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「笑顔の魔法」〜ぼくが赤い鼻をつけるようになった理由〜

ホスピタル・クラウン。
病院を訪ねて、闘病中の子どもたちを元気づける道化師のことをそう呼ぶ。赤い鼻とコミカルな衣装を身につけて、バルーンアートやマジック、ジャグリングなどを披露する。

ホスピタルクラウンをはじめて知ったのはおよそ7年前。そしてはじめて赤い鼻をつけて病院を訪問したのは2年前。その時のことは今でも覚えている。何にもできなかった自分、子どもからバルーンの銃で打たれたこと、それと病院の独特なにおい。

「病は気から」とか「笑いはがん予防」なんてよく言ったりするけど、僕は本当に笑顔の力ってあると思ってるんだ。笑うって身体にすごくいいと思ってる。

今日はそんな笑顔の魔法について。

将来の夢

小学校の将来の夢は総理大臣!!中学校のときはお笑い芸人!!!

もちろん周りの友達からは笑われていた。夢はわりと本気で考えていたけど、学校ではわざと(?)変なことを言ったり馬鹿なことをするような子供だった。

よくクラスに1人ぐらいはいそうな目立ちたがり屋。そう、授業中うるさくて、迷惑なやつ。

だけどそうしていたことにはひとつ理由があって。それはね

人が笑っていたり、笑顔になっている顔が大好きだったから

人の笑顔って素敵だよね。二カァァアって笑う顔とか見るとこっちまで幸せになる。それを自分がやったことで笑顔になったんならもう最高。

人を笑顔にすることが好きで、そんなことを考えてたらお笑い芸人になりたい!って自然に思ってた。(ちなみに総理大臣は世界平和のためw)

高校の時は文化祭でお笑いもやった。

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そういえば中学校の時に、お笑い芸人の夢を語り合った友人がなんと現在吉本の養成所に通っている(鳥肌)

お笑い芸人になるのをやめたのは、お笑い芸人ってこの世の中たくさんいるし、わざわざそこを目指す必要はないなって思ったから。

そしてお笑い芸人の次に出逢ったのがホスピタル・クラウンだった。

きっかけ

ホスピタル・クラウンを知ったきっかけは本当にたまたまで
当時好きだったアーティストのミュージックビデオにホスピタル・クラウンが出ていたのだ。

ドランク・ドラゴンの塚地さんが出演されていて、最後らへんの手紙のシーンでそれがホスピタル・クラウンという活動だということを知る。

最初見たときはなんて素敵な活動なんだ!と思ったし、これを仕事としてすることができたら僕は幸せだと思った。

でもホスピタル・クラウンのことを調べていくうちに、なんとボランティア活動ということが分かった。

ん?、じゃあホスピタル・クラウンは仕事じゃないのか?それで食べていくことは無理なのか!?

そんなことを考えながら僕は大学へ進学することになる。

”仕事だと思っている”

大学に進学してからしばらくして、やらないで後悔するよりとりあえずやってみよう!ということで色々と動いてみることにした。

最初は進学した福岡で、NPO法人日本ホスピタル・クラウン協会の賛助会員イベントがあるということで参加することにした。一般の参加は5人とかそのくらい。普段はスケジュールが忙しくて来ることが難しい理事長もその場に来ていた。イベントの最後に僕は理事長に、ホスピタル・クラウンがやりたい!仕事としてやるにはどうすればいいのかなど思いの丈をぶつけた。

今でも覚えているのは、理事長が言っていた

「僕は(ホスピタル・クラウンを)仕事だと思ってやっている」

という言葉だ。
色々聞くところによると、全国にはホスピタル・クラウンとして活動しながら、クラウンとして、大道芸人として生計を立てている人もいるとのこと。

単純脳内お花畑の僕は、大道芸人を目指せばいいのか!と思った。

お金を貯めて大学4年生になった僕は、ホスピタル・クラウンの研修を受けるため名古屋に行った。

デビュー

ドキドキのホスピタル・クラウンデビュー戦。研修を受けて、名古屋の病院を先輩クラウンと訪問する。

正直その時は先輩クラウンのやることをみて、相槌がわりに身体を使ってリアクションをとる、みたいな役に徹していた。人を笑顔にすることが好きだなんて大口をたたいてはみたものの、こんな僕に何ができるんだ!と僕は病院の雰囲気に飲み込まれ、萎縮していた。

そんな時にひとりの男の子に風船をつくることになった。患者さんたちからしたら素人なんて関係ない。その場にいるのはプロの道化師だ。僕は男の子用にと一生懸命練習した銃を風船でつくってなんとかプレゼントした。

「バンっ!」

僕は男の子に渡した銃で撃たれた。

すかさず僕は撃たれた真似をした。すると男の子が笑顔になる。

引き続き男の子が撃ってくるので、これでもかと撃たれた真似をした。

男の子はゲラゲラ笑い、男の子のお母さんが笑いながら止めに入る。

一瞬の出来事だったけど、病室が明るくなるのをこの手で実感した。

僕は男の子に

「また遊ぼうね!」

と言って病室をあとにした。

バカを演じる

ホスピタル・クラウンは患者さんの病名だったりを詳しく事前には聞かない。僕は病名とか、どんな病気をしてようが関係ないからと思っている。もちろん病室に入って、いま目の前にいる患者さんがどういった状態で、恐がっているのか、ウキウキしているのか、緊張しているのか、僕に何ができるのかをその場の雰囲気を見て瞬時に察知しなければならない。

でもどんな病気をしていようがそこにいるのはひとりの人だ。性別も年齢も関係ない。

なんなら子供たちは病院という場所では、もっとも立場が弱い。毎日こうしなさい!とかこうしたらダメ!という風に言われている。

なのでバカをやったり、わざと分からないふりをして子供たちに教えてもらったり、そんな立場を一気に逆転させるような、子供たちを優位な立場にするようなクラウンが僕の理想だ。

病院にいて子供たちが一番辛いのはもちろんだが、それを支える両親、看護師さん、ドクターも同じなんじゃないかなって思う。だから主役はもちろん子供たけど、両親や看護師さん、ドクター全ての人を巻き込めるようなクラウンでありたい。

子供が笑っているとお母さんお父さんも笑顔になるし、お母さんお父さんが笑っていると子供も笑顔になる。

僕はこの活動が心から好きだ。

魔法の力

研修も終えて、地元鹿児島の病院をまわるきっかけをいただいた。その時に少し不思議な体験をした。

その日も同じように病室をまわっていたのだが、ある病室でいつもとは違う空気の重さを感じた。女の子で年齢は2歳ぐらいだろうか。たくさんの管で繋がれていて、寝たきりだった。コミュニケーションを取るのは難しそうだった。
看護師さんは慣れたように「ピエロさんきたよ〜」と声をかける。

一緒に病院訪問していた先輩クラウンは、音のなるおもちゃを取り出した。そのおもちゃを使ってリズミカルに音を鳴らす。それに続けて僕も音を鳴らす。

そんなことを続けていたら、女の子の手がぴくっ!と動く。それに合わせて身体も少し反応する。

隣に座っているお母さんはびっくりした様子で、喜んでいた。看護師さんたちからも歓声が。

さっきまで重い空気だった病室が一気に明るくなった。

ほんの少しのことだけど、こんな僕でも、こんなクラウンでも、できることはたくさんある!と思った瞬間だった。と同時にこの活動を続けることに意味があるとそう思った。

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すっごい頭悪そうな顔してるw

身近な人を笑顔に

大道芸人を目指していた僕だったが、3ヶ月前に引っ越して今は地元鹿児島で別の仕事をしている。

今は大道芸人を目指している訳ではないが、これからはホスピタルクラウンとして地元鹿児島で活動していけたらと思っている。

色んな理由があっていまの道を選んだのだが、色んなことを通して僕は身近な人を笑顔にしたいと思った。それは家族だったり友達だったり仕事の仲間だったり自分だったり。人が好きで自分が大好きであること。身近な人を愛せないと人を笑わせることなんてできない。

ちょっと長くなったけど、これが僕が赤い鼻をつけるようになった理由。

まだまだ半人前のクラウンだけど、コロナが終息したら鹿児島の病院でパフォーマンスをしたい。

niji(クラウンネーム)/パッション

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