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心を揺さぶる文章は、決してわかりやすくはない

玄関からドンドン、と激しい物音がして、私は急いでリビングを飛び出した。玄関ドアの方へ行くと、すえた生ゴミのような異臭もうっすら漂ってきている。『どなたですか』―私はドアに向かって、足を震わせながら叫んだ。


小説的な技法を使った文章を書いてみた。パッと見はどこにでもありそうな文章だけど、読者を物語にぐいぐいとひっぱる仕掛けがいくつか散りばめられている。
小説の世界では読み手をどれだけ主人公にさせられるかが勝負で、書き手は物語のガイドとして読み手を物語に引き込んでいくという役割があるのだ。

その一方で、学校や会社で評価されるのは小説とは真逆の、最初に結論を持ってきたり趣旨をはっきりさせるわかりやすい、書き手が主人公になっている文章のように思う。

最近、母親から私が小学生の頃の話を聞いた。

ある日、小学生だった私の部屋のゴミ箱にくしゃくしゃの原稿用紙が丸められて捨てられており、ふと気になった母は広げて読んでみたところ、それは私が学校で書いた作文だったそうだ。

その内容は「朝起きるのが辛くてなんとか起きて、テレビを見ながら朝ご飯を食べていたところ、テレビで紹介されていた『世界が100人の村だったら』という絵本のことを知って、食べるものがある有難さを身に染みた」という作文だった。

母は特に最初の「もう少し寝ていたいのに起きなくちゃ」の描写が素晴らしいと感じたが、担任の先生からのコメントには「最初に結論を書きましょう。何が言いたいのかはっきりしない文章はよくありません」とあったらしい。私は全く覚えていない出来事だった。

幼少期の筆者。家族曰く「頑固で気が強そうな目」

学生のときやっていた飲食店のアルバイトでは「とにかく結論から先に話せ」とよく言われた。社会人になってすぐの頃は「その質問の趣旨は何なの?」と聞かれた。
このように、特にビジネスの世界では言いたいことを一つに絞って話すことは大事だとされている。

しかし人の心に響く文章を書くためには、結論を書いたり綺麗にまとめることはむしろNGとされている。
私はよくfacebookに長文エッセイを投稿するのだが、ラストはある場面で突然、唐突に終わっていることが多い。そうすると何が起こるかというと、コメント欄が盛り上がるのだ。

「私はこう思った」「僕はこうじゃないかと思う」といった意見の他に「なぜだかわからないけど、子どもの頃のことを思い出しました」など、私の投稿を読んで何かを思い出してくれる人も多い。
完成されて隙のない文章はわかりやすい。だがほんの少しでも文章に余白があると、それを埋めたくなるのが人の性で、自分で意味を見出そうとするのだと思う。

読者の中に答えはある。読者は自分で意味を見出す力を元々持っている。
そう信じて書かれた文章は、わかりやすさはないかもしれないけれど、人の心を打つ力を持つと、私は信じている。



「答えは読者の中にある」というテーマの文章教室をしています。

https://note.com/obac10732050/n/n558f24d8ac52

最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。