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【4】正解は「自分のアタマで考え抜いた」先にしかない #小原課題図書

今週読了した本は、「考える」「予測する」というキーワードについて考えさせられるものでした。せっかくなので本に書いてあることの紹介は少なめに、読みながら考えたこと、読み返して感じたことを中心にログしていきます。

『インターネット的』

今週最初の一冊は、糸井重里さんの『インターネット的』。2001年(多分インターネット黎明期?)に発売された本で、「インターネットによってこれから先の未来はこうなるだろうな」という糸井さんの考えが書かれています。

読んでみると確かに「予言だった」と言ってもいいくらいに、しっくりくるところがあります。例えばこの一文。

これからの社会では、企業の「考え方やセンス、モラル、理想」などという個性に、消費者が賛成するというかたちで商業活動が行われる可能性は、おおいにあり得ると思うのです」

これはもう、企業に限った話ではないですよね。当時のことをよく覚えてるわけではないので比較はできませんが、今は一個人だって「考え方やセンス、モラル、理想」で商業活動をする人が増えてきています。

これはインターネットの普及が「誰でも発信者になれると環境と、誰でもそれを見つけられる環境」を生み出したことで生まれた仕組みだと思います。今では企業と個人、個人と個人がフラットにつながれる。

そうやってフラットな環境が整備されてできた産物が「コミュニティ」なのではないでしょうか。

最近だと、同じ思想を持つブロガー同士のコミュニティが生まれたり、本を売るためのコミュニティが生まれたり。オンライン・オフラインを問わず、ゆるいつながりがあちこちに生まれています。そしてきっと、これからは企業にも個人にもコミュニティを作り上げていく力が必要になる。

この本を読んで思ったのは「インターネット的=言いたいことが言えて、聞きたくないことは聞かなくても良い自由」だということ。

インターネットを手にした僕らは、無数にあるコミュニティを自由に取捨選択することができます。

ただ、中には自分たちのコミュニティの優位性を過剰に説く人もいたりいなかったりしますし、なんかそれこそフラットじゃないようにも感じるので、そこはしっかり自分で考えて選べるようにならなきゃいけないのだと思います。

『青春漂流』

これまで以上に「繋がり」を感じた一冊でした。過去に読んだ本で言わんとしていたことが、ここでも言われている。冒頭に書かれてあることがすべてだと思います。

人生における最大の後悔は、自分が生きたいように自分の人生を生きなかった時に生じる。

著者の言葉を借りると、自分の生き方を模索しなければ、世間の常識ばかりにとらわれていては、墓場まで一直線の人生を送ることになるということになります。

先週読んだ『僕らの仮説が思考をつくる』には、自分なりの仮説を立て、それを愚直に実践することでしか理想の世界が意味出せないと述べられていました。この本に登場する人物たちは、全員それを体現している人たちです。

僕はこの考えに大きく賛成しているからですが、よく言われる「安定した職業を目指すのがベター」みたいなことはつまらないと思っています。ただ、それを選ぶことが間違いだとも思いません。

そう考えると結局人生に正解なんて無いんですよね。しいてあるとすれば、それは自分の人生を生きること。

ただ、それは簡単なことではありません。言葉にしづらいですが、誰だって自分の人生を生きているものだと思ってしまっているわけです。今ある情報の中で正解を早々に作ってしまうので、それに向かうことが自分の人生を生きていることだと勘違いしてしまう。

僕が自分の人生を生きれているかどうかはわかりませんが、つまり「自分の人生を生切る」とは、考え抜いて、自分なりの仮説を立てて、実行して、それを積み上げていくことだと思います。

『自分のアタマで考えよう』

今週の3冊の総括とも言える『自分のアタマで考えよう』。ちきりんさんの著書です。先週から仮説を立てることや考えることの大切さを理解できていたので、ここに来て考える方法を述べた本がぶつかる。リョーさんのメタメッセージが伝わってきます。笑

知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。

冒頭にこう書かれています。僕たちは物事に対して何かを考える時に知識をフル活用します。しかし、それは過去に得た事実を照らし合わせているだけで、思考が伴っていない。要するに、考えていない。考える時は、知識を捨てて思考しなさい、ということです。

ここにも佐渡島さんの『僕らの仮説が思考をつくる』と大きく繋がる部分があります。佐渡島さんは、情報を集める前に仮説を立てるのが大切だと述べていました。情報が先行するのは前例主義に他ならず、自分の感性でジャッジしていないと。

つまりこれが「自分のアタマで考える」ということですね。タイトルを見た時は「そもそも自分以外のアタマで考えようがない」と思っていましたが、知識ベースで物事を考えていたら、それって結局誰かが証明した事実で物事を考えていることに他ならないんです。

以下では自分のアタマで考える方法が解説されていますが、ここでは割愛します。まだ今年12冊しか読んでいませんが、その中でも非常に有意義な一冊でした。

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今週は、「考えるということを考える」読書週間になりました。偶然ですが『本を読む本』にも書いてあった「シントピカル読書」的なことも発見できました。

いい情報をたくさんインプットできたので、来週はログを見直しながら内省する時間を取ります。…つまり、自分のアタマで考えてみます。


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