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#いじめMetooのススメ

私の通っていた横浜市の公立小学校は、いじめの多い学校だった。不登校になった生徒が何人も居たし、姉の学年にも悪名高いいじめっ子が複数いた。同じ学年でいじめに遭っていた子も多かったと思う。

かく言う私も、靴隠しは言うまでもなく、女子にトイレの個室に連れて行かれてリコーダーで殴られたり、体育の授業中に服の中に死んだ魚を入れられたり、男子から集団で追い回されたり、ランドセルを教室の窓から投げ捨てられたり、机を蹴られたり、友達でもないクラスメイト(複数)から陰で「地球外生命体🛸」と呼ばれたりした。(ここまで話したの初めて‥ドキドキ🫣)

皮肉なことに、学校でいじめが始まった時期と祖母の亡きあと我が家が母子家庭となり、毒姉の家庭内での権力と暴力が酷くなっ時期がちょうど重なるので、私は家と学校の両方でほぼ同時期にサンドバッグ化した。

だから機能不全家庭(学級)と虐待・いじめの間には、少なからず相関関係があるんじゃないかと思えてしまうのだ。

いじめのあった機能不全クラスの担任の先生と母(小学校教師)の間にも、共通するものがあったような気がする。2人ともキレると怖いのに、教育への情熱はとうに失っていて子供のことをあんまり見ていなかった。

いじめ主犯格の男子2人も授業中に自転車で学校を抜け出して騒ぎを起こしたり、教師に対してもキレやすかったから、今思い返すとそうとう病んでいたと思う。リコーダーで殴ってきた女の子も、家庭内暴力の絶えなかった毒姉と同様にいつも情緒不安定そうな顔をしていた。

主犯格のワル2人が幸いにも私立の中学に進学してくれたので、中学ではあまり虐められずに済んだ。ノリでいじめに加担していたその他大勢は、中学に入ってまで危害を加えて来ることは殆どなかったから、彼らにとっていじめは一時のストレス発散を兼ねた遊びだったのだと思う。

自分のいじめ体験をこういう風に初めて文章にしてみて思うのは、皆自分のいじめ体験について語らない(語れない)だけで「これはどう考えてもいじめとしか思えない」体験をしてる人は、身近なところにもっとゴロゴロ居るはずなんではないかということだ。

小学校の卒業文集で過去にクラスメイトから受けたいじめ行為について「嫌だった」と書いた勇気のある男の子が私の記憶の中に1人だけ居るが、学生時代にそんな勇気ある告発をしたのは、後にも先にもその子1人だけだった。(悪ガキの沢山いる小学校だったので、他にもいじめられてた子はたくさん居たはずだと思う。)

多くのいじめられっ子達は、いじめられている最中は誰にも助けを求められず、いじめられた過去についても語りたいとは思わない。

私もずっとそうだった。それでも20歳の時、勇気を振り絞って毒姉(←たぶんサイコパス)に「実は小学生の時、学校で男子から集団でいじめられていたのだけど、家族には言えなかったんだ」と打ち明けた。血を分けた実の姉妹だし、少しくらいは励ましや共感の言葉が返ってくることを期待しちゃってたんだと思う。しかし、返ってきたのは「キモい!」という侮蔑の言葉と軽蔑の眼差し(本気のやつ)だった😳

たぶん、うちの毒姉のような上っ面だけ良い子でスクールカースト至上主義の中身サイコパス人間は、恐らくこの世の中に掃いて捨てるほど居るのだと思う。だからこそ私たちは、いじめを受けた過去を自らの「恥」だとか「黒歴史」だと思わされてしまうのかもしれない。

でも40近い年齢になってみて改めて思う。もし「いじめ=恥」であるとすれば、本来それは、いじめられた側の恥ではなく、いじめた側の恥であるはずだ。虐待や暴力だって同じこと。

小学校の卒業文集に嫌なことをはっきり「嫌だ!」と書いた男の子は、勇敢だった。少なくとも誰にも悩みを打ち明けられずに苦しんでいたあの頃の私にとって、その「告発」は勇気づけられるものだった。

トラウマ治療(持続エクスポージャー療法)の一環として始めた私のぶっちゃけ話も、今この瞬間、誰にも言えない苦しみを抱えて悩んでいる誰かの力に少しでもなれば良いなと思う。

いじめや虐待を受けた過去についてブログに綴る行為は、最初はとても不安を伴うものだったが、勇気を出して書いてみると、大学の先輩や友達から温かい励ましのDMや「#Me too」が返ってきた。世の中、捨てたもんじゃない(サイコパスばかりじゃない☺️)と思えた。

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