見出し画像

大成功・中成功

ビジネス的に大成功された方の書いた自伝的な本は沢山ありますし、本屋に行けば時代の主役達として入り口付近に平積みされ、多くの人が手に取る事になります。

自分が身を置く、或いは目指す業界のトップランナーであれば余計に興味も湧くでしょうし、度々メディアに取り上げられたり、結果として億万長者になるのはロマンだと思いますし、中には映画になったりもするケースもあったりと考えれば、人生に夢を見るためのエンターテインメントとも言えるでしょう。

という事を踏まえてですが、同時に僕自身はあくまで一般人である自分があれらを「参考書」として扱うには突拍子がなさすぎる、とも思います。

人生を渡っていく上で「自分という素材」は切っても切り離せないため、例えばお砂糖をベースに激辛料理を作らないのと同じで、自分に成し得る質と量と向きに限りがある事を知っている事の方が、無作為に大きな夢を見るよりもずっと、現実的な最高到達点へのアプローチ手段としては確かで、かつ誠実だと考えています。


「才能」という言葉は使い方によっては陳腐ですが、例えば「見た目が美しく生まれる」事で可能性の広がる人はいると思いますし、どこからどこまでをそう呼ぶかはその時々でしょうが、持って生まれた偏りとその大小はどうしてもあり、それが自分の頭脳と肉体に宿るもの以外にも、「お金持ちの家に生まれる」といった環境的な影響もその1つかと思います。

ただし補足しますが、コンプレックスによって花開くものもあるため、一概に「一般的に良いとされる」事が全てではなく、しかしそこを含めて「正確に受け入れる事」がまずはスタートだと僕は考えています。

世の中でも傑出した成功を収める人のエピソードを知る度に、勿論背景にある努力の量や考えの深さといった当人による底上げに疑う余地はありませんが、「そう生まれた事」や「そのタイミングでその人に出会った事」といった真似のしようの無い要素が必ずどこかしらに、しかも複数あり、そしてそれが「その順序で」「その時代に」重なって重なって結実するものというという印象を受けます。


僕にとってはそういう偉人達の自慢話はお酒の席での一時的な話題提供や、ビジネス上の会話の中で取っ掛かりにはなっても、自分自身のヒントとして血肉とするにはあまりに規模が違いすぎて、むしろ身近で共感できる「本に載らない」「巨万の富を得る予定のない」友人や先輩の言葉の方が、僕個人という器にとってはよほど重要と感じます。

大成功を欲していないと言えばウソですが、その前にまだ一旦の「中成功」も踏んでいない自分にとって、あの手の本はファンタジーすぎてハリーポッターとあまり変わらないので、どうせならハリーポッターを読もう、という気持ちです。

僕にほとんど何も与えない金持ちをより金持ちにするのも癪ですし。