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良い先生の条件〜教え方の引き出しが豊富なこと〜

瞑想を習いに行っていたとき、そこの大御所的な先生に「仁美さんは呼吸が浅いですね」と言われたことがあった。

浅いと言われてもどうすればいいかわからなかったので「どうすれば呼吸が深くなりますか」と聞いてみたところ「ちゃんと息を吐かないとダメですよ」とのことだった。いや、吐いてるんですけど。。

釈然としないまま時は経ち、呼吸のワークショップというものに友人から誘われ、参加しに行った。

自由に質問できる時間になり「以前呼吸が浅いと言われたことがあるのですが、どうすれば深くなるでしょうか」と質問したところ
「肺の大きさをイメージしながら呼吸してみるといいかもしれません」と、その先生はおっしゃった。

「肺は、上は鎖骨の辺りから、下はウエストの肋骨の際まである、巨大な臓器です。呼吸をすると背中まで風船のように膨らみます。右と左のそれぞれの肺が息を吸って膨らんで、息を吐いて肺から空気が出ていくのをイメージしてみて下さい」

このイメージが自分には合っていたらしく、ゆったりとした呼吸を初めて出来た気がした。
「呼吸が浅いですね、ちゃんと吐いて下さい」では出来なかったけど「鎖骨からウエスト、背中まで広がる肺を、意識しながら呼吸してみて下さい」と、具体的に言ってもらったら出来たのだった。

肺って意外と大きいですね

同じようなことは前にもあった。

私の声は低くこもっていて、ちょっと聞き取りづらい。
以前プレゼンの研修か何かで人前に立って話す練習をしたとき、そこの女性講師から「もっとお腹から声を出して!」と何度も指摘された。しかし一向に私の声は通らなかった。

ああ、やんなっちゃうなあと休憩時間に思わず愚痴をこぼしたとき、隣にいた職員さんが「出口にある非常口の緑のランプに向かって話すといいよ」とこっそりアドバイスしてくれて、休憩後やってみたところ声がよく通るようになった。

こうした私の過去の例からも分かるように「何度も同じことを大声で言う」ことは、必ずしも丁寧な指導とは限らない。
教える立場にある人はできる限り多くの引き出しを持って、その生徒さんが最もピンとくる伝え方を柔軟に提案していくのが良いのではないかと思う。

そして「深く吐かないと呼吸が浅くなっちゃうよ」「大きい声を出さないとダメだよ」など、これをしないからだめという××方式でではなく
「肺をイメージすると深い呼吸ができるよ」「非常口に声を届けるようにすると、通るよ」などこれをするとできるよという〇〇方式で伝えるとスムーズだ。

私の母はスマホでわからないことがあると、側にいる父ではなく電話で私に聞きにくる。
父は「このボタンを押さないからできないんだよ」と××方式で言うのだけれど、母は私の「このボタンを押せばできるよ」という○◯方式で伝えるようにしているのが、聞いていて心地よいのかもしれない。

たかが伝え方、されど伝え方。
ただ教える立場にあぐらをかく先生ではなく、教え方の引き出しを悪戦苦闘しながら増やし続ける先生を目指している。


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