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ナニガワカラナイカワカラナイ

こんにちは。

今回は長男の話。

長男は体操教室に通っている。
次男とクラスは別だけれど週イチ通っていて、2人とも気に入っている習い事だ。

ついこの間も、長男はレッスン開始20分前にレッスン室の扉の前に行き、待機。
ちょっと早過ぎるんじゃないの?な時間に待ち合いロビーで『じゃあ母ちゃん行って来る!』『うん、頑張って』といつも通り送り出す。

いつも通り。

長男は場所見知りが強い。
行きたい場所に居るために物事が開始される前に自分をその場に慣らすために、早めにその場所に行ってボーッとする事が彼なりの今のところの落ち着く手段、らしい。

彼の言葉を借りると。
4人以上の集団にポンと後から入る事が寂しい。慣れない。怖い。ザワザワする。

なので彼はまず誰も居ない時間帯に集合するところに行く。
そこに1人2人と人が増えるのは構わない。

去年1年間は登校の相談を学校側として、教室を通常の10分前に開けてもらうことに承諾をもらい、母子で無人の教室に連日登校していた。この話は別の機会に。

レッスン開始時間から20分が過ぎる頃、講師の先生が待ち合いロビーに来て、私に教えてくれた。

『お母さん、長男くんがレッスンに参加できずに、レッスン室のドアの前で座り込んでいます』

あれれ?

どうしたのかな?

先生に教えてくれたことのお礼を伝えて長男のとこに行く。

体操座りをしてボーッとしている。

顔を見る。表情がない。

嫌な事があった? なら泣く。

悔しければ? 怒る。

でも、覇気がない。ボーッとしている。

むー、困ったなぁ、私も今日はしんどいんだけどなあ。スイッチが切れちゃったんだなぁ。

『ん〜〜、いけなかったか。そうか。どうしたん?』

『ワカラナイ』

ワカラナイ。

私は唐突にワカラナイ、って言われるのが、すごく嫌いだ。

しんどい時は特に。

相手のワカラナイは私だってワカラナイ。

そんな事は跳ね返せばいい。分からないよ、と。一言返せば良い。

でも疲れていると。それを忘れる。カチンとくる。

こちらが何がわからないか、がわからないとサポートに入りづらい。

サッサと何をして欲しいか教えなさいよ!

私の心の声。水たまりほどの狭い心。

その声に従うと、いつも人間関係は容易く崩壊する。

でも、今この瞬間にワカラナイものはワカラナイのだ。


とりあえず、分かりたい?分からないままでいたい?それもわかんない?どうしよっか?の問いに『やりたい』の一言。

それなら、ワカラナイをわからないなりにわかるかどうか話してみようか。

10分ほど話して長男と心境を整理。

・体操教室に行きたい
・体操をやりたい
・ドアが開かない
・行けない

後半2つ、言葉尻で真に受けたらあかんヤツ

ドアを開けてあげたら長男泣いた

そうだよね、そういうことじゃないんだよね

行きたいけど、行けない理由がわからない、行ける気持ちになったら行きたい

ということだけ微かにわかる

ってことは今は待つしかない

『ママ、どこにいようか?』の問いに、待ち合いロビーにいてね、の返事

レッスン休むなら帰りたいぐらいの気持ちだけど、次男と待ち合いロビーで長男を待つ

この何も成果があからさまにわからない時間がものすごく嫌いだ

優しくない私、待てない私
次男は長男と私の事態を見越して持参した本を読んで待っている

レッスン時間が過ぎた
長男は私のところへ帰ってこない

今日は私のどこがイケナカッタノカ、ワカラナイ

先生が待ち合いロビーに来てくれた
『レッスンは参加しなかったけれど、練習したいと本人から要望がありました。少しお時間大丈夫ですか?』

受講生が帰ったレッスン室に長男と先生と私と次男

時間はあっても無くても長男が自分で状況を打破しようとしたなら私はいくらでも時間はつくる

マンツーマンで先生の話を聞く長男

まずはマット運動

挨拶の声が出ない

先生は挨拶を強制しなかった

今日はジェスチャーで良いよ、と代替案をくれる

長男の表情が少し戻る、ホッとしてうなずく

先生にお辞儀をする

ゆらゆらしていた身体の軸が安定する

長男のスイッチが入った瞬間を私はレッスン室の隅で正座して見つめる

そのスイッチは長男本人しか入れられない

私は信じて待つしか出来ない、何も出来ない

魔法も、特効薬も何もなかった

長男の選択を見守るだけだ、いつだって

待つことを堪えるだけなんだ


長男が右手を真っ直ぐあげる

スタートの合図をする

倒立前転

ポーズ

好きな柔軟を1つ

どうしたら良いかわからない

戸惑う、先生に質問をする

再開する

2回転側転、ポーズ、ロンダート、ポーズ、挨拶


観覧しながら私の脳裏には初めて体操教室の体験に来た時のことがよぎる
6年前、3歳の長男、50分の体験に45分のギャン泣きと最後5分だけの体験


現実はマット運動が終わると跳び箱へ

8段の跳び箱


体操教室に通いだして初めてのテストの日
お友達は飛び級で受かっていき
何が悔しくて泣けてしまうのか分からなくて私に噛み付いた日

学校で落ち込む事があって体操教室で落ち着けず脱走して電話があった日

商業施設の館内中を追いかけ回った日

親切なお友達ママからの心配のLINE

閉じ籠ったトイレ

家族全員で訳が分からなくて泣いた朝


長男が右手をあげる

助走をつける

ハネ板に躊躇なく向かう力強い足

勢いよく跳び箱に着く手

8段の跳び箱を遥かに上回る身体


綺麗な弧を描いて着地する、揃った両足

ポーズ

お辞儀


次男と目配せして拍手をする

お兄ちゃん頑張ったね!拍手!


母親になった臆病な私は。

3年前に体操教室に息子をお願いした。

2年かけて少しずつ体験教室に通った。

8段の跳び箱を跳べるよう成果を身につけて欲しかったんじゃない。

やりたいと思い描いた事に自分で飛び込んで行けたら良い。やりたくなった時に始められるように。

そんな単純な事の複雑さは

やってみないとわからない

全部書き出してあげたことを、

息子が、家族が読み切れるものか

1から10までのことなんて教えてあげられないんだ

行ったり来たり本人がするしかないんだ

そのもどかしさ、どうしようもなさを

遠くから見守るんだ

真横じゃなくて

姿は見えなくても声が届かなくても

その瞬間じゃ無い

それが30秒後なのか、1時間後なのか、今日なのか、明後日なのか、半年後なのか、来年なのか、10年後なのか、死ぬ前なのか

いつわかるかなんてわからない

ワカラナイコト ガ ワカラナイママ

始めるんだ

始めたくなる勇気を言葉と態度で手渡すだけなんだ

その贈り物を突っぱね返されても

届かなくても、へし折られても

渡そうとし続けようと在る!!!!

その結果、8段の跳び箱が跳べるんだ

その姿を見られる『かも』しれないんだ

それだけのことだ

それだけのこと

母親だからとか、身内だからとか、大人だからとか全部手放して。

私が目の前の九歳の男の子に。

渡したい渡せるものを手渡すだけだ。

それを彼がどうしようと彼の自由だ。


個人レッスンが終わってから、先生に今日のレッスンの流れを聞いた

長男が出鼻を挫かれた理由がわかった

体操教室では有料の有志向けの発表会を先に企画していて

その発表会向けの練習を通常のレッスンの中にしばらく組み込む、と言う説明が今回のレッスン始めにあったそう

予告無しに説明されたことを実践することと

振替レッスンの子が多かったのかいつもより受講生が多くてパニックになりつつ見通しも付かず

発表会には参加したくなかった息子は

教室の外にうずくまる事態に!

うん、それは訳がわからなかったね

そして訳がわからないことを質問する文章もわからなかったんだね

1時間、受講料を払った分のレッスンの演習はしなかったけれど

長男のペースでまた1つ、状況と対処を身につける

ひとまず発表会には出ないけれど、練習をみんなとすることがわかった

練習を重ねるうちに発表会に出たくなったら申込をすればいい

もちろんそのまま出なくてもいい


やる、やらない、は自分で決めたらいいよ

今日は、やりたい、をやる!に自分で変えられたじゃん、すごいことだよ

そう話す私をよそに、長男はパワーを使い果たしてサッサと帰り支度

私もパワーを使い果たし、次男もパワーを使い果たし

長男は自分から先生にお礼を伝え、私も追いかけてお礼を伝える

ワカラナイコトを分かるようになるまで付き合ってくださった先生方に本当に感謝するばかり

3人で話し合って作ってある夜ご飯を先延ばしに
フードコートでラーメンを食べて帰った

子どもたちはいつだって私に試練をたくさんくれる

ひとつ向き合って乗り越える度に、私は身軽になれる

きっとここに書く文章の長さだって短くなるはず(笑)

ありがとう

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