる方法が一つあります。その若者たちが、『高貴』であってくれれば、上品であってくれれば、優れたものであるという輝きを持っていれば、どんな襤褸を着ていてもそれには従う。その『高貴さ』っていうのは、これは正に身分ですし、品格ですし、それがやっぱり僕は人の振る舞い、としてあるべきことなんじゃないかと。そういう振る舞いというものを身に付けていただきたいなと」

 「カリスマ性」の正体は、「高貴さ」ではないかかと、ふと考えました。
 松井珠理奈には、「高貴さ」が確かにありました。アイドルとしての矜持を最後まで守っていたように思えます。いや、守ろうとしたからこそ、当時の48グループのムードとぶつかってしまったのではないか、と思います。
 センターとしての自覚もそうですが、幼い頃からSKE48という看板を背負って様々なメディアに出ていた彼女は、自然と上品な振る舞いを手に入れていったと思います。
 その代わり、彼女は「珠理奈さん」になり、減り続ける同期と増え続ける後輩たちの中で、時には言葉に出来ない孤独を感じる場面もあったのかも知れません。
 

 同じく平手友梨奈さんに関しても、「欅共和国」であのセンター衣装を着こなせる佇まいは、やはり「高貴さ」を感じます(全然関係ないですが、このPVの『僕たちの戦争』の平手さんの笑顔が素敵です)。

 欅坂46のドキュメンタリー映画を観ていると、自分だけでなく、他のメンバーたちもきちんと注目されるようにしてほしいし、他のメンバーたちが活動していて楽しいのか、と心配する平手さんが映像に残されています。
 周りのことを考え、曲の世界観を最大限に表すことを考え、グループのことを考える。彼女の自分を投げ出して進んでいく姿には、やはり「高貴さ」がありました。
 それが、彼女をカリスマとして更に押し上げて行くことになったのかも知れませんが、同じぐらい彼女を孤独にさせて行ったのかもしれません。

 いま、思うと、この二人が共演した「誰のことを一番愛している?」の撮影現場でどんな会話が交わされていのか非常に興味深いです。
 そして、お互いをどんな風に見ていたのか。
 珠理奈から見た平手さん。
 平手さんから見た珠理奈。
 それはグループこそ違えど、どこか重なる何かがあったのかも知れません。

 曲の世界観は、憑依型の平手さんの表現力が発揮しやすいものになっていて、サビの最後に虚ろな表情でニヤリと笑うアプローチは、初めて観た時に凄さと怖さを同時に感じました。
 そして、前列に居て、平手さんの存在力に負けないダンスのキレで存在を静かにアピールする珠理奈。この頃は金髪でフロントメンバー5人の中でも異質な感じがします。
 書きながらふと気づいたのですが、平手さんの憑依型の表現力と珠理奈のダンスのキレの中間点にいるのがSKE48の古畑奈和ではないか、と思いました。
 彼女のバージョンも観てみましょう(お忙しい方は2分55秒ぐらいからの奈和ちゃんのアプローチに注目してみてください)。

 彼女自身はデビューからの道筋を追っていると「高貴さ」の持ち主でありながら、一見すると「俗」的に見える方もいらっしゃるかも知れません。
 それでも多くのファンを魅了し、SKE48のセンターを務められた理由は、富野監督の言葉を借りるならば「優れたものであるという輝きを持っていれば、どんな襤褸を着ていてもそれには従う」というところでしょうか(決して奈和ちゃんの見た目の話をしているわけではないです。念のため)。
 奈和ちゃんもSKE48内で孤独ではありませんが、孤高の存在という感じがとてもします。
 同じくセンターを経験した須田亜香里も、バラエティ番組での活躍だけを見ていると「俗」の要素が前に出ているように見えますが、彼女のファンの方々との接し方や仕事との向き合い方からは、やはり、「高貴さ」を感じます。

 さて、話を戻すと、松井珠理奈も平手友梨奈さんもグループをもう去っています。

 珠理奈は後輩たちから親しみを込めて「おじゅり」と呼ばれ、自分が作詞した曲をSKE48にプレゼントして去っていきました。

 平手さんも脱退という選択肢を取りましたが、ドキュメンタリー映画の中心は彼女でしたし、彼女のソロ曲「角を曲がる」は今でも夜一人で歩く孤独な魂たちに寄り添う素晴らしい内容になっていると思います。

 

 もう、SKE48には松井珠理奈はいませんし、欅坂46は櫻坂46になりました。
 今、櫻坂46のセンターをしている森田ひかるさんからは、何か始まりを感じさせる魅力を僕は感じます。きっと様々な曲や場面に出会いながら、彼女もまた「高貴さ」を手に入れて行くのではないかと思います。

 SKE48も先日、新しいシングルの選抜が発表されました。


 まだ、センターは誰か発表されていません。
 しかし、きっとまた僕らを惹きつけてくれる「強さ」、つまり、「高貴さ」を持ったメンバーであることを期待しています。

 

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。